紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

中山道鵜沼宿と芭蕉

芭蕉

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案内板
中山道鵜沼宿芭蕉

 貞享二年(1685)、『野ざらし紀行
途中の松尾芭蕉 は、鵜沼を訪れ脇本陣
坂井家に滞在したと伝えられています。
 その後、貞享五年(1688)七月頃、
芭蕉は再び脇本陣坂井家を訪れ、

 汲溜の水泡たつや蝉の声

の句を詠み、さらに同年八月頃、再度訪
れた脇本陣坂井家で菊花酒 のもてなしを
受けた折りには、主人の求めに応じて
楠の化石に即興の句を彫ったと伝えら
れて います。

 ふく志るも喰へは喰せよきく乃酒

 その後、木曽路を通って信濃へ更科記
行 に旅立つ芭蕉は、美濃を離れる際に、

 おくられつ送りつ果ハ木曽の秋

と詠み、美濃の俳人達との別れを惜しん
だといわれます。 」