紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

飛騨街道追分(分岐点)

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案内板
「 飛騨街道追分(分岐点)

藪原は中山道の宿駅として発達した。
この場所には十王堂(薬師堂)があって、奈川を経て野麦峠・飛騨高山に通ずる飛騨街道(奈川道)の追分だった。
左手の細い道が旧奈川道で、小木曽地域を抜けると美濃と信濃の国境であったことから境峠といわれるようになった峠がある。
当時この峠は険しい道で、木曽側は湿地であり板橋を掛けてわたった。いっぽう、奈川側も岩石だらけの悪路で馬を使うことが困難であった。
かわりに、もっぱら尾州陸舟(おかふね)と呼ばれた奈川の牛が飛騨ぶりの魚介物や塩等の荷物の運搬に使われていた。
明治四四年に中央西線が開通すると、この街道は岡谷の製糸工場で働く飛騨の女工達がひんぱんに往来するようになった。 」