岡 朝子の俳句と街道歩き旅

Yahooブログで文章置き場にしていましたが、引っ越してきたので、その後の俳句もぼちぼち更新していきたいと思います。

2度目の中山道六十九次歩き15日目の5(宮ノ越宿)

2度目の中山道15日目の5
3月25日(水)の5


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【吉田洞門】

吉田洞門が見えてきました。
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14:30 吉田同門脇の歩道を進みます。
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歩道から見える山
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吉田洞門の脇の歩道、なかなか長いです。
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でも、もしトンネルの中を歩かねばならなかったら危険だし息苦しいし、洞門脇の歩道、ありがたいですね。山も綺麗にみえるし。

14:37 石仏石塔群
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12年前に初めて東海道を歩き始めた頃は、石仏石塔群は、何らかの意味をもってその場所にたくさん建てられたものだと思っていました。鎮魂とか、その場所が神聖であるとか。でも、ほとんどの石仏石塔群は、人間の都合で、道路工事や区画整理などで移動せざるを得なくなった石仏や石塔が、一ヶ所に集められてしまったものなのです。もちろん、意味をもってそこに建てられた石仏や石塔もありますが。

14:40 石仏石塔群
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14:45 吉田橋を渡る
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【旧国道】

14:46 渡ったら、左の旧道へ
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旧道が国道に突き当たり、国道を横断して、その先また旧道に入りました。
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完全に使われていない道なので、真ん中を堂々と歩けますが、落ち葉が積もって、そこに草や木が生えて、荒れ果てていました。
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11年前のブログより

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2009.9.9.

途中、草ぼうぼうの旧国道を歩きました。テンション上がりました。

11年前の旧国道の写真
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14:56 旧国道終点
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14:58 セブンイレブン
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トイレをお借りして、抹茶ミルクもちを買って食べました。


【巴淵】


15:12 句碑
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遥かなる花の薫りや
鴬の声

「時◯」(◯が読めない)という人の俳句と思われますが、この句碑について、特に解説は見つかりません。


森川許六の句碑
  山吹も巴もいでて田うえ哉

がどこかにあるらしいのですが、わかりませんでした。

或いは、「遥かなる花の薫りや鴬の声」の句碑が森川許六の句碑である、という説もありました。

後で調べたら、実は「巴淵」の碑の「巴淵」の字の右側に小さく、「山吹も巴もいでて田うえ哉」と彫ってあるのだそうです。今回私が撮った写真では、碑面が風化して読みにくくなっているので、
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ネットから読める写真をお借りしてきました。(「平家物語への旅http://blowinthewind.net/heike/miyanokoshi.htmから勝手にお借りしました。)
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慕情之碑
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  粟津野に討たれし公の
霊抱きて
巴乃慕情淵に渦まく

千村春潮



15:13 巴淵
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案内板
謡曲『巴』と巴淵

 謡曲『巴』は修羅物の中でも女性を主人公とした唯一の作品です。木曽の僧が滋賀の粟津原に来ると、一人の里女が社の前で泣いている。事情を聞くと『木曽義仲 が討ち死にした場所で、弔って欲しい』という。僧が読経していると、先ほどの女が武装して現れ、『自分は巴という女武者。義仲の供をして自害しようとしたが、女だからと許されなかった』とかたる。巴の霊はその無念さと義仲への恋慕から、成仏できずにいたのだった。
 巴は少女時代、この巴淵で泳ぎ、近くの徳音寺にある乗馬像のように、野山を駆け巡って育った。淵をのぞき込んでいると、そうした巴の姿が彷彿と浮かんでくるようです。

謡曲史跡保存会 」


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案内板
木曽三川 三十六景の一 伝説の残る巴が淵

 歴史が漂うこの渕は、巴状にうずまき、巴が渕と名付けられた。
 伝説には、この渕に龍神が住み、化身して権の守中原兼遠 の娘として生れ、名を巴御前 と云った。義仲と戦場にはせた麗将巴御前の武勇は、痛ましくも切々と燃えた愛の証でもあった。巴御前の尊霊は
再びこの渕に帰住したと云う。法号龍神院殿と称えられ、義仲の菩提所徳音寺に墓が苔みして並ぶ。
 絶世の美女巴は、ここで水浴をし、また泳いでは武技を錬ったと云う。そのつややかな黒髪のしたたりと乙女の白い肌元には、義仲への恋慕の情がひたに燃えていた。
 岩をかみ蒼くうずまく巴が渕、四季の風情が魅する巴が渕。木曽川の悠久の流れと共に、この巴が渕の余情はみつみつとして、今も世の人の胸にひびき伝わる。

蒼蒼と巴が渕は岩をかみ
黒髪愛しほととぎす啼く

木曽町 」

11年前のブログより

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巴淵は、木曽義仲の恋人、巴御前ゆかりの淵で、エメラルドブルーの水をたたえ、とてもきれいでした。
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巴御前はこの巴淵の近くの出身ですが、この淵に住む龍の化身という伝説もあるそうです。

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15:16 巴橋を渡ろうとしたら、橋の上にいた軽トラが、渡るのか渡らないのか止まるのか、動きが不審で、脇を通り抜けるのが怖かった。
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【南宮神社手洗水から葵橋】

15:17 南宮神社手洗水
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案内板
「 南宮神社 手洗水

往昔木曽義仲公鎮守南宮
神社手洗水也唱来發年歷
事歎今新石船造立仕者也

月 日 願主 村中 」

この漢文は、石碑に刻まれているものです。


15:21 道祖神
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15:23 有栖川宮小休所跡碑
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15:24 徳音寺南バス停(ここを右折)
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15:30 葵橋を渡りました。
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こんな道を歩きます。
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15:36 道祖神
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15:36 義仲館への分岐
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今回は義仲館には行きませんでしたが、11年前には立ち寄りました。

11年前のブログより

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ちなみにその先の義仲館の休憩所で栃餅とコーヒーで休んでいたら、サービスで山盛りの漬け物と茹でトウモロコシ一片出してくれて、美味しくて腹一杯になりました。

その先、宮ノ越宿は、大火で焼けてしまい、昔の面影はほぼ残っていませんが、旅籠田中家が、火事のとき運び出された家具を元に復元されています。

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宮ノ越本陣跡】

15:39 宮ノ越本陣跡(冬季閉館中)
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案内板
宮ノ越宿 本陣 Miyanokosijuku Honjin

宮ノ越宿は、慶長六年(一六〇一)徳川幕府中山道整備の時、藪原宿と福島宿の間が遠いので、江戸から三十六番目の宿 として新設され、明治三年(一八七〇) の宿駅制度廃止まで続いた。
天保十四年(一八四三)の本陣絵図によると、街道に接する間口十二間、奥行二十六間の敷地内に、道に面して本陣問屋を兼ねる主屋、三間離れ位置をずらして大名が休泊する客殿が別棟である。客殿に入るには薬医門 を入って主屋に隣接する庭を十二間入って式台玄関がある。十八畳の大広間の奥に上段の間や控えの間、大広間の隣は廊下を挟んで料理の間があり、整った本陣の造りである。
宮ノ越宿は何度も大火に遭っており、絵図の本陣は元治二年(一八六五)の大火 で焼失したがすぐに再建された。
明治十三年(一八八〇) の明治天皇中山道巡幸の折この本陣に小休止され、明治一六年(一八八三)の大火では主屋 が焼失するが客殿部は残った。 その後生活の場として一部改造されるが、木曽十一宿中で唯一現存し、明治天皇も休まれた部屋がそのまま残る貴重な建物である。

木曽町 」
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15:40 町川用水
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15:41 脇本陣問屋跡
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【田中邸】

15:43 田中邸
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案内板
宮ノ越宿 田中邸

■田中家(旧田中邸)の概要
中山道宮ノ越宿の田中家は、宿絵図に旅籠屋田中忠右衛門と記された旅籠であったが、明治十六年(1883)の上町から下町まで九十戸を焼失する大火で焼失した。
現在の建物は、大火時に搬出された建具類と、隣村から運んだ建物部材を使用して再建されたものと伝えられており、背の高い差鴨居を多用しているので、移築した建物の建築年代は幕末期と考えられる。また、入り口周りの痕跡からみると、間口四間ほどの建物の土間部分を狭くし、間口を縮めて移築したものと考えられる。現在の間口は三間四尺あるので、宿絵図に記された三間より広く、大火により町割の再編がされとことがうかがえる。建物は大きな改築をすることなく住宅として使用されてきたが、平成九年に旧日義村へ寄贈された。
田中家主屋は、間口三間四尺、奥行き八間の二階建てで、二階を三尺張り出した出梁造り(だしばりづくり)の建物であり、一階の格子と二階の障子戸の対比が美しい伝統的な宿場の建築様式を伝えている。
間取りは、大戸の入り口を入ると通り土間があり、片側に一列に十畳、勝手(六坪余)、十畳がある。二階には勝手にある箱階段から上がり、勝手の囲炉裏部分は吹き抜けとして、他は表から裏まで間仕切りの無い一室になっていた。
入り口の持ち送りは、波しぶきの彫もしっかりとしていて、宮ノ越大工の腕の確かさを証明している。
平成二十六年の修復復元工事にあたり、古い部材の再使用など建築当時の姿を保つよう配慮しながら、奥の縁側に階段を新設したほか、入り口の十畳は土間へ改装し、構造補強の壁を追加するなど、交流の場としての活用を目的とした改装を行った。

宮ノ越大工
江戸時代(嘉永元年)の宮ノ越村では、二七九軒のうち六二軒が大工・杣・木挽きであった。隣村である原野村にも大工が多く、彼らは棟梁を中心に七~八人で『一手合』という集団を作り、諏訪や松本などの近隣はもとより、甲州三河駿府などへ出かけ、各地の社寺や民家の建築に携わった。

民家の持ち送りに彫刻を施したものがみられるが、これらは大工棟梁から施主建築主への祝儀として贈られたものであった。

■江戸末期の田中家に関する考証
江戸末期から明治初期の作図と考えられる宮ノ越宿の宿場建物図が残されており、この図から読み解いた当時の田中家の特徴は以下のとおり。

(1)間口は三間(現在は三間四尺)。間口が狭く奥行きの長い町家建築。
(2)周辺の建物では比較的規模が大きく、庭や設備も充実しており、宮ノ越宿下町の中では中心的な旅籠であったと考えられる。
(3)中庭が特徴的で、中庭の奥に厠、湯殿が配置されている。
(4)奥に通じる直線の土間、囲炉裏、流しの位置など基本構成は現在の建物と同様であり、当時の建物利用と建築様式を良く伝えている。
(5)建物内部には壁が少なく、ほとんどが建具で仕切られていた。
おそらく二階建てであったと考えられるが、階段が記載されていないのは、当時階段は家具であったことの表れと考えられる。
おそらく、旅人は街道に面した板の間を通り、勝手にあった箱階段を利用して二階に上ったことであろう。

木曽町 」


この案内板に出てくる「持ち送り」をwikipediaで調べてみました。


持ち送り wikipediaより

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持ち送りまたはコーベル(corbel)は、壁から突き出した石などの構造物で、その上に張り出した重量を支持する。持出し、持送り積み、受け材とも。同じ構造でも木でできたものは、「梁受け (tassel)」と呼ぶ。持ち送り構造 (corbelling) は、一連の持ち送りを壁に深くかみ合わせて、張り出した壁や手摺を支持する技法で、新石器時代から使われてきた。

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連子格子が美しい家
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15:44 明治天皇御膳水
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田中家のすぐ先に井戸が復元されています。

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案内板
「 井戸の由来

この井戸は、江戸末期(一八六六年頃)町内の飲用水を得るために掘られ昭和初期まで近郷随一の名水として永く人々の生活をささえてきました。その後水道の普及により廃止されました。井戸の石積は当時のままの姿を残して降ります(道径一・一m、深さ八・〇m)。明治十三年六月(一八八〇)明治天皇中山道ご巡幸のみぎり、旧本陣にお小休みされた際この井戸水をもってお茶を献上されました。以来明治天皇御膳水と呼ばれるようになりました。現在の建物は町内の旧跡保存の熱意と村の援助により復元されたものです。

     平成七年四月  
宮ノ越 下町組 」


15:46 石仏石塔群
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15:53 宮ノ越の一里塚跡
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案内板
「 宮越 一里塚

 慶長六年(1601)、江戸幕府は江戸と各地を結ぶ五街道を整備し、宿を設置した。街道には日本橋を起点にし、一里(約四km)ことに塚(直径約九m、高さ約二m)を作らせた。一里塚 の土には榎・松・杉などが植えられた。街道の松並木と区別するため余の木を植えよと言ったのを聞き違えて榎を植えたという逸話がある。一里塚に植えられた木が旅人の距離の目安となり、木陰が休み場となった。
 宮越宿 と藪原宿 の間には木祖村吉田に、宮越宿と福島宿 の間には宮ノ越下島と福島上田の出尻の二箇所に一里塚があった。下島一里塚は道路工事で削平され形が残っていない。

平成二十七年三月 
NPO法人木曽ユネスコ協会

説明文 日義中学校三年生 山本世津子 」


16:03 第二中仙道踏切を渡りました。
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16:04 石塔
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16:06 山がきれい
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こちらの写真は、原野駅の近くから見えた雪山。木曽駒ヶ岳と思われます。


16:13 石仏石塔群
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16:14 石仏石塔群
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この付近からも山がきれいに見えます。
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16:21 原野駅
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16:46発に乗って、16:51 に木曽福島
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今夜は木曽福島に泊まります。
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今夜のご馳走。
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本日の歩数 41,504歩 30.44km



2度目の中山道16日目の1()に続く