岡 朝子の俳句と街道歩き旅

Yahooブログで文章置き場にしていましたが、引っ越してきたので、その後の俳句もぼちぼち更新していきたいと思います。

2度目の東海道五十三次歩き16日目の2(鳴海宿)

2度目の東海道16日目の2

5月29日(水)の2

f:id:asiandream0804:20200207064248j:plain


【平部町常夜燈】

9:40 MINISTOPで休憩

アップルマンゴーパフェ350円
f:id:asiandream0804:20200127081940j:plain

9:49 平部(ひらぶ )町常夜灯
f:id:asiandream0804:20200127081926j:plain
案内板
「 平部町常夜灯

鳴海宿の東の入口である、平部町に建てられたものである。
表に「秋葉大権現」右に「宿中為安全」左に「永代常夜燈」裏に「文化三丙寅正月」の文字が刻まれている。
文化3年(1806年)に設置されたもので、旅人の目印や宿場内並びに宿の安全と火災厄除などを秋葉社(火防神)に祈願した。
大きく華麗な常夜燈であり、道中でも有数のものといわれ、往時の面影を偲ぶことができる。

名古屋市教育委員会

9:53 金剛寺
f:id:asiandream0804:20200127082000j:plain

9:57 瑞泉寺
f:id:asiandream0804:20200127082018j:plain
瑞泉寺HPより

↓↓↓↓↓↓↓↓↓

龍蟠山(りゅうばんざん)瑞泉寺は、釈迦牟尼如来を本尊とし曹洞宗大本山総持寺の直末である。
応永三年(1396年)今を去る620余年前、当時、根古屋城主安原備中守源宗範(むねのり)の創建で、総持寺二祖峨山(がさん)禅師の法嗣大徹禅師を請して開山とする。
開基宗範は剃髪(ていはつ:髪を剃ること)して瑞松居士と号し、そのまま「瑞松寺」となりました。
その後70余年を経て、応仁文明の間、兵火に罹り(かかり)、焼失しました。
初め平部(ひらぶ)諏訪山にあったが、七世昌覚和尚代、文亀元年(1501年)現在地に移し、寺号を瑞祥寺と改め、更に、享保年中(1716年)尾張侯瑞松院女君の諱(いみな:真の名前)を避けて「祥」を「泉」と改め、「瑞泉寺」としました。

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑


【千代蔵と枡形】

9:59 千代倉(蕎麦屋)
f:id:asiandream0804:20200127082054j:plain
「緑土地管理」の札が出ていたし、全く営業淳二の雰囲気も見えないため、ここは元蕎麦屋さんで、古民家を利用して古民家カフェでも開きませんか?というような、借り手または買い手を探している発見なのかと思い込んで通りすぎたのですが、実は営業している現役のお蕎麦屋さんみたいです。1日限定8食の、幻の蕎麦屋さんらしいです。

ネットを見ていたら、

「蕎麦人(そばじん)」という方のブログがあり、この方は、「全国各地にあるおいしい蕎麦の食べ歩き」をされていて、2008年1月17日に、ここ、千代倉 夢斉工房を訪れて蕎麦を食べています。

それを読んだ、「そば実践素庵 覚え書き」 の管理人さんが、 2012年4月6日に
千代倉 夢斎工房を訪ねているブログがこちら。

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

千代倉 夢斎工房

全国のお蕎麦屋さん行脚されている方の紹介ブログに、緑区のお蕎麦屋さんがあり行ってみた。
紹介記事によれば、1日8食限定のお店で運が良ければ食べられるかもとのコメントありで、11時20分前に到着。まず売り切れはないでしょう。

 東海道の旧街道鳴海宿と思しきあたりに立地している。両サイドは駐車場?用の空き地で街並みが切れた感じで1軒だけ独立してポツンとある。
お店の構えは華麗とは言わないがなかなか趣があり、鳴海宿の中の1店舗として溶け込んでいる。
袖看板にそばと書かれているだけで、注意しないとつい通り過ごしてしまう。
この紹介ブログの方がどのようにして、このお店を発掘されたのかに興味が行き、きめ細かさにはいつも敬服しています。
玄関のところには、「千代倉 夢斎工房」の看板と「緑土地管理」の看板がかかっています。
11時半に入店して戸をあけた時には、未だ暖簾が椅子の上に置いたままでしたが、そのうちに暖簾と三度笠と雨合羽が表に掛けられました。
開店というか営業中のマークのようです。

  
店内の模様です。確かにかなり昔の調度品が置いてあって机の上には箸箱がおいてあるだけで メニューはありません。
大変シンプルで、「ざる蕎麦」のみのようです。そば粉は、北海道幌加内産で玄そばを仕入れて、手引きの石臼で粉を作っているとのこと。
3~4回篩っているとのことですが、かなり星が目立ちます。趣味が高じて「我流7年目」のお蕎麦屋さんのようで、本業は不動産屋さんか?
我流ということで親近感を感じました。
粗挽きではありますが、香りが少なく感じ、皿に盛ってあり、ざるを使ってなくて水切りがいささか粗っぽい。
未だこれから発展の蕎麦と思いました。

  
そば湯はかなり濃いめで、だまがありましたが、汁とのマッチングはベターです。

千代倉 夢斎工房 名古屋市緑区鳴海町相原町27

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑


10:01 枡形(曲尺手=かねんて)
f:id:asiandream0804:20200127082121j:plain
枡形は、敵の侵入を防いだり、宿場の入り口で大名行列が強烈を整えたり、或いは大名が同時に同じ宿場に居合わせた場合、格下の大名が駕篭から降りて挨拶をしなければならず、主君にそれをさせないように偵察を出したりする、そういう場所でした。

というわけで、桝形を過ぎると、宿場の中心地に入ります。


【本陣跡と如意寺(蛤地蔵尊)】

10:04 町並み
f:id:asiandream0804:20200127082204j:plain

町ぐるみで建物を保存している有松に比べ、鳴海は昭和的な町並みに変わってしまったな、と思ってこの写真を撮ったのですが、実は、左手前の阪野(ばんの電気店)が本陣跡なのだそうです。

以前は阪野家電の車庫前に本陣跡の案内板が立っていたらしいのですが、今は見当たりません。


10:05 如意寺(蛤地蔵尊)
f:id:asiandream0804:20200127082230j:plain
f:id:asiandream0804:20200127082254j:plain

aichitabi.comより

↓↓↓↓↓↓↓↓↓

如意寺の創建は康平2年(1059)に開かれたのが始まりと伝えられています。当初は真言宗の寺院で地蔵寺と称していましたが応永5年(1398)に長母寺無住国師如意輪観音を祀り曹洞宗に改宗、さらに応永20年(1413)に現在の寺号である如意寺に改称しています。本尊である地蔵菩薩像は喘息に御利益があるとして「せき地蔵」と呼ばれ、境内に安置される蛤地蔵は大飢饉になった際、足元から大量の蛤が生まれ出て多くの人々を飢餓から救ったと伝えられています。尾張六地蔵4番。鳴海宿十一ヶ寺5番。四国直伝弘法大師3番。本堂は入母屋、桟瓦葺、桁行6間、正面1間向拝付き。

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑


【鳴海宿の昔を偲ぶ姿】

f:id:asiandream0804:20200127082328j:plain

鳴海は昔を偲ばせる建物はないのかと思ったら、写真のような建物もありました。
f:id:asiandream0804:20200127082409j:plain
f:id:asiandream0804:20200127082444j:plain

絵手紙は、10年前のブログ用に、広重の鳴海宿の絵をモデルに描いたものです。


10年前のブログより

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

鳴海は江戸時代は海の近くで潮の音が聞こえたそうですが、今は海が埋め立てられ、海まで距離があるそうです。

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑


【鳴海寺詣り唄と丹下町常夜燈】

10:11 長翁寺
f:id:asiandream0804:20200127082515j:plain

長翁寺について調べていたら、特にこれといった記事は見つかりませんでしたが、wikipediaにこんな記事を見つけました。

鳴海宿 wikipediaより

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

鳴海は寺の多い街【鳴海寺詣り歌】わらべ唄
東海道の鳴海宿   寺銭用意しなされや   西よりはじまる寺参り
風呂敷かぶりの光明寺   花井小路の長翁寺   ちょっと入った東福院
お腹に仏の如意寺   出たり入ったり誓願寺   三猿がまえ圓道寺
縁の高いは円龍寺   まんまん曲がって万福寺   木林山を真っ二つ
右に構える浄泉寺   中島橋の三つ股を   左に行けば浄蓮寺
右にとれば善明寺   平部はずれの金剛寺   松原越えて四本木の
左に傾く神明社   右に行けば御諏訪社   中におさまる二殿様
越えて絞りの有松の   左に高い天満社   右にとれば桶狭間
信長公の奇襲戦   義元公の首塚に  その霊まつわる長福寺

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

10:15 丹下町常夜灯
f:id:asiandream0804:20200127082540j:plain
案内板
「 丹下町常夜灯

鳴海宿の西口丹下町に建てられた常夜灯である。
表に「秋葉大権現」右に「寛政四年一一」左に「新馬中」裏には「願主重因」と彫られている。
寛政4年(1792)、篤志家の寄進により設置されたものである。
旅人の目印や宿場内の人々及び伝馬の馬方衆の安全と火災厄除などを秋葉社に祈願した火防神として大切な存在であった。
平部の常夜灯と共に、鳴海宿の西端と東端の双方に残っているのは、旧宿場町として貴重である。

名古屋市教育委員会


丹下町常夜燈、ここまでが、鳴海宿だそうです。 

隣に天正十五年の子安地蔵大菩薩光明の石柱がありました。
f:id:asiandream0804:20200127082610j:plain 


2度目の東海道16日目の3(宮宿までの道)に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2020/01/27/182211