2度目の東海道8日目の3
4月6日(土)の3
【安倍川を挟んで】
安倍川から丸子宿までについては、10年前のブログがわかりやすかったので、10年前のブログを、わりとママで載せます。
10年前のブログ
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【安倍川義夫の碑】
10年前にあべかわ餅を食べた橋本屋の隣には、安倍川義夫の碑がありました。
川越で旅人が落とした財布を拾った人足が、岡部まで追いかけて財布を渡し、お礼金をどうしても受け取らなかったので、人足組合にお礼金を送っても受け取らず、とうとうお礼金は役所が受け取って、役所から善行として褒美金を出した、という話が書いてありました。
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さて、安倍川を渡ります。
【間の宿、手越】
安倍川を渡りきると、間の宿の手越宿。
平家物語に出てくる白拍子、千手の前のゆかりの地だそうです。
【街道松と丸子宿入り口】
少し行くと、大きな街道松が数本見られます。
やがて国道1号線と合流。
また暫く行くと、沢渡交差点で左に別れます。
12:41 旧道に入ると、一里塚跡がありました。46里目です。
12:43 江戸方見附跡
12:45 水神社
12:48 しらい酒店
12:51 問屋場跡
道はだんだん狭くなり、歩道もなくなりましたが、車通りはそれほどなく、とは言え時々は通りますが、気をつけながら歩けば大丈夫です。
【本陣跡を過ぎると】
本陣跡
脇本陣跡
本陣跡、脇本陣跡を過ぎると、本日の最終目的地、丸子丁子屋前。
丁子屋近くの桜並木です。
丁子屋前着 12:57
絵手紙は、2016年4月5日に青春18きっぷの旅で丸子へ行った時に描いた丸子宿の丁子屋(とろろ汁)
【10年前に食べたとろろ汁】
今回は丁子屋の前までしか行かず、中には入りませんでしたが、10年前は長女ととろろ汁を食べました。
10年前のブログ
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【丸子宿 丁子屋】
17時少し前に着いたおかげで、その時点では丁子屋には私たち以外に客がいなかったので、大広間の鴨居の上にズラリと並べられた額、歌川広重の東海道五十三次の版画の、私が行った所だけ写真を撮りました。
日本橋、品川、川崎、神奈川、保土ヶ谷、戸塚、藤沢、平塚、大磯、小田原、箱根、三島、沼津(ワープ)江尻、府中、丸子
写真にはここ、丸子宿。丁子屋が描かれています。
【 丁子屋とろろ汁】
とろろ汁はたっぷり。ご飯もたっぷり。
あべかわ餅が効いていると思っていたのに、ペロリとたいらげてしまいました。
自然薯は秋が旬。今が一番食べ頃です。
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【十返舎一九に会う】
10年前のブログ
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資料室では、十返舎一九にも会えました。
十返舎一九の「東海道中膝栗毛」では、弥次喜多は丁子屋でとろろ汁を食べようとしたら、店の主夫婦の喧嘩に出くわし、散々な目に会うのです。
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丸子橋バス停 13:01
丸子橋バス停から新静岡行きのバスで静岡駅まで行き、東海道線で帰りました。
本日の歩数 31,241歩 19.1km
2度目の東海道9日目の1(丸子宿から宇津谷宿)に続く
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東海道五十三次の絵手紙前半へ
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