紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

杉並木と箱根関所跡

2度目の東海道4日目の5

4月1日(月)の5

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【葭原一里塚跡】


歩道橋の上から見下ろした杉並木。
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14:46 一里塚跡
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葭原久保の一里塚 日本橋から24里目


【杉並木】


14:46 杉並木
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絵手紙は、2017年7月に描いた絵です。
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元和四年(1618)、川越藩松平正綱によって植栽されたもの。樹齢360年だそうです。


【箱根八里の碑】


14:58 箱根恩賜公園

箱根八里の碑
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「 箱根八里」碑。

 鳥居忱(まこと)作詞、滝廉太郎作曲。

箱根の山は、天下の嶮
函谷關も ものならず
萬丈の山、千仞の谷
前に聳え、後にささふ
 雲は山を巡り 
 霧は谷を閉ざす
昼猶闇き杉の並木
羊腸の小徑は苔滑らか
一夫關に当たるや、萬夫も開くなし
天下に旅する剛氣の武士
大刀腰に足駄がけ
八里の岩根踏みならす
斯くこそありしか、往時の武士 」

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説明板
「箱根八里は、作曲者 滝廉太郎、作詞者
鳥居忱(まこと)両氏によって明治34年に作られ、小学校唱歌に採用され て以来、平成13年に生誕100年を迎えました。
この「箱根八里の碑」は、幾久しく多くの人に愛唱され、往時をしのび永く後世に伝えるために昭和41年に建立されたものです。
箱根町


箱根町関所資料館】

箱根町関所資料館と箱根関所、共通で入館料500円。

資料館内は撮影禁止。

10年前は外にいた関所入り口の役人マネキンは、今は館内にいるために写真が撮れなくなりました。

10年前はこんな写真を撮りました。
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私とツーショットの役人がどちらかわからないのですが、今は館内にいる二人のマネキンは、お杉とお玉という名前です。

関所の復元の映像をしっかり見ました。


【復元された箱根関所〜人見女と薮入り】

15:23 関所江戸口御門
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関所の中 の休息所
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人見女
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箱根関所は、 女性には特に厳しかったようです。女性の通行手形には、ほくろの位置や目鼻の形などの特徴が書かれていました女性の旅人を人見女という係が体の隅々まであらため、妊娠の有無はもちろんのこと結った髪をほどいてほくろやはげなどの特徴まで調べたというのだから徹底してます。

250年の関所の歴史上死罪になった人はたったの6人しかいないそうです。関所抜けを試みた人は多かったようですが、ほとんどの人は見つかっても「道に迷った」という名目の、藪(やぶ)入りとして追放処分されました。このあたり、厳しいばかりでない江戸の法の人情が感じられます。

井戸
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その他、関所内の写真
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15:35 京口御門
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寒いので、箱根ホテル前でちょうど小田原行きバスが来たので乗りました。 (15:45)

小田原着 17:05

本日の歩数 30,002歩。 18.3km

今回、芦ノ湖畔でホテルが取れなかったため(どうやらお一人様だと予約が取れないみたいです)小田原に2泊した関係上、翌日4月2日は休養日にして、紹太寺の垂れ桜を見たり、温泉に入り、翌翌日4月3日に箱根峠を越えて箱根西坂を下りました。


2度目の東海道4日目、ここまで。

5日目の前に、箱根再訪番外編(箱根板橋から畑宿)へ
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2019/10/21/133958



2度目の東海道五十三次歩き目次1へ
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2020/02/10/101738

2度目の東海道五十三次歩き 目次2へ
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2度目の東海道五十三次歩き 目次3へ
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2度目の東海道五十三次歩き 目次4へ
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東海道五十三次の絵手紙前半へ
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東海道五十三次の絵手紙後半へ
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