紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

大篠原一里塚跡

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案内板
「 一里塚(いちりづか)跡

一里塚は、江戸幕府が、国内の需用な街道の整備の一端として、距離の目安となるように 一里(約四キロメートル)毎に設けたものである。
宝暦六年(一七五七年)出帆の岐蘇安見絵図(きそやすみえず)によれば、中山道を横切る光善寺川(砂川なるみ橋とあり)の西にあり、 右 榎(えのき)一(北側)、 左 松(まつ)四(南側) と、記されている。
ここを三軒松(さんげんまつ)と称し、戦前まで大きな松が一本残っていた。
なお、この附近の小字名も一里塚という。

野洲市大篠原自治
大篠原郷土史会 」