2度目の中山道9日目の1
2020年4月6日(月)の1
【八幡宿入口バス停からの出発】
5:30 起床
7:00 朝食
8:45 明治屋旅館をチェックアウト。
中山道歩きで使ってください、と、ペンライトをいただきました。
御代田9:07発 しなの鉄道 410円
9:15 小諸着 9:20発 JR小海線
9:34 佐久平着 2階のベンチで時間潰し
10:00 に時報のチャイムが鳴り、「うたの街」4回演奏されました。
佐久平駅 10:21発 バスに乗りました。
バスの車内に、桜の花(造花)が盛り盛りに飾られていて、信州のこの辺り(佐久市、立科町)は桜はまだ咲かないので、このディスプレイで気持ちが華やかになって、素敵なおもてなしだと思いました。
10:37 八幡入り口バス停まで 460円
乗ってきたバスを見送ります。
八幡入り口バス停から歩き始めます。
私からすると、ここは八幡宿出口です。
降りたバス停から、道の反対側に渡ると道標がありました。
斜め右の道に進みます。
10:39 馬頭観音
10:40 地蔵尊
10:41 今日も浅間山が綺麗に見えます。
10:51 中部北陸自然歩道道標
←茂田井宿5.5km 塩名田4.1km→
←笠取峠11.2km
10:51 右の旧道へ
こんな道を進んで行きます。
10:56 祝言道祖神(百沢)
案内板
「 祝言道祖神(百沢)
長野県安曇地方で発生した道祖神 で、宮廷貴族の装いをした男女が酒を酌み交す華麗な祝言像である。
安曇系は主尊が日本神話の神々で、着衣も神々の装束で造像されるのが通例であるが、この道祖神は宮廷貴族風の精緻な造像である。
発祥地安曇地方にも類例のない貴重な遺産である。
10:57 青い倉庫の前の旧道へ
10:58 県道に合流
県道と平行な道
10:59 百沢バス停
この階段から県道に降ります。
11:04 中部北陸自然歩道道標
←茂田井宿4.7km 塩名田4.8km
←笠取峠10.5km
11:04 斜め右へ
11:08 石仏
11:09 この辺り、ガイド本とは違うみたいです。
旧中山道の道が崩れたり危険だったりすると、安全な道へ誘導されることはよくあります。
【瓜生坂一里塚】
11:17 瓜生坂の一里塚
案内板
「 中山道瓜生坂の一里塚
慶長九年(1604)徳川家康 は、大久保長安を総奉行として五街道の大改修をし、江戸日本橋を起点として一里(約四キロ)ごとに道の両側に方五間の一里塚 を築き、その上に榎を植えさせた。ここは南方の一里塚跡で北方の塚は、道路で半分削られているが、斜面上方に位置している。瓜生坂の一里塚の手前は、塩名田宿のはずれにあり先方は、芦田宿 手前の茂田井間宿に位置している。
11:20 瓜生坂の百万遍念仏塔
百万遍とは「南無阿弥陀仏」を百万回唱える念仏行事である。念仏の回数が多いほど功徳があると信じられ、その達成を記念して造立されたものである。
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①極楽往生を祈願して、七日間に一〇〇万回念仏を唱えること。
②浄土宗で衆僧または信徒が集まり、弥陀の名号を唱えながら一〇八〇顆かの大数珠を一〇〇回繰り回す仏事。知恩寺の行事として名高いが在家でも行われた。百万遍。
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下り坂の木の間隠れに望月宿の町が見えます。
ずっとトイレを我慢していましたが、
11:30 トイレがありました。
11:31 中部北陸自然歩道道標
←茂田井宿3.3km 塩名田6.2km→
←笠取峠9.1km
11:31 右下へ。
【長坂の石仏石塔群】
11:33 石仏石塔群
11:34 石仏石塔群
11:34 長坂の馬頭観音
11:36 長坂橋
11:38 馬頭観音
【望月宿】
11:40 旅館 島田屋
曲がり角に素敵な家
11:41 中部北陸自然歩道道標
←塩名田6.5km 笠取峠8.8km↓
11:42 望月バスターミナル
11:43 落花生の熊谷商店
11:43 大和屋呉服店
11:45 井出野屋旅館
11年前はこの井出野屋旅館に泊まりました。
11年前のブログより
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2009.4.19.
17時20分頃、井出野屋旅館に入りました。
大正5年築の三階建ての建物です。
風呂は大きくて気持ちよく、夕飯は馬刺し、鯉の煮付け、鯉のあらい、きのこおろし、山菜天ぷら、ヤマメ塩焼き、信州そば、香の物、ご飯。
部屋で一人で食べたので、「おっ、この馬刺しはとろけるねえ。鯉の煮付けは身がしまって、味は濃いめで…でも骨が多いから気をつけないと。おっ、大根おろしが緑色だ。木の芽じゃないし…馬刺しのツマの大根も緑ってことは、大根そのものが緑なんだ。珍しいねえ。鯉のあらいも酢味噌との相性がいい。鯉の玉子は固くて味が濃くてしっかりしていて…鱈の子がたらこなら、鯉の卵はこいこ?味が濃いから泥臭くない。濃い鯉子…こいこいこ、ですねえ」…と、ひとり食いしん坊万才!をしていました。
隣のお客様、19時には大いびき。熟睡すればいびきは消えるかと期待しましたが、夜中までいびきは続きました。
それでも、23時過ぎに布団に入った私は、たぶん瞬間に眠りに落ちました。
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井出野屋旅館は、石坂浩二主演の映画「犬神家の一族」のロケに使われた建物で、大正時代に建てられたそうです。
また、「君を忘れない」(木村拓哉・水野真紀・反町隆史出演)という映画の撮影にも使われたそうです。
大正期には料亭を営んでいて、1965年から旅館を始めたそうです。
11:45 山城屋旅館
おもてなしHRより
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御宿・山城屋は、群馬県との県境に位置する、長野県東信地方の佐久市にあります。"佐久市は、浅間・荒船・八ヶ岳・蓼科の雄大な山なみと、千曲の清流、満天の星に抱かれ、豊かな自然や先人の築いた歴史と伝統に育まれた、美しい高原のまちです。"(佐久市公式HPより引用)望月宿の旅籠のひとつだった「山城屋喜左衛門」が、現在でも「御宿山城屋」として旅館業を営んでいるそうです。建物が完成したのは1881年で、玄関を入ったところが2階まで吹き抜けの天井になっているそうです。大正期に建てられた奥の建物の客室や、明治期に建てられた街道に面した建物の奥の部屋など、趣ある雰囲気の客室が魅力の宿のようです。※2019年7月4日時点
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11:47 佐久市立望月歴史民俗資料館
11:47 商工会館(公衆トイレがあります)
11:47 大森小児科医院(御本陣)
JA佐久浅間ホームページより
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郷土探訪 【佐久市】
中山道望月宿は江戸から25番目の宿場町で、街道沿いには、格子戸やうだつ、出桁造りの旧家や土蔵など、情緒ある町並みが残されており、宿場町の面影を今に伝えています。
宿場の中ほどには、本陣を務め宿の開設に尽力した大森家(現・小児科医院)があり、隣接する旧本陣跡地には望月歴史民俗資料館が建てられています。同館には、貴重な古文書や絵図のほか、平安時代から室町時代まで献上された望月牧の貢馬に関する資料や養蚕業の歴史などが展示されています。本陣の周辺には、江戸時代末期創業の旅籠屋で現在も旅館を営む山城屋、脇本陣の鷹野家、旅籠屋兼問屋を務めた真山家・大和屋などがあります。真山家の建築年は明和3年(1766)で、江戸時代中期の宿場建築の貴重な遺構として国重要文化財に指定されています。
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11:48 脇本陣 鷹野
11:48 笹屋
JAPAN GEOGRAPHICより
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大森小児科医院にかかっている御本陣の木の看板は書道家によるものです。望月宿には「屋号看板マップ」があり(資料に写真があります)、その表によると石飛博光氏の書によるそうです。叶屋、あさや、笹屋もこの方の書。著名な方のようです。
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石飛博光 wikipediaより
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石飛 博光(いしとび はっこう、1941年 - )は、日本の書家。本名読み・ひろみつ。
北海道生まれ。北海道赤平高等学校卒業後上京し、1960年より金子鴎亭に師事。64年東京学芸大学書道科卒業。駿台学園高等学校、千葉県立松戸高等学校の教員を務める。88年、89年日展特選連続受賞。96年、2004年日展審査員。96年、04年、08年NHKテレビ「趣味悠々」講師。日展会員、全日本書道連盟常務理事、毎日書道会理事、創玄書道会理事長。2011年、第53回毎日芸術賞受賞。自らの創作活動のみならず、各メディアでの書道の啓蒙活動や書写教育への取り組みにも積極的である。
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11:48 重要文化財 真山(さなやま)家(大和屋)
佐久市ホームページより
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旅籠「大和屋」の真山さなやま家は問屋も兼ね、名主だった。明和2年(1765)に建てられ、国の重要文化財に指定されている。堂々とした造りの建物にしっくいの看板「やまとや」の文字に往時の繁栄ぶりをうかがわせている。
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11:51 大伴神社
急な何段もある石段に、今回はパスしましたが、11年前は階段を上って境内へ行きました。
11年前のブログより
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2009.4.20.
望月宿外れの大伴神社へ。景行天皇が開いた古い神社とのこと。先を急ぐから、60段の階段は上らないつもりでいたら、境内の石仏群には面白いものもある、というので、結局60段上って石仏を見にいきました。
11年前に撮った石仏
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この先、右にそれて旧道に入るはずだったのですが、分岐に気づかずに進んでしまいました。(帰りに通りましたので、旧道の石仏は後程載せます)
11:55 御桐谷(おとや)交差点
12:00 逆「つ」の字に左上に上って行きます。
【茂田井宿までのフィールド】
12:01 馬頭観音(風化しています)
12:03 トイレがありました。今回は通過
12:04 桜の枝が折れていました。
桜を回り込んで右へ上がりました。
12:05 坂を上ってくると、望月宿からは見えなかった浅間山が見えました。
12:06 寒念仏供養塔
12:08 国道142号線のガード下を潜りました。
12:11 「美味しーらんぼ」という食堂の横を通りました。11年前は普通に営業していたようですが、今回は閉店してだいぶ経つように見えました。
11年前のブログより
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道を歩いていたら、お食事処の名が、「しいらんぼ」という店があり、椎の実の絵が描いてあったので…椎とさくらんぼからの連想の造語なのか、この地方では、椎の実をしいらんぼと言うのか…
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望月町(もちづきまち)は、かつて長野県北佐久郡にあった町。2005年(平成17年)4月1日に(旧)佐久市、臼田町、浅科村と合併し、(新)佐久市の一部となった。
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doronokisha.blog.より
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2009.5.18.
望月町は合併で多くを失ったが、「望月」の名は学校名だけに残った。合併条件で旧佐久市から「小学校を統合してこい」と言われた最後の望月町長は「はいはい」と、地域の伝統とその中心であった4小学校を合併した。春日小学校、布施小学校、本牧小学校は廃校となって、今年も美しい桜が寂しく咲いていた。そして、旧協和小学校の地に統合された「望月小学校」が新築開校した。昨春、校舎だけができて統合され、校庭と体育館が整ってスタートしたのは今年のことだ。
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望月町に関するwikipediaによると、望月町が合併で佐久市に吸収されたのは2005年4月1日ですが、望月町の4小学校が合併統合されて望月小学校が生まれたのは、2009年4月のようです。
本牧小学校は廃校になり、校舎は取り壊されたようですが、校門の美しい桜は残されているそうです。
バス停前に、ランドセルを背負った小学生が並んでいました。
12:14 御巡見道標
12:17 ぐんぐん坂を上ります。
12:24 にごり池
緩く下ります。
2度目の中山道9日目の2(茂田井宿)に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2020/06/23/115035
二度目の中山道六十九次歩き目次の目次
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/03/21/084003