紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2度目の中山道六十九次歩き6日目の2(板鼻宿)

2度目の中山道6日目の2
3月14日(土)の2


f:id:asiandream0804:20200519170301j:plain

安中市 寒念仏橋供養塔】

10:00 寒念仏橋供養塔
f:id:asiandream0804:20200519170437j:plain
f:id:asiandream0804:20200519170555j:plain
案内板
「 寒念仏橋供養塔

安中市指定史跡
昭和五二年一二月二二日指定

板鼻宿の念仏講中が寒念仏供者で得た報謝金を蓄積し、享保七年(一七三ニ)に石橋を改修し、旅人の利便に供した。
その後年月を重ねて破損したので、享和二年(一八〇二)板鼻宿の木嶋七郎左衛門が亡父の遺志を継ぎ、堅固な石橋に改修し、その近くに供養記念塔を建て、後世に遺したものである。地元ではこの石橋を『かねつ橋』と呼んでいる。

正面
「坂東
秩父
西国 橋供養 」
右側面
「享和二年壬戌春三月
木嶋七郎左衛門毘頼」
左側面
「奉若先考遺命夙夜欽念不敢廃肆須石于
問埜爱建斯橋煙享既往攸詣関西既山東
佛陀於橋上永祷行渡聊立石記歳月」
裏面
「 信州伊奈郡福嶋村
石エ
三澤染右衛門吉徳 」

この塔が建てられた直後に、中山道を旅した太田南畝、別名野山人がその著『壬戌紀行』の中で、『板鼻川の橋を渡れば板鼻の駅 むげに近し。駅舎をいで、麦畑の中を行けば石橋あり、新建石橋、木嶋七郎左衛門供養塔といえる石たてり。げに累々たる石佛をつくらんよりは、橋たてし、功徳はまさりぬべし」とほめている。なお、この供養塔は国道十六号の拡幅工事のため板鼻堰用水路沿いにあったのをわずかに現在地に移動したものである。

安中市教育委員会


供養塔の左側面の二行目の後半「 詣関西既山東之」の後ろから四文字目は、此処では「既」 と書いてありますが、変換できなかっとので暫定的に「既」としてありますが、左側面に刻まれている文字は「既」ではなく、「既」の下側に「旦」という字です。上が「既」下が「旦」という、一文字です。


10:08 板鼻下町交差点
f:id:asiandream0804:20200519222143j:plain
ここから斜め右に入ります。

f:id:asiandream0804:20200519222210j:plain
分岐の先、整地された空き地。これからここに何か出来るのでしょうか。

その先の分岐を左へ。右への道はガイド本にはない道です。
f:id:asiandream0804:20200519222239j:plain

10:12 中山道道標
板鼻宿0.5km →高崎宿5.6km
f:id:asiandream0804:20200519222304j:plain

10:14 石仏石塔群
f:id:asiandream0804:20200519222337j:plain
f:id:asiandream0804:20200519222403j:plain
案内板
「 双体道祖神

双体道祖神は寛政4年(1792年)のもので祝言形(夫婦和合)です。台座には、『当駅より京へ107里3丁、江戸へ21里半丁、日光へ37里、善光寺へ37里、榛名山へ5里、妙義山へ4里半、加州金沢へ92里半』と旅程が刻まれています。 」


10:16 石仏石塔群 庚申塔と地蔵様
f:id:asiandream0804:20200519225914j:plain

10:20 「榛名道道標」
f:id:asiandream0804:20200519225845j:plain
正面「やはたみち」
南面「はるな くさつ いかほ ***み」

「***」は読めません。


板鼻宿

10:23 板鼻館
f:id:asiandream0804:20200520120307j:plain

板鼻館の消火器
f:id:asiandream0804:20200520120336j:plain

食べログ掲載のお店のPRより

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

登録商標

創業以来百有余年の歴史を誇る板鼻館のカツ丼、平成生まれのタルタルカツ丼を是非ともご堪能下さい。

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑


この先右側、木島本陣跡があるはずなのですが、コロナ禍で閉まっていたから気づかなかったのか、どこかわからないまま通りすぎてしまいました。

11年前のブログより

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

公民館が本陣跡で、奥の資料館にここに宿泊した皇女和宮についての展示がありました。資料館は無料で見られますが、声をかけて鍵を開けてもらいます。昔の書院を資料館として使っています。

和宮の下向ルートはほぼ中山道でしたが、花嫁道具の輸送ルートは東海道だったことが、資料で分かりました。

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

10:29 八坂神社の双体道祖神
f:id:asiandream0804:20200520140609j:plain
案内板
「 八坂神社の双体道祖神

f:id:asiandream0804:20200520143131j:plain

この双体道祖神祝言形(夫婦和合) です。子宝祈願・安産祈願の碑で、男は盃、女は徳利(とっくり)を持ち、仲睦まじく肩を寄せ合っています。 」

f:id:asiandream0804:20200520143231j:plain
双体道祖神の隣には猿田彦や○○金剛が並んでいます。下の写真の左の木造の社のようなものは、神輿の収納庫です。
f:id:asiandream0804:20200520143303j:plain


板鼻宿外れから安中宿への道】

10:37 鷹巣神社
f:id:asiandream0804:20200520143933j:plain
f:id:asiandream0804:20200520144012j:plain
案内板
鷹巣神社

鷹巣神社は鷹巣山の崖の上に鎮座する板鼻の総鎮守です。明治後期に、板鼻宿のほとんどの神社を合祀しました。現在は門と石宮が現存しています。 」


10:39 鷹之巣橋(碓氷川)を渡りました。
f:id:asiandream0804:20200520144058j:plain
鷹之巣橋を渡る手前右の方に板鼻宿渡し場跡があるそうです。(11年前は見たのですが、今回は渡し場跡を見ませんでした。)

10:45 中宿歩道橋を渡って右へ。
f:id:asiandream0804:20200520144300j:plain

10:54 庚申塔道標 享和二年(1802)の建立
f:id:asiandream0804:20200520144346j:plain
「従是一宮大日街道」

10:59 中仙道道標を右へ
f:id:asiandream0804:20200520144445j:plain

11:01 中山道道標
←安中宿1.2km →板鼻宿1.2km
f:id:asiandream0804:20200520144632j:plain
その向かい合わせに

道祖神・蠶養神(養蚕の守護神)
f:id:asiandream0804:20200520144703j:plain
f:id:asiandream0804:20200520144730j:plain

11:02 馬頭観音 寛政十年(1798)建立
f:id:asiandream0804:20200520144809j:plain
三面六臂(顔が三つ腕が六本)馬頭観音

11年前は、多分この辺りだと思うのですが、安中駅付近の工場が見えたのですが、今回は見えませんでした。

11年前のブログより

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

板鼻宿を抜け、碓氷の渡し場跡を左折して高之巣橋を渡り、その先、右折して小さい橋を渡ると、遠くにハウルの動く城みたいな要塞のような物が見えました。安中の亜鉛精錬工場だそうです。

Y字の右側の静かな道を行くと、道祖神が点在する辺りを左へ右へと曲がり、国道に合流するとやがて久芳橋で、ちょうど正午の時報がウ〜ウ〜と鳴り響きました。

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑


11:09 ひさよしはし(久芳橋 碓氷川)
f:id:asiandream0804:20200520144852j:plain

11:13 下野尻歩道橋
f:id:asiandream0804:20200520144934j:plain
斜め左の安中市街方面へ。
f:id:asiandream0804:20200520145013j:plain


2度目の中山道6日目の3(安中宿)に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2020/05/21/152700

f:id:asiandream0804:20200519170342j:plain


二度目の中山道六十九次歩き目次の目次
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/03/21/084003