紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

調布市指定郷土資料 地蔵菩薩立像

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案内板
「 市指定郷土資料(民俗資料)

地蔵菩薩立像(妙円地蔵)

所在 菊野台壱丁目三十二番地
指定 昭和六十二年三月三十一日

妙円は、若々しくて金子村(菊野台)の新助に嫁いだが、恵まれない境遇の上に両眼を失明した。 その後、自ら悟るところがあって尼になり、寿量妙円と号した。 そして、村人のために毎日路傍で鉦をたたき、念仏を唱え続け、多くの人びとから受けた浄財をもとに文化二年(一八〇五)この地に悲願の地蔵菩薩像を建立した。 その後も妙円は菩薩像のそばで念仏三昧の日々をおくり、村人に頼まれては加持祈禱を行った。 それは必ず効験があったと言い伝えられている。

妙円は、自分の死ぬ日を予告していたが、実際には一日遅れて文化十四年(一八一七)十月二十九日、安らかな往生をとげたという。 このことは、瀧澤馬琴がその著「玄同放言」に紹介したため、一躍江戸戸近在にまで有名になった。

妙円の墓は深大寺の三昧所にあり、鉦は調布市市郷土博物館に保管されている。 また、この地蔵菩薩像は長い間頭部を欠損していたが、昭和六十二年六月、地元の有志たちによって修復された。

    昭和六十二年八月六日

         調布市教育委員会 」