紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2度目の東海道5日目の3(箱根西坂3〜こわめし坂、臼転坂、錦田一里塚跡、愛宕坂など)

4月3日(水)の3


【こわめし坂(下長坂)】

f:id:asiandream0804:20191029092711j:plain
道を渡るといよいよこわめし坂です。
f:id:asiandream0804:20191029092725j:plain

12:55 こわめし坂前の道祖神馬頭観音
f:id:asiandream0804:20191029092735j:plain

次の2枚の写真は、10年を経た同じ坂。
f:id:asiandream0804:20191029092834j:plain
f:id:asiandream0804:20191029092956j:plain

2枚目の坂が、10年前です。10年前の写真には、郵便屋さんが写っているため、坂の急な感じがわかりやすいと思います。

この写真も10年前です。長女が後ろ向きに下っている写真です。
f:id:asiandream0804:20191029093436j:plain

10年前のブログ

↓↓↓↓↓↓↓↓↓


【こわめし坂は後ろ向きに】

道を渡ると下長坂。別名こわめし坂。あまりに長くて急な坂なので、汗と熱で背負っていた米が炊けて強飯になった、というところからついた名だそうです。ガイドブックによると、「下ると爪先に体重がかかり、痛い」そうで、箱根は上りの東坂より下りの西坂の方が辛い、と多くの先人たちが言っているので、長女も私も、このこわめし坂を恐れていたのですが、とうとう来ちゃいました。

見た目も勿論の急傾斜ですが、郵便配達のオートバイのブレーキのかけ方がすべてを物語っている。

この時、長女が攻略法を発見。後ろ向きに坂を下るのです。成る程!

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

今回も桜の花を眺めながら後ろ向きに歩きました。
f:id:asiandream0804:20191029093806j:plain
f:id:asiandream0804:20191029093833j:plain


【山神社・天神社】

13:13 山神社 天神社
f:id:asiandream0804:20191029093948j:plain
f:id:asiandream0804:20191029094007j:plain
f:id:asiandream0804:20191029094023j:plain

天(テン)神社
創建は明和3年(1766)と伝えられる。東海道、三島宿から箱根に至る山街道の中間地点に鎮座し、単に三ッ谷新田の氏神というよりは、この地方の総氏神としての性格を持った神社だそうです。

この写真も、この神社の脇にありました。
f:id:asiandream0804:20191029093927j:plain


【松雲寺】

13:18 松雲寺
f:id:asiandream0804:20191029094050j:plain
f:id:asiandream0804:20191029122420j:plain

正保5(1644)年の創建で、寺本陣でした。境内には明治天皇が休息された時、富士を眺めた御腰掛石が残っているそうです。また、維新後、小学校の前身である三ッ谷学舎が設けられたそうです。

途中のやや下り坂の国道から見えた景色。
f:id:asiandream0804:20191029095514j:plain
f:id:asiandream0804:20191029095548j:plain


三島市坂公民館】

13:33 坂公民館
f:id:asiandream0804:20191029094315j:plain
f:id:asiandream0804:20191029100308j:plain

こども達のブラスバンドの練習の音が聞こえていたので、ここが小学校だと思っていたら、ここは公民館でした。

今は春休みなので、こどもたちは公民館で練習をしているのでしょう。

後でもう少し先まで進んだら、左手に小学校があり、春休みなので門は固く閉ざされていました。

次の写真にあるように、右手に進むと眺望のよい場所に出ます。
f:id:asiandream0804:20191029100622j:plain

美しい富士山が見えました。
f:id:asiandream0804:20191029101014j:plain

13:34 坂公民館裏の眺望点

この写真は、設置された眺望の写真。
f:id:asiandream0804:20191029100906j:plain

右に富士山。左に愛鷹山(あしたかやま)

こちらは、本日の富士山と愛鷹山。左下はソーラーパネルでしょうか。
f:id:asiandream0804:20191029101057j:plain

上の写真のアップです。
f:id:asiandream0804:20191029101153j:plain


【題目坂】


眺望点から旧東海道に戻り、写真の道を進みます。
f:id:asiandream0804:20191029101238j:plain

13:37 史蹟法善寺旧址碑
f:id:asiandream0804:20191029101626j:plain

この先、左に坂小学校があり、門が閉まっていて、人気(ひとけ)はありませんでした。

13:41 題目坂入り口

f:id:asiandream0804:20191029103612j:plain
気持ちよい下り坂。


13:41 七面堂旧址碑
f:id:asiandream0804:20191029103535j:plain
石碑の正面には『征夷大将軍足利尊氏公建立 七面堂旧址』、左面には、東海道中膝栗毛の弥次郎兵衛の狂歌『あしがわの ぶしょうのたてし なにめでて しちめんどうと いうべかりける  小林一九著書』と刻まれている。

 七面堂とは、日蓮宗の護神七面大明神を安置する御堂のことである。


f:id:asiandream0804:20191029103803j:plain
題目坂の説明板

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

箱根旧街道 題目坂】
 (前略)
 ここ題目坂は、玉沢妙法華寺への道程を示す題目石から名付けられたと言われている。
 題目石は、現在法善寺に移されている。

     平成十一年三月 
三島市教育委員会

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

こちらは題目坂
f:id:asiandream0804:20191029103838j:plain


【市の山新田】


題目坂は初めなだらかな下り坂でしたが、途中から急坂になり、階段になりました。

この辺りから中学生たちが後ろからやってきて、下に降りて信号待ちの時に追い越していきました。

13:48 市の山新田道標(夢舞台 東海道)
f:id:asiandream0804:20191029103920j:plain

県道の交差点には出征馬記念碑(昭和12年)があります。
f:id:asiandream0804:20191029104001j:plain

その先すぐ右側には山神社があります。
f:id:asiandream0804:20191029104109j:plain

この山神社の神さまは大山祇神で、三嶋大社末社と思われます。

創建は不明ですが、前の社殿は1729
(享保14)年に建てられました。今の社殿は1982(昭和57)年の台風で倒壊し、建て替えられたものです。


山神社の隣は境妙山法善寺です。
f:id:asiandream0804:20191029104210j:plain

大時雨坂(先ほど史蹟法善寺旧址碑があった所)の手前から移ってきたお寺です。

法善寺は三島市玉沢の妙法華寺の日宗上人が1683(貞亨3)年、寺への道案内の題目碑を建てたことにはじまります。

法華寺は鎌倉から移転してきた日蓮宗のお寺で(鎌倉の跡地は実相寺になっている)、徳川家康の側室お万の方(養珠院)や紀伊徳川家に庇護されました。

この題目碑ができたことにより大時雨坂は題目坂と呼ばれるようになりました。

日宗上人は1693(元禄6)年に隠居寺として庵を構えます。この庵は妙法華寺の鬼門にあったことから、妙法華寺の鬼門を守るお寺として発展していきます。

1903(明治36)年に大時雨坂の下の現在地に移転し、
1945(昭和20)年には失火により全焼しました。
このお寺は帝釈天で有名ですが、この帝釈天はもともと妙法華寺の鬼門を守る帝釈天だったのです。

集落の出口には地蔵堂と13体のお地蔵さん(六地蔵×2組+1体)と萬霊塔がありました。
f:id:asiandream0804:20191029104317j:plain
f:id:asiandream0804:20191029104347j:plain
f:id:asiandream0804:20191029104432j:plain
このお地蔵さんは夜中に火の見廻りをすると言い伝えがあるそうです。


【臼転坂】


13:56 臼転坂
f:id:asiandream0804:20191029104852j:plain
旧東海道は右斜めに入っていきます。臼転坂の入り口です。
f:id:asiandream0804:20191029104914j:plain

臼転坂は別名、恋し坂とも言われます。
臼転坂は牛転ばし坂が転訛したもの、恋し坂は小石坂が変わったものと言われています。小石が多くて牛が転んだのでしょうか。
この坂にも石畳が残っています。
f:id:asiandream0804:20191029105054j:plain
f:id:asiandream0804:20191029105305j:plain
f:id:asiandream0804:20191029105340j:plain
臼転坂は気持ちいい道なのでたくさん載せてしまいます。

14:00 馬頭観音
f:id:asiandream0804:20191029105622j:plain
文政5年(1822)の建立だそうです。


【塚原新田】

f:id:asiandream0804:20191029105749j:plain
写真のように、草地が終って舗装道になるのですが、こちらから歩いていくと、まるで急に道がなくなったような錯覚を覚えます。
f:id:asiandream0804:20191029105727j:plain


14:05 普門庵

普門庵は、塚原新田のほぼ中央にあります。 普門庵の境内には、観音座像、馬頭観音などの多数の石造仏が祭られていて地元の人たちの信仰を集めているそうです。
f:id:asiandream0804:20191029105838j:plain

f:id:asiandream0804:20191029110108j:plain
こちらの写真の真新しいお堂で、なんだか違和感を感じたのですが、ネットで見ていたら、次の写真の普門庵のお堂の写真が載っていたので、比較的最近建て直されたものなのでしょう。
f:id:asiandream0804:20191029111124j:plain


14:09 宗福寺
f:id:asiandream0804:20191029111329j:plain

1590年に豊臣秀吉が小田原を攻めた際、出城となった山中城で出た戦没者を追悼するために創建された寺院だそうです。


【箱根路の碑】

f:id:asiandream0804:20191029111438j:plain

「三島塚原I.C」信号手前で国道1号線に合流しますが、
その合流した左側に、大きな自然石に「箱根路」と刻まれた碑が以前は置かれていました。

10年前に来た時、工事中で、その碑を観ることが出来ませんでした。

10年前のブログ

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

【箱根路石碑は工事で遠目】

その後は暫く国道を歩くのですが、次の旧道を入る辺りで工事していて迂回を余儀なくされ、箱根路の石碑は遠目にしか見られませんでした。

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

当時はmixi東海道コミュニティに参加して時々投稿もしていたのですが、たくさんの人達が、

「工事中で箱根路の碑が見られない!」

と話題にしていました。


10年ぶりに来てみたら、地図で示された位置より西側200メートルぐらいかな?に、箱根路の碑がありました。
f:id:asiandream0804:20191029111521j:plain

碑の右側面には『箱根路の碑 昭和四十三年八月』と刻まれています。
f:id:asiandream0804:20191029111616j:plain


【初音ヶ原】

f:id:asiandream0804:20191029111657j:plain

f:id:asiandream0804:20191029111730j:plain
三島の松並木が見え始めた辺りが初音ヶ原。
f:id:asiandream0804:20191029113027j:plain

初音ヶ原は、箱根旧街道の松並木北側あたりの名称ですが、初音の名は、源頼朝蛭ヶ小島に配流されていたとき、この高原で鶯の初音を聞いことから名付けられたと言われています。
f:id:asiandream0804:20191029113106j:plain
f:id:asiandream0804:20191029113142j:plain
 
国道1号線に沿ってつづく初音ケ原の旧街道は美しい松並木とともに、綺麗に整備された石畳が敷かれています。この石畳は江戸時代のものではなく三島市が整備したものです。


【錦田一里塚跡】

14:29 錦田一里塚跡
f:id:asiandream0804:20191029113340j:plain
f:id:asiandream0804:20191029113426j:plain
錦田一里塚は、江戸から数えて28里目。

錦田は明治22年(1889)に谷田村と川原ヶ村が合併して出来た村で、街道を境に地名が違うため右側は初音ヶ原一里塚とも呼ばれるようです。国道1号を挟んで反対側にも一里塚が残っています。

この錦田の一里塚は太平一里塚(愛知)、阿野一里塚(愛知)、野村一里塚(三重)とともに、東海道に4つしかない国指定史跡の一里塚として大変貴重なものです。

両脇の一里塚の写真を撮れなかったので、こちらの写真は、ネットからお借りしました。
f:id:asiandream0804:20191029113510j:plain

こちらの写真は、10年前に撮った、八里記念碑(鈴木宗忠老師)
f:id:asiandream0804:20191029113802j:plain

日々うらら 松の道場の 一里塚


八里記念碑は、7基までわかりましたが、あと一基がわかりません。

〔捕捉〕

10月9日に箱根を歩き、8基目を発見しました。


さて、4月3日続きです。


14:31 初音ヶ原歩道橋
f:id:asiandream0804:20191029113901j:plain

富士山も見えます。
f:id:asiandream0804:20191029113945j:plain

美しい遊歩道が続きます。
f:id:asiandream0804:20191029114002j:plain
f:id:asiandream0804:20191029114018j:plain


愛宕坂】

f:id:asiandream0804:20191029114046j:plain
愛宕坂 説明板

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

箱根旧街道は、1601年から江戸幕府により江戸から京都まで整備された東海道の一部です。両側には松や杉が並木として植えられ通行の人や馬を保護し、また一里塚を築いて旅人の目安としていたようです。この旧街道は急な坂道なので、人も馬もすべって大変なところでした。そこで幕府は、1680年に、それまでの竹を敷いてあったものから、石を敷き詰めて「石畳の道」に改修したものです。その石畳を1769年に修理した記録によると、「愛宕坂では、長さ140メートル、幅3.6メートルを修理した」とあり、当時の道幅がわかります。現在、この道は石畳風に整備されているところと、その下には往時(昔)の石畳が埋まっているところとがあります。ここでは 、 両側の松並木敷のうち、南側の並木敷だけを復元したもので、この先の初音ヶ原の松並木に続いています。江戸時代には、現在の東海病院の敷地には愛宕社ほかの社寺がありましたが、現在は「愛宕山」と刻んだ碑だけが頭上のこんもりとした小山に残っています。 

平成五年五月
 三島市教育委員会


↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

愛宕坂の石畳が、箱根西坂の最後の石畳です。
f:id:asiandream0804:20191029114117j:plain

f:id:asiandream0804:20191029114201j:plain


【今井坂】


14:47 旧東海道踏切
f:id:asiandream0804:20191029114241j:plain

この辺りは、10年前に来た時の思い出があります。

10年前のブログ

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

【胸が熱くなる】

小さい子を連れた若いママに「こんにちは」と声をかけられ、とても嬉しくなりました。

東海道本線の踏切を渡ったところで有線放送が入り、子どもたちの下校時刻なので、みんなで見守りましょう、と言っていたので、胸が熱くなりました。


↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑


この辺りは、今井坂。箱根西坂の最後の坂です。

f:id:asiandream0804:20191029114730j:plain

今井坂を歩いていると、右側に1725(享保10)年の題目碑があります。
f:id:asiandream0804:20191029114835j:plain
となりの石段を登ると三現山 真立寺です。


こちらの写真は、気になったので、道の反対側から撮ったのですが、結局何の社か、手前の石に何が彫ってあるのかわかりません。
f:id:asiandream0804:20191029115021j:plain

14:57 新町橋

f:id:asiandream0804:20191029121807j:plain
写真の、富士山の眺望の看板が設置されていますが、富士山は見えてはいるのですが、手前の樹木が伸びて富士山がよく見えなくなっていました。

14:57 守綱八幡神社
f:id:asiandream0804:20191029121844j:plain
f:id:asiandream0804:20191029121906j:plain

15:02 セブンイレブンでトイレを借りて、ドリンクヨーグルトを飲む。
f:id:asiandream0804:20191029121929j:plain


2度目の東海道5日目の4(三嶋大社から沼津宿)に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2019/10/29/143606