2 度目の東海道五十三次歩き第一日目の4
3月22日(金)の4
【神奈川の寺】
暫く第一京浜を歩きましたが、変化がないとつらくなるので、 景色のちょっとした変化などを見ながら歩きました。
新子安駅辺りを通過するときは、2008年9月16日に来たときは、トイレに行きたくて、新子安駅のトイレへ行ったなあ、と思い起こしました。
さっきまで暑いぐらいだったのに、曇って風が強く、寒くなってきました。
新子安駅の少し先、左側にあるマックでトイレ休憩。
ホット紅茶Sを飲みました。
神奈川新町駅の先辺りから、小さな寺がちらほらあり、幕末の横浜開港当時は、この辺りの寺院が各国大使館、公使館、宿舎などに使われたそうです。
16:11 良泉寺
良泉寺は外国領事館の指定を受けていましたが、屋根を抜いて工事中と称して拒絶したそうです。
2008年に来たときは瀧ノ川沿いの寺を幾つか訪ねましたが(浦島太郎伝説がある慶雲寺など)今日は先を急ぎます。
2008年10月16日に撮った成仏寺は、ヘボンの宿舎になっていたそうです。
【洲崎神社】
だんだんビルが近づいてきて、横浜駅は近いなあ、と思った頃、宮前商店街で右折。(16:28)
16:30 洲崎神社。
江戸時代(広重が東海道を描いた頃)は、洲崎神社の前が神奈川湊だったそうです。
境内にある獅子の岩山が印象的です。
【神奈川宿の一里塚跡】
青木橋を渡り、坂を上ります。
日本橋を出てから、初めての坂です。
16:38 大綱大神金刀比羅宮
この真ん前に、大きな一里塚があったそうです。日本橋から七里目。
【神奈川台の坂】
神奈川の台の坂の前は、広重が東海道を、描いた時は、海でした。
つまり、今、線路がある辺りも国道も、当時は海の底。
広重の絵に描かれている店で、今でも同じ場所で営業しているのが田中家
田中家の前には写真3のような看板も出ています。
その看板には、広重の神奈川宿の絵と共に神奈川宿の概要、昔の田中家の写真とともに、当時から唯一続く料亭田中家の前身が、広重の版画に描かれている「さくらや」であること、坂本龍馬の妻、おりょうがここで働いていたことが紹介されています。
【神奈川台の田中家】
絵手紙は前回の東海道五十三次歩き(2008.9月~2009.3月)のブログ用に描いたもので、昔の田中家の前に、おりょうに扮した私を描きました。
広重の神奈川宿。
この写真が、おりょうです。
料亭田中家のホームページより
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海の眺めを楽しむため、台町の坂道沿いにはたくさんの腰掛け茶屋が並んでいました。その様子は、広重による「東海道五十三次」の神奈川・台之景にも描かれています。その絵をじっくり眺めますと、坂の上から三軒目に「さくらや」という看板の文字が読めます。これが、現在の田中家の前身です。
幕末の頃、文久三年(1863年)に、田中家の初代がそのさくらやを買い取り、「田中家」がスタートしました。
(中略)
幕末の偉人、坂本龍馬の妻おりょうは、龍馬亡きあと、ここで住み込みの仲居として勤めてくれていました。
月琴を奏で、外国語も堪能で、物怖じしないまっすぐな性格が、ことに外国のお客様に評判だったといいます。
横須賀に嫁いでいき、田中家をやめたあとも、ひいき客からいつまでも話題に上ったということです。
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おりょうは横須賀に嫁いだ、と、ありますが、おりょうの墓が横須賀にあります。
看板にはおりょうの話しか出ていませんでしたが、田中家は権八茶屋とも呼ばれているそうで、歌舞伎などの鈴ヶ森で有名な白井権八(本名は平井権八)がとろろ汁で飯を十杯も食べたという逸話もあるそうです。
しながわ区民公園前にあった鈴ヶ森。雲助に絡まれ、正当防衛とはいえ、雲助殺しをした白井権八を髭題目の碑の前で、「お若えの、お待ちなせえ」と呼び止めた江戸の剣客、幡随院長兵衛。白井権八の「雉も鳴かずばうたれまいに」も合わせて名台詞の一場面。
実際には、幡随院長兵衛は平井権八が生まれた頃には既に殺されているので、二人が出会った事実はないようです。
【台の坂から浅間神社下まで】
田中家から暫く進むと、右側に神奈川関門跡碑があるはずだったのですが、見当たりませんでした。
こちらの写真は2008年に歩いたときに撮った写真です。
こちらの写真も2008年に撮ったもの。
この写真は、神奈川関門辺りの当時の風景です。
開港後、外国人が多数殺害されたため、幕府は安政8年(1859年)、横浜周辺の主要地点に関門や番所をら設け、警備体制を強化したそうです。
今回歩いていて、前回は見たのに今回は見なかったという箇所が幾つかありましたが、私が歩くことやその他のことに気がいっていて見つけられなかっただけなのか、工事などでなくなってしまったのか。後者が結構多い気がします。
ここから浅間神社下まで、前回は道を間違えて、後日歩き直したり、今回も間違えそうになったので、東海道五十三次歩きブログに書いた、正しい歩き方を書いておきます。
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正しい旧東海道ルートは、台の坂からまっすぐ歩いて来ると、やがて左前方に高速道路の高架が見えてきて、道はやや左前方に向かって県道83号線に合流。県道83号線を暫し歩き、浅間下の交差点を渡った右角に交番があり、その辺りから県道の一本右側の道に入る、というのが正道で、そこを進めば浅間神社の下の旧東海道案内板(下の写真)に出ることが出来るのです。
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【松原商店街でお買い物】
17:14 浅間神社下
さっきアップした、写真3、旧東海道案内板が見当たりませんでした。
気づかなかっただけなのか、今はないのか。
17:23 松原商店街
帰ってから薬屋に行くのは面倒なので、松原商店街のドラッグストアーで「足すっきりシート 休足時間」を買いました。
これは役に立ちました。
17:34 橘樹神社
【保土ヶ谷駅まで】
高架下をくぐると、すぐに帷子(かたびら)橋公園。
薄暗くなった道をひたすら歩き、
17:50 保土ヶ谷駅着。
本日はここまで。
本日の歩数 57,546歩 35.1km
2度目の東海道2日目に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2019/10/13/134535