槙ヶ根立場の茶屋
案内板
「 槙ヶ根立場の茶屋
江戸時代の末頃ここには槙本屋・水戸屋・東国屋・松本屋・中野屋・伊勢屋などの屋号を持つ茶屋が九戸あった。そして店先にわらじを掛け、餅を並べ、多くに人がひと休みしてまた旅立って行ったと思われる。(旅人の宿泊は宿場の旅籠屋を利用し、茶屋の宿泊は禁止されていた)
これらの茶屋は、明治の初め宿駅制度が変わり、脇道ができ、特に明治三五年大井駅が開設され、やがて中央線の全線が開通して、中山道を利用する人が少なくなるにつれて、山麓の町や村へ移転した。
そして今ではこの地には茶屋の跡や古井戸や墓地などを残すのみとなった。 」