岡 朝子の俳句と街道歩き旅

Yahooブログで文章置き場にしていましたが、引っ越してきたので、その後の俳句もぼちぼち更新していきたいと思います。

2度目の中山道六十九次歩き15日目の4(藪原宿)

2度目の中山道15日目の4
3月25日(水)の4


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【御鷹匠役所跡と飛騨街道追分】

13:34 尾州鷹匠役所跡
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案内板
尾州鷹匠役所跡

はじめ尾州鷹匠役所は妻籠宿にあったが、伊奈川にあった鷹の飼育場も統合して享保一五年、ここ藪原に移された。
この役所は明治四年に廃止されるまで存続したが、土地の人々が『おたかじょ』と呼んでいるこの場所がその跡地である。
毎年春になると、尾張藩から鷹匠と役人が出張して来た。
鷹の巣を見つけて鷹の飼育や調教・鷹の公儀献上・巣山の管理および巡視等を、木曽代官山村家の家臣や土地の人々の手助けも得て、行なっていた。
木曽谷中に六十余あった『巣山』といわれていた御巣鷹山木曽川の上流では、味噌川にある池ノ沢・尾頭沢と笹川の押出の三ヶ所であった。
厳しい自然環境のなかに棲みつき育った当地の鷹は優秀であり、生まれた幼鷹とともに鷹狩を好む尾張藩主をはじめ、将軍家に人気があったといわれている。」

13:35 飛騨街道追分
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案内板
「 飛騨街道追分(分岐点)

藪原は中山道の宿駅として発達した。
この場所には十王堂(薬師堂)があって、奈川を経て野麦峠・飛騨高山に通ずる飛騨街道(奈川道)の追分だった。
左手の細い道が旧奈川道で、小木曽地域を抜けると美濃と信濃の国境であったことから境峠といわれるようになった峠がある。
当時この峠は険しい道で、木曽側は湿地であり板橋を掛けてわたった。いっぽう、奈川側も岩石だらけの悪路で馬を使うことが困難であった。
かわりに、もっぱら尾州陸舟(おかふね)と呼ばれた奈川の牛が飛騨ぶりの魚介物や塩等の荷物の運搬に使われていた。
明治四四年に中央西線が開通すると、この街道は岡谷の製糸工場で働く飛騨の女工達がひんぱんに往来するようになった。 」

右へ折れて左へ折れ、跨線橋
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津島大社
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跨線橋が見えてきました。
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13:38 津島大神水
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13:38 跨線橋を渡ります。
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13:39 葛沢橋
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13:41 藪原本陣跡
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木曽氏の家臣の古畑十右衛門邸の本陣で、木曽11宿で最大の規模だったそうですが、今は「おぎのや」の駐車場になっていて、標柱がなければ昔を偲ぶものはなにもありません。

おぎのやは蕎麦屋さんで、この日は定休日で暖簾が出ていませんでした。
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米屋與左衛門(旅館)
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造り酒屋(湯川酒造店)
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水場
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13:43 防火高塀跡
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案内板
「 防火高塀跡

元禄八年七月(1695)藪原宿のほとんど全部が焼失する大火があった。その後、防火対策として宿再建の際各戸一間につき一寸の割合で提供し合って上横水と下横水(現在の二又)の二箇所に四ツ辻の広小路を作った。
文化年間にはさらに中心街の火災に配慮して、上横水の広小路には北側に土を盛り石垣を築きその上に高い土塀を作って防火壁とした。当時、これを『高塀』と呼んでいた。宮田敏の『岨俗一隅』にはその様子が伺える絵図が載っているが、現在、石垣の一部のみが残されている。
消火設備が十分でないどの宿場も火災には神経を使っており、用水路の工夫や建物に卯建(うだつ)を付けるとか火除け広場を確保するなどしている。
この藪原宿のような防火高土壁によるのは少ない例である。 」

13:43 街道にぎわい水車
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燕型屋号看板(おおぜにや)
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北原製菓店
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13:45 水場
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宮川漆器
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「しんおおざかや」と「なすや」
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13:47 二又の水
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お六櫛製造 萬寿屋本店(篠原商店)
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13:49 高札場跡
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案内板
藪原宿高札場跡

江戸期になると、幕府中心の幕藩体制が確立した。その情報伝達方法として『高札場』が、都市・宿場・在郷等に設けられました。
初期には法度や掟書きなど老中交替の都度高札として出された。正徳年間以降(1711~)変更のないのはそのまま『定札』として幕末まで維持された。他に『覚』等の高札もあって時期により掲示枚数が違う。
藪原宿の高札場(御判形とも呼んでいた)は高さ二間三尺幅二間四尺の建造物で、この場所にあった。
左にくだる坂道(旧中山道)一帯を出口といって京方からの宿場入り口のあたり、ここが鍵の手(枡形)のような道になっているため人々が集まり目につき易い所だった。掲示の高札は宿場町らしく、定三札(人倫・徒党・切支丹)と駄賃札等が主流だったと思われる。木祖村郷土館には、当宿場に掲示されていた幕末期の 定三札の一つがある。 」


13:50 右の下り坂へ
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13:52 延命地蔵
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13:54 橋を渡りました。
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藪原駅
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13:56 藪原の一里塚跡とD51
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案内板
中山道一里塚

一里塚は江戸時代 主要街道に江戸日本橋を起点として一里(約四粁米)ごとに設けた里程の塚である。
築造は慶長九年(西暦一六〇四)とされ道路の西側五間四方に高さ一丈(約三米)ほどの土を丸く盛り上げその上に榎や松を植えた。
村内の一里塚はこの藪原と吉田(江戸から六十七里 京から六十九里)の二箇所にあった。日本橋京都三条大橋を結ぶ中山道六十九次百三十五里二十三町の凡そ中程にあたり旅人の安息と利便を与えた場所である。
現在は時代の推移により、その原形は見られない。この位置を一里塚と呼びその名をとどめている。
木祖村教育委員会

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14:01 突き当たりの国道26号線を左折し、藪原架道橋(JR中央本線)を潜りました。
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14:05 藪原交差点で国道19号線に合流
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国道から木曽川を見下ろします。
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14:18 左斜めに旧道に入る。
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旧国道。草が生えています。
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14:25 国道19号線と合流
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2度目の中山道15日目の5(宮ノ越宿)に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2020/08/17/115235