紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

御嶽神社

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御嶽神社

wikipediaより

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御嶽神社(みたけじんじゃ)は、蔵王権現を祭った神社。金峰神社金峯神社(きんぶ、きんぷ、きんぽう、みたけ)ともいう。総本社は吉野金峰山寺蔵王権現堂。

修験道の神である蔵王権現を祀る神社は、明治時代の神仏分離のときに、御嶽神社金峰神社金峯神社)、蔵王神社などと改称された。神道において、蔵王権現は「大己貴命少彦名命」、「国常立尊大己貴命少彦名命」や、「安閑天皇(広国押建金日命)」、「金山毘古命」と習合し、同一視されたために、それらの神々を祭神とするようになった。なお、覚明行者、普寛行者が創始した木曽御嶽信仰に基づく神社は、上記と区別して「おんたけじんじゃ」と呼ばれる。起源は蔵王権現信仰であるが別の信仰として分化している。

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みたけ神社とおんたけ神社は分化されているんですね。

wikipedia調べでは、御嶽(みたけ) 神社と称する神社は11ヵ所載せられていました。岩村田御嶽神社の祭神は、大己貴命です。

大己貴命とは コトバンクより

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日本書紀」が設定した国の神の首魁(しゅかい)。「古事記」では大国主神(おおくにぬしのかみ)の一名とされる。「出雲風土記」には国土創造神として見え、また「播磨風土記」、伊予・尾張・伊豆・土佐各国風土記逸文、また「万葉集」などに散見する。後世、「大国」が「大黒」に通じるところから、俗に、大黒天(だいこくてん)の異称ともされた。大穴牟遅神(おおあなむぢのかみ)。大汝神(おほなむぢのかみ)。大穴持命(おほあなもちのみこと)。
※書紀(720)神代上「素戔嗚尊、妃と為たまひて生ませたまへる児の六世の孫、是を大己貴命(オホアナムチのみこと)と曰す〈大己貴、此をば於褒婀娜武智と云ふ〉」

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