岡 朝子の俳句と街道歩き旅

Yahooブログで文章置き場にしていましたが、引っ越してきたので、その後の俳句もぼちぼち更新していきたいと思います。

2度目の中山道1日目の4(浦和宿)

2度目の中山道1日目の4

2月24日(月)振替休日の4

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14:38 境橋
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案内板
「 境橋のいわれ

 この橋は、蕨宿と辻村との境を流れる見沼用水分流の笹目用水に架かっており、そこから境橋と名付けられた。
 江戸時代の中ごろまでは木製であったが、寛政九年(一七九七)に蕨宿の池上氏が中心となり石製の橋を完成させた。
 明治初年に書き上げられた『武蔵国郡村誌』には、長さ一間半(約ニ・七m)、幅二間半(約四・五m)の石造りと記されている。

平成二十四年三月吉日
一六会 」

14:47 セブンイレブンでトイレをお借りし、nanacoでお買い物。エスカップと傷絆創膏(左足の親指の付け根の肉球のところに豆ができたので)
235円のところをキャッシュレス還元で231円でした。

14:50 辻一里塚公園
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14:51 辻一里塚跡
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辻一里塚跡

日本橋から数えて5番目の一里塚。現在は碑が残るのみです。隣に、弁財天が祀られています。

15:01 六辻交差点
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15:11 根岸薬師堂
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えっ、根岸薬師堂はガイド本にはない。道間違いに気付き、戻りました。

今日は道の間違いが多いのは、日殿言成氏がいないからだなあ。

日殿言成氏は、2009年の中山道歩きの時に持ち歩いたガイド本の筆者です。

15:20 田辺医院(目印)に戻れました。
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15:28 焼米坂碑
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焼米坂

「レファレンス協同データベース」より

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別名、浦和坂。中山道を江戸から荒川を渡ってくると最初に出合う坂で、この坂を上りきると浦和宿になる。
江戸時代に書かれた『新編武蔵風土記稿』の「根岸村」の項に、「焼米坂 村の北の街道の内にあり、上り一町半許の坂なり、此所にて古来より焼米をひさぐ故に名づけり」とあり、江戸時代、中山道を通る旅人に“焼米”を売る店があり、それが名物となり名付けられたとされている。
『江戸名所図会』には“名物新やき米”の看板を掲げた茶店を見ることができる。

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焼米坂の石碑の下に書いてある「4つのテスト」

「1. 真実かどうか

2. みんなに公平か

3. 好意と友情を深めるか

4. みんなのためになるかどうか 」


15:40 日蓮上人駒つなぎの欅
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15:41 調(つき)神社
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さいたま観光国際協会ホームページより

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調神社の七不思議
「つきのみやさん」のお話

県内屈指の古社である調神社(つきじんじゃ)は、地元では親しみを込めて「つきのみやさん」と呼ばれていますが、そんな調神社には七不思議の伝説があり、古くから人々に語られています。

1. 鳥居がない。(境内へ伊勢神宮への貢物を運び入れる時に邪魔になり鳥居を建てないことにした。)

2. 松の木がない。(一説に弟神須佐之男命(すさのおのみこと)が大宮へ出かけ、なかなか戻って来ないので姉神の月読命(つくよみのみこと)が「もうまつのはいやじゃ」といったのがその理由とのこと。)

3. 御手洗の池の魚は片目になる。

4. 狛犬のかわりにウサギ像が置かれている。(「つき」を「月」と考え、ウサギを神の使姫とする習慣からである。)
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5. 日蓮上人駒つなぎのケヤキ。(日蓮佐渡へ流される途中、難産の婦人のためこのケヤキに馬を繋ぎ、祈ったところ男子を無事出産したので、安産の守護神として今に信仰されている。)

6. ハエがいない。(調神社の祭神が嫌うためとのこと。)

7. 蚊がいない。(ハエと同じ理由。)

「つき神社」だけに、昔から「ツキを呼ぶ神社」として、大変ご利益があると言われています。境内のあちこちに置かれているかわいいうさぎさんを探してみてください。
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所在地: さいたま市浦和区岸町3
アクセス: JR浦和駅西口より徒歩7分

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15:48 旧家
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15:50 浦和宿の碑(東木戸)
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16:00 市場のブロンズ像
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ちょうど16:00のチャイムで「ふるさと」が流れ、いい雰囲気。

16:01 二・七市場跡
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案内板
さいたま市指定史跡

浦和宿二・七市場跡

指定年月日 昭和三十九年三月三十一日

浦和の市場は戦国時代に開設されたものと考えられ、天正18年(1590年)には豊臣秀吉の家臣である浅野長吉から喧嘩口論などを禁じた「禁制」が「浦和市」に対して出されています。浦和市は月6回開かれる六斎市と呼ばれるもので、毎月2と7の日に開かれたため(2日・7日・12日・17日・22日・27日)、「二・七市場」といわれています。
江戸時代、十返舎一九は「代ものを積重ねしは商人のおもてうらわの宿の賑い」と詠み、浦和の市の賑いを表現しています。
また、川口芝の長徳寺住持である龍派禅珠(りゅうはぜんしゅ)は、ある歳の暮れ、浦和の宿で、萩、屠蘇、麹(こうじ)、膠(にかわ)、未醤(みしょう=味噌と醤油)、新暦などを購入しています。
周辺では、蕨(一・六の市)、鳩ヶ谷(三・八の市)、与野(四・九の市)、大宮(五・十の市)で市が設けられており、毎日どこがで市が開かれていたことになります。

平成十九年三月二十二日 」

16:09 鉄道模型の店 トレインショップ
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16:08 浦和レッズ手形足形とレディア像
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北浦和駅付近 レディア像
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さいたま市ホームページより

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北浦和駅東口交差点を南に歩いてすぐの所にある「浦和レッズ レディア像」。
手のひらでレディアの頭(耳)を3回、鼻を2回心をこめてなでると、願い事が叶うと言われている。

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16:20 にも、浦和レッズ手形足形とレディア像
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ゴールキーパーは手形、他の選手は足形なんだそうです。
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2009年に来たときは、歩道に埋め込まれていて、みんなに踏まれていました。それで傷んだんでしょうね。下の写真は、左側が2009年、右側が2020年に撮ったものです。
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16:22 北浦和駅。本日の終点です。
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本日の歩数 52,629歩 38.64km


2度目の中山道2日目(北浦和駅から大宮宿)に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2020/03/28/111723