紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2021-04-29から1日間の記事一覧

家棟川砂防事業概要

家棟川砂防事業概要 案内板 「 家棟川砂防事業概要 上流の山は芙佳の進んだ花崗岩質の地質性状なため、出水の時は大漁の土砂が流れ出し、家棟川は河床が周辺地盤より高い『天井川』を形成していました。そのため、過去幾たびかの堤防決壊等により大きな被害…

中山道 案内板

中山道案内板 案内板 「 中山道 中山道は江戸時代より日本五街道の一つとして、重要な役割を果たした。 昭和十年頃まで国道としての役割を果たしていた。 ここから数百mの家並みを通り鏡へと通じる道路は古い中山道の面影を留めている。古代に造られた日本…

大篠原一里塚跡

案内板 「 一里塚(いちりづか)跡一里塚は、江戸幕府が、国内の需用な街道の整備の一端として、距離の目安となるように 一里(約四キロメートル)毎に設けたものである。 宝暦六年(一七五七年)出帆の岐蘇安見絵図(きそやすみえず)によれば、中山道を横切る光善…

平家終焉の地

平家終焉の地 案内板 「 平家終焉の地平家が滅亡した地は壇ノ浦ではなくここ野州市である。 平家最後の最高責任者平宗盛は源義経に追われて1183年7月一門を引きつれて都落ちをした。 西海を漂うこと二年、1185年3月24日壇ノ浦合戦でついに破れ、平家一門はこ…

蛙不鳴池および首洗い池

蛙不鳴池および首洗い池 案内板 「 蛙不鳴池および首洗い池西方に見える池を蛙不鳴池と云い、この池は、元暦二年(1185)源義経が平家の大将、平宗盛とその子清宗を処刑したその時その首を洗った『首洗い池』と続きで、以後 蛙が鳴かなくなったとの言い伝えか…

中山道 案内板

中山道 案内板 「 中山道中山道は江戸時代より日本五街道の一つとして、重要な役割を果たした。 昭和十年頃まで国道としての役割を果たしていた。 ここから数百mの家並み通り、鏡へと通じる道路は古い中山道の面影を留めている。 古代に造られた日本の幹線…

義経元服池

義経元服池 案内板(石碑の下の銅板) 「 義経元服池父は尾張の露と消え 母は平家に捕へられ 兄は伊豆に流されて おのれ一人は鞍馬山 と歌はれし不遇の児 牛若丸は遮那王と称して鞍馬山に仏道修業していたが 十一歳の時母の訓戒により祖先の系図に感じ平家を滅…

鏡山古窯址群

鏡山古窯址群 案内板 「 遺跡散策ルート①鏡山古窯址群 (鏡神社遺跡他) 鏡山古窯址群の窯址の分布は、竜王町、野洲市、湖南市の2市1町にまたがる鏡山一帯に広がっており竜王町側では、今日までの分布調査などの測査から6つの支群から構成されていることがわか…

鏡神社由緒

案内板 「 鏡神社由緒当神社の創始年代は不詳であるが、主祭神天日槍尊は日本書紀による新羅國の王子にして垂仁天皇三年の御世(BC三一)来朝し多くの技術集団(陶物師、医師、薬師、弓削師、鏡作師、鋳物師など)を供に近江の国へ入り集落を成し、吾国を育…

鏡神社本殿

鏡神社本殿 案内板 「 重要文化財 鏡神社本殿 明治三十四年八月二日指定 神社の創立は古代にさかのぼると伝えられ、祭神は天日槍命(あめのひぼこのみこと)を祀る。 現在の本殿は、室町中期に建てられたもので、滋賀県に遺構が多い前室付三間社(ぜんしつつき…

源義経烏帽子掛けの松

源義経烏帽子掛けの松 案内板 「 源義経 烏帽子掛けの松承安四年(一一七四)三月三日 鏡の宿で元服した牛若丸は、この松枝に烏帽子を掛け鏡神社へ参拝し源九郎義経と名乗りをあげ源氏の再興と武運長久を祈願したのであった 明治六年(一八七三)十月三日 台風…

謡曲『烏帽子折』と鏡神社

謡曲『烏帽子折』と鏡神社 案内板 「 謡曲『烏帽子折』と鏡神社 謡曲『烏帽子折』は、義経記などの牛若丸(源義経)伝説から創作された、前段は鞍馬山を抜け出した牛若が、金売り吉次と奥州に向かう途中、追手が迫ったので、鏡の里で元服して姿を変えた物語…

駐在所跡

駐在所跡 案内板 「 駐在所跡明治十四年十月十四日 鏡分署と称して設置された 近江八幡警察署に属する 当時は金山力松氏宅をこれに充てられた 明治十五年十月 鏡交番所と改称される 明治十八年十月十九日 鏡村外三十一ヶ村にて新築(国道八号線沿い本陣跡の…

義経宿泊の館

義経宿泊の館 案内板 「 義経宿泊の館沢弥伝と称し旧駅長で屋号を白木屋と呼んでいた 牛若丸はこの白木屋に投宿した 義経元服の際使用した盥は代々秘蔵して居たが現在では鏡神社宮司林氏が保存してゐる 西隣は所謂本陣で元祖を林惣右衛門則之と称し新羅三郎…

日野川(横関川)の渡し場跡(北側)

日野川(横関川)の渡し場跡(北側) 案内板 「 中山道六十九次の内・武佐中山道は別名『木曽海(街)道』とも呼ばれていた。 その中山道六十九次の第六十七番目が武佐宿である。 この絵は浮世絵師安藤広重が武佐の西にある日野川(横関川)の舟渡しの様子を描い…

住蓮房首洗い池

住蓮房首洗い池 案内板 「 住蓮房首洗い池住蓮坊は、鎌倉時代前期の僧侶。 法然房源空の弟子で美声であったという。 専修念仏の弘通につとめ、安楽房とともに所々で別時念仏会に六時礼賛を行い、僧俗の帰依を受け、貴賎を問わず教えを広めた。 当時、都では…

伊庭貞剛邸跡の巨大クスノキ

伊庭貞剛邸跡の巨大クスノキ http://www.tree-flower.jpより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 伊庭貞剛邸跡の巨大クスノキ旧中山道の西宿地区に「伊庭貞剛邸跡」の案内板がありその左手に大きなクスノキが立っています。伊庭貞剛(いばていごう)は明治時代の住友家を支えた人物で…