紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2度目の東海道五十三次歩き9日目の1(丸子宿から宇津ノ谷宿)

2度目の東海道9日目の1

4月26日(金)の1


本日は東海道五十三次歩き9日目で、丸子〜宇津ノ谷〜岡部〜藤枝〜六合駅を歩きました。


【静岡は大雨】

夕べのうちに静岡にやって来て、東横INNに泊まりました。

6:30 起床

朝食、身支度後、大雨の中、静岡駅までやってきたら、ゆるキャラちゃっぴーに会いました。
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岡部行きのバスに乗って丸子宿へ。


【丸子宿から宇津ノ谷へ向かう】

8:36 丁子屋着。
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8:38 丸子橋
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8:40 高札場跡
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8:44 地蔵祠
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8:49 大日如来
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今日は黄色い花にたくさん出会ったのですが、特に目についたのが写真の樹に咲く花。
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近づいてみると、エンゼルトランペットに似ています。

調べてみたけれど、やはりエンゼルトランペットなのかも。

8:54 観音堂 庚申塔(二軒家公民館)
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間違いやすい道に注意!の手作り立て札
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9:04 丸子紅茶(日本の紅茶発祥の地)
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9:07 長源寺
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9:10 ファミマでトイレを借りてのど飴を買いました。外に出たら、雨がやんでいました。
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10年前はこの辺りでトイレに行きたくて苦労しましたが、コンビニが増えると助かります。

9:41 道の駅 宇津ノ谷峠
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9:49 宇津ノ谷宿入り口
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10年前のブログ

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2008.10.29.

【間の宿宇津ノ谷】

宇津ノ谷へ向かう道は、さっきの国道に比べて車が来なくて静か。風が強くてやや寒いけれど、歩くには快適。

車道と別れて宇津ノ谷の集落への、整備された遊歩道が左側に伸びていて、道の両脇にビッシリ家が建ち並び、一軒一軒大きな屋号の看板をつけていました。宇津ノ谷は間の宿なので宿泊はできないため、屋号を掛けた家々は、軒並み茶屋だったそうで、今でもお互い屋号で呼び合っているそうです。

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「交通の難所 宇津の谷峠」
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案内板
「交通の難所 宇津の谷峠

○蔦の細道 平安の道
駿河なる宇津の山辺のうつつにも
夢にも人に会わぬなりけり
在原業平
○山越えの旧東海道
江戸時代には参勤交代の諸大名も往来した重要な交通路で、明治維新には明治天皇 も馬で越えられたという。この峠には「地蔵堂」「馬頭観音」雁山碑」「ひげ題目碑」が残されています。
○明治のトンネル(明治九年開通)
長さ六十八丈二尺(ニ三〇米)
公費三萬五千円 人夫二十一万人(延べ)
○慶竜寺 賽の河原の延命地蔵
十団子の伝説 峠では旅人を捕まえて食べる鬼を小粒にして食べてしまった僧が現れたという
句碑「十団子も小粒になりぬ 秋の空」許六
○御羽織屋
天正十八年(一、五九〇)豊臣秀吉小田原征伐のため東上する途中休憩した時に主人忠衛門が秀吉から紙子の陣羽織を賜ったという。
宇津の谷「美しいまちづくり地区」静岡市指定
平成二十二年
長田西自治会連合会 」

【御羽織屋】

宇津ノ谷宿のお羽織屋では、10年前、秀吉から拝領した紙子の陣羽織の話をおばあちゃんから聞いたのですが、今日行ったら、拝観中止の札が貼ってありました。
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おばあちゃん、もうお歳で話せなくなったのか、それとも…

この先、白須賀宿で、私が今もリュックにお守りとして付けている小さな草鞋をくださったおばあちゃんも、あのとき94歳だったから、多分もう…

写真は、10年前に撮った写真です。

秀吉公から拝領した陣羽織。
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厄除け(鬼除け)十団子。
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私は10年前はこの十団子のおかげで、難を逃れました。

10年前のブログ

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【御羽織屋】

その中のひとつが御羽織屋。
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「見学の方は下の門からお入りください」とあるので、坂を少し下って下の門から入ると…

通り側にも、昔のかき氷機や火鉢、ランプが並んでいましたが、門を入ると道の両脇にいろいろな道具類が所せましと並び、中庭に入ると、ちょうど洗濯物を干しに来た奥さんに会ったので、
「今、見られますか」
と声をかけたら、
「はい」
と、おばあちゃんを呼んでくれました。

靴を脱いで中に上がると、ガイド本にもあった秀吉拝領の羽織がガラスケースの中に展示されていました。

おばあちゃんが
「どうぞ足を崩してください」
と言ってくれましたが、きちんと
「いらっしゃいませ」
と改めてご挨拶されて返礼したまま、とうとう最後まで正座していました。せめてリュックは下ろせばよかったな。

おばあちゃんはとても滑らかに分かりやすくいろいろ話してくれて、本で解説を見ただけでは分からない話をしてくれました。

【 三脚の草鞋】

小田原攻めに向かう秀吉が宇津ノ谷に立ち寄った時、秀吉が馬の足の草鞋を所望したそうです。御羽織屋のご先祖様にトンチのきいたおじいさんがいて、秀吉に馬の草鞋を三脚しか渡さなかったので、秀吉が訳を尋ねると、勝利を祈願して、あとの一脚はお預かりしておきます。勝って帰られた時にあとの一脚をお渡しします、と。四脚は四は死に通じるからと、縁起をかついだのでしょう。秀吉はえらく感心しました。

【 勝山と勝ち栗】

気をよくした秀吉は、目の前にある山の名を尋ねました。当時はその山には名がなかったため、「勝山(かちやま)と申します」とお答えし、その山に一本の木が生えていて、その木の名前も聞かれ、「勝ちの木です」と…。

栗の木だったのですが、それ以来、その山の名は勝山になり、栗の木をかちぐりと呼ぶようになったのだそうです。


【陣羽織】

秀吉は大喜びで出立し、小田原攻めに勝った帰り道に、「勝ったぞ」と、鎧の上から羽織っていた羽織をおじいさんにくださったのだそうです。

それは3月のことで、まだ寒かったので防寒着だったのですが、軽くて暖かな素材で、裏や袖口、襟元は絹、綿も軽くて暖かい絹綿、表は軽くて雨に濡れても丈夫な紙子で出来ていて、当時は紙子が真っ白、襟や袖口が真っ赤でとても派手なものだったそうです。今、全体的に灰色なのは、その後ここを通る大名が、縁起がいいからとこの羽織を撫でに来たため、大名たちの手垢で灰色になってしまい、中には紙子を破いてお守りに持っていってしまう人もいたそうです。

昭和の戦後になってから、東京の国立博物館でこの羽織を1年かけて復元してくれたそうで、下の方だけ真っ白なのは、同じ素材のものを継ぎ足し、襟や袖口の黄色い絹の布地は、一緒に保管されていた物を用い、足りない所は当時真っ赤だったということから、赤い絹の布で復元してくれたそうです。

拝領の羽織の他に、この羽織を見に来た大名が置いていった抹茶茶碗や鉄扇など、たくさんのものが展示されていました。


【宇津ノ谷峠所縁の歌舞伎】

宇津ノ谷峠というと、「蔦紅葉宇津谷峠」という歌舞伎が有名で、幸四郎富十郎が演じている写真付きの新聞記事も展示されていたし、片岡鶴太郎など、有名人の色紙もたくさんありました。

【鬼除け十団子】

御羽織屋で鬼除けの十団子(とおだんご)も買いました。
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「十団子」の由来は、地蔵菩薩が人肉の味を覚えて鬼になった梅林寺の小僧を10粒に砕き、飲み込んで退治したという伝説から。

中庭にある、旅人のために開放しているトイレもお借りし、おばあちゃんに見送られながら出発しました。


2度目の東海道9日目の2(宇津谷峠)に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2019/11/22/021340