紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

箱根再訪番外編1(板橋見附から畑宿)

2019年10月9日(水)の2


2度目の東海道番外編箱根の1



箱根板橋上板橋


板橋見附の交差点のすぐ先にあるトイレは、10年前もお借りし、今年の4月1日に来た時もお借りし(10年前に来た時より、綺麗になっていました)、そして今日もまたお借りしました。

国道1号線を離れて、暫くは旧道を歩きます。

7:30 内野邸
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4月1日のブログにも書きましたが、説明板に書いてある内容、また載せます。

「この建物は、板橋の地で三代 100年近くにわたって 醤油醸造業を営んでいた内野家の店舗兼住宅として明治36年(1903年)に建てられました。当時流行していた土蔵造り風の町家で、「なまこ壁」や「石造りアーチ」など、和洋折衷的なとくちょうある意匠が取り入れられた機長な歴史的建造物です。 」


7:32 板橋地蔵尊(宗福院地蔵堂)
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4月1日にも立ち寄ったのに、本堂が神奈川県指定重要文化財になっているのに今日気がつきました。


板橋地蔵堂HPより

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板橋地蔵尊弘法大師ご彫像の因縁が尊ばれ、小田原宿を出た旅人は箱根越えの無難を祈り、また無事に箱根を越えた旅人はお礼参りに参詣し、東海道五十三次の一大霊場として賑わいました。特に毎年正月・8月の23・24日の両日に行われる大祭には西湘一円から祈願や供養のために参詣者が集まり大変な賑わいを見せてきました。

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小田原市HPより

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1月と8月の板橋地蔵尊の大祭には、旧東海道の町並みの両側に多数の露店が軒を連ね、善男善女のお参りで賑わいます。
また、この日に詣でると、亡くなった身内の人と瓜二つの顔の人に会えるといわれています。

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亡くなった身内の人と瓜二つの人と会えるって、私はゾッとするなあ。何となく面差しが似ていて親しみを感じる、ぐらいならいいけど。

亡くなった方ともう一度会いたい、と思うのと、そっくりな人を見たい、と言うのは違うと思う。いくらそっくりでも、その人として笑いかけてくれたり、積もる話をしなければ、会えたことにはならない。

板橋地蔵尊の境内に、ぽつりぽつりとぎんなん(銀杏)が落ちていました。
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7:38 石仏石塔群
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以前は、石仏石塔群は京都の化野みたいな特別な場所なのかと思っていました。しかし、東海道中山道を歩いて、実は工事などの理由で本来あるべき場所から移されて、一ヶ所にまとめられてしまったことを知り、昔は個体として村人や道行く人の信仰を集めていたのに、今は謂れもそれぞれ違う石仏といっしょくたにされてしまっている。悲しいというか寂しいというか。

石仏石塔群は、旧道が国道1号線にぶつかる上板橋交差点にあり、ここから暫く国道1号線歩きになります。


日蓮聖人御霊蹟(象ヶ鼻)】


7:47 君田島踏切
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右側の踏切を渡るとすぐ右側に日蓮聖人御霊蹟があります。
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今まで気づかなかったのか、以前来た時は草ぼうぼうでその先行けなかったのか、御霊蹟の説明板のさらに右側に山道があり、ちょっと行ってみたら、写真の冠木門のようなものがあり、その右側に「日蓮聖人思親の地」という標柱がありました。
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そしてさらに奥に、緑に囲まれた山道が続いていて、ここを上って行ったら、説明板にあった象ヶ鼻に出るのかなあ、と気になりましたが、ちょっと怖いのでそれ以上は入らないことにしました。
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この先を上って日蓮聖人思親の地を訪ねられた方のブログがありました。

https://blog.goo.ne.jp/alohakuumoku/e/6a20920b89c77df52ba401e7db417222


ここを上っていくと、象ヶ鼻と呼ばれる岩があり、そこから海が見えるそうなのですが、そのブログによると、

日蓮聖人はこの場所から、遠く房総の地で亡くなったご両親を偲ばれたそうです。」

とのことです。また、そこからさらに上っていくと、朽ちかけたお堂に石仏があり、

「 このご霊跡には、のちに朗慶上人により『象鼻山妙福寺』というお寺が開かれたそうです。 」

しかし、その妙福寺は大正時代に廃寺になってしまったそうです。


【郷の詩と風祭】


7:50 郷の詩
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「 郷の詩

舟出して 港も近き

里の名は げに白浪の 風祭かな

行こうか板橋 もどろか箱根

ここが思案の涙橋」


先ほどの君田島踏切と日蓮聖人御霊蹟からちょっと行った右側に大きな岩があり何やら字が彫ってありました。

上に書いた、「郷の詩」です。

行こか戻ろか思案橋 という歌は昔からあるみたいなのですが、(遊郭に行くかやめて帰ろうかと思案した橋)それに掛けたのでしょうか。

風祭 郷の詩 行こか戻ろか などで検索したのですがよくわかりませんでした。ひとつだけ、こんなブログがありました。


http://blog.livedoor.jp/daddy101s/archives/51292323.html

このブログによると、


「集落の入口にあるのが『行こか戻ろか』碑です。
となりの板橋から箱根に嫁いだ女性が、婚家のつらさにここで涙にくれたといいます。」

また、このブログでは、風祭という地名が珍しいが、忍者の里、風間谷(風魔の里)かもしれない、という仮説を立てています。

神奈川県に風魔と呼ばれる忍者の里があったことは有名ですが、場所がどこかは特定されていないようです。

風祭というと、私は昔見たテレビドラマ「風祭」を思い出すのですが、八千草薫を騙す結婚詐欺師の男が高橋昌也で、ぐらいしか思い出せないのです。

ググってみたけれど、そういうドラマがあった、ぐらいしかわかりません。平岩弓枝作品で、テーマ曲は石川優子が歌った「風のセレナーデ」。他の出演者は、古手川祐子、高橋悦司、山村聡久我美子

「風のセレナーデ」YouTubeで聴けました。懐かしくて泣きそう。

ああ、あの頃、「風祭」は三浦和義事件をモデルにしている、なんて言われて、たぶん違ったはずですが、何だかそんな事、思い出しました。


それから、4月に来たときには垂れ桜が綺麗だった紹太寺の前を通りました。
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8:09 入生田踏切を渡りました。
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【今度は見つけられた駒ノ爪橋跡】

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写真の橋を見ると、確かこの辺に「駒ノ爪橋跡」説明板があったはず、と毎回思うのですが、今回この橋の写真を引き伸ばしてみたら、「駒ノ爪開渠」と書いてあることに気づきました。開渠って?暗渠の反対かも?


建設・設備求人データベースより

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開渠

開渠(かいきょ)とは地上部に造られた給水・排水を目的とする水路のことで、蓋などで覆われていない状態のものを指す。明渠(めいきょ)ともいわれる。

ちなみに地中に埋設された水路は「暗渠(あんきょ)」といわれ、開渠と暗渠の総称は「管渠(かんきょ)」といわれる。

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そして案の定、この駒ノ爪開渠のすぐ近くに、駒ノ爪橋跡の説明板を見つけました。

4月1日に来た時は、たまたま見逃したのか、それとも草ぼうぼうだったのを、この夏少し草刈りをしたおかげで見つけられたのか。

8:13 駒ノ爪橋跡
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そして、そのすぐ先に日本初の有料道路の説明板もありました。
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【山崎の古戦場跡】


前回、4月1日に来たとき、山崎古戦場跡碑を見つけられなかったので、エネオス辺りから旧道に入らずに、国道1号線の歩道を歩いてみました。

長く道路工事をやっていて、山崎古戦場跡碑が仮置き場に移転していた、ということなので、10年前とは違う場所に移された可能性があると思ったからです。

山崎バス停の手前に、写真の、「山崎の古戦場」案内板を見つけました。(8:22)
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案内板
「 山崎の古戦場

安政5年(1858)、日米通商条約が結ばれ、外国との貿易が始まると、日本の経済は混乱してしまい、幕府や外国への反抗が高まりました。その結果、尊皇攘夷の運動が起き、勤皇派と佐幕派が対立して、各地で戦乱が起きました。
小田原藩は、最初勤皇派でしたが、途中で意見が分かれ、上総からの遊撃隊によって佐幕派になりました。しかし藩主の決断により再び勤皇派になり、小田原を出た遊撃隊と湯本の山崎において、激しい戦いが行われました。結局小田原藩と官軍が勝ち、遊撃隊は破れて敗走しました。この戦いを箱根戊辰の役といいます(1868年)。
箱根町

この案内板を見つけた後、旧道へ抜ける細い横道があったので、旧東海道に戻りました。

次に旧道が国道1号線と合流した辺りに角に、なんと!探していた山崎古戦場跡碑が建っていました。

8:27 山崎古戦場跡碑
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私はてっきり、石碑も新しく作られたのかと思っていてのですが、10年前に撮った写真と比べると石の形がそっくりで、どうやら新しく彫ったものではなく、以前のものを道路に戻したもののようです。

10年前に撮った写真
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8:33 湯本歩道橋
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すぐ手前に東三枚橋のバス停がありました。

この歩道橋を渡って、国道1号線の左側に出ておくと、この先便利です。


三枚橋から湯本小学校】


湯本歩道橋で国道1号線の左側の渡ってからは、石畳風の歩道を歩きます。
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ガードの格子塀に大名行列の絵が描かれています。
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8:38 三枚橋交差点を左折。
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三枚橋を渡ります。写真は三枚橋から箱根湯本駅方面の早川。
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橋を渡りきると、旧東海道、箱根宿まで15kmの看板がありました。

その先、道が分かれますが、右に進み、ここからだんだん上り坂になります。

4月1日に休憩したセブンイレブンを通過し、坂を上っていくと、4月には桜が綺麗だった湯本小学校。(8:47)写真は現在の桜の樹。
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白山神社、早雲寺、湯本茶屋の一里塚跡】

8:48 白山神社
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8:49 早雲寺
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8:53 弥坂湯
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9:00 湯本茶屋の一里塚跡
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この辺りは前回も写真を撮って解説も書いたので、サクサク行きます。


【猿沢の石畳と猿橋


9:02 猿沢石畳入り口
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4月に来た時も入口を見付けそびれて歩かなかったし、10年前来た時にはここに石畳があることにすら気づきませんでした。

つまり、以前2回来ていて今日で3回目なのに、初めて歩く道です。

ここは猿沢石畳というそうで、全長約255m、国の指定史跡だそうです。
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9:05 猿橋
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猿沢石畳み道のほぼ中央にあるのが、猿沢に架かる通称猿橋

橋を渡ると、大きな岩が道のまん真ん中にあって、果たしてこれは元からあるものなのか、大雨などで崩れ落ちてきたものなのか?
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この橋を渡ってすぐ、65歳ぐらいの御夫婦と出会って、

「玉簾の滝」への道を聞かれましたが、東海道からは寄り道しないと行けない場所であるため、全然知りませんでした。

調べてみたら、ホテル天成園の敷地内にある、玉簾のように美しい滝だそうです。ホテル天成園宿泊者じゃなくても見せていただけるのかな?

今日は先日の熊野古道の時に履いたトレッキングシューズが、果たして石畳に合っているのかどうなのか、リュックに入れて持ってきましたが、普通の道の場合は明らかに私が東海道歩きのために買ったスニーカーの方が歩きやすいはずなので、今はスニーカーを履いています。

猿沢の石畳でトレッキングシューズに履き替えるかどうか一瞬考えましたが、この先暫くは普通の道なので、まだスニーカーを履いています。

やがて猿沢の石畳はずっと上り坂になり、さっき歩いていた旧東海道の車道に合流しました。
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【観音坂、葛原坂】


9:14 南風荘
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4月に来たときは、南風荘の桜が吹き上がってきて、素敵でした。


9:17 観音坂
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4月に来たとき、この観音坂の石碑に気づきませんでした。

この石碑の左隣に案内板があるらしいのですが、気づきませんでした。単に見付けられなかっただけなのか、今はなくなってしまっのか。

このように書かれているそうです。

案内板
「 観音坂

 奥湯本にある坂で、幕末に編さんされた『新編相模国風土記稿』に 「海道(東海道)の西方にあり、登り二町(約二百八十米)ばかりこの辺りを字古堂と唱ふ」とあり、昔観音堂があったので、坂の名がついたと記されています。」


9:27 葛原坂
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葛原坂の解説は4月1日のブログに書いたので、今回は割愛します。


【初花の滝と須雲川】


9:32 写真の杉並木のすぐ裏で工事をしていて、近々この素敵な杉並木がなくなってしまうのではないかと不安になりました。
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9:38 初花の瀑の碑
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この碑の解説、貞女初花の物語については4月1日のブログに書きました。

今いる碑がある場所からは、ほとんど初花の滝は見えません。木々の葉が落ちたら季節にかろうじて見えるそうです。

昔はもっとよく見えたらしいのですが、関東大震災で崩れたとかなんとか。

以前に、山道を辿って初花の滝を見に行った方のブログを読んだことがあったので、今回紹介しようと思ったら、見つけることが出来ませんでした。

唯一見つけたのが、じゃらん観光ガイドの「箱根 初花の滝」の口コミに、とーしさん、80代という方がこのように書いていました。

「 滝への道は無く行くのは大変です。 大きな石の間を這うように進みます。初花の滝が見える場所に石碑があります。滝に行くまでの道は無く藪をかき分け 斜面を登りました。行くと達成感があります。」

9:40 須雲川案内板
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案内板
「 三、須雲川

 この周辺の集落を須雲川といいます。むかしは、川端とも呼ばれていました。この場所に集落ができたのは、江戸の初め寛永のころです。天下の街道となった箱根道を往来する人々のためまた、道を維持管理するために、一定の間隔をおいて集落をつくる必要があったのです。」


【鎖雲寺】

9:43 鎖雲寺
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写真は、気持ちのいい道。
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【女転し坂、割石坂】

9:52 女転し坂
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あらら、看板の左上、壊れている!と思ったら、4月1日に撮った写真を改めて見てみたら、4月1日に来たとき、既に壊れていました。


9:56 割石坂
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道標の少し上辺りで、スニーカーを脱いでトレッキングシューズに履き替えました。
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【案内板が倒木で倒れている!】


木漏れ日の石畳を上っていくと、

10:06 案内板が壊れている!
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倒木で壊れたんですね。台風15号の時に倒れたのかな?


【江戸時代の石畳】

江戸時代の石畳
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江戸時代のものがそのまま残っていることも大切で素晴らしいですが、つまりは大半が復元ですよね。すごいです!多くの方に支えられ、東海道を歩いています。

10:11 いつ来ても印象深い、金網のところ。
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10:11 接待茶屋跡
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4月1日のブログに詳しく書いたので、今日はささっと通りすぎましょう。


【急な下り坂と木の橋】


10:15 ここから急な坂を下ります。
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毎回新鮮に、「本当にここを下るの?」と驚く急な下り。トレッキングシューズだから、少し楽かな?


少し傾斜は緩くなりましたが、まだ山道は続きます。
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10:18 木の橋
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このすぐ後に、強度が不安になるボロボロの橋があります。


【畑宿】

10:25 畑宿手前の階段下
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山野草ではなく、庭の草花が見え始め、階段が見えて来ると、もうすぐ畑宿です。

階段下に咲いている白い花は秋明菊。またの名を貴船菊。私の大好きな花です。亡くなった祖母が貴船菊が大好きで、庭でも育てていて、茶道の先生をしていた祖母は、茶花(お茶の席の床の間に飾る花)にもよく活けていました。

秋明菊は名前は菊ですが、キンポウゲ科の花です。白の他に薄紫やピンクっぽいものもあります。

10年前に長女と箱根や静岡辺りを歩いた時は、長女は私がこの花を好きなことを知っていて、

「ここにも咲いているよ」と、よく教えてくれました。

この階段を上ると、いよいよ畑宿です。

畑宿は、旧街道東坂(湯本~箱根町)のほぼ真ん中に位置し、参勤交代の大名たちがひと休みした「本陣茗荷屋跡」などが残っています。

箱根峠から三島へ下る道を西坂というのに対し、今、私が歩いている道が東坂です。

10:30 畑宿の案内板
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案内板に書いてあるように、間の村として栄え、お土産物としての寄せ木細工や、鮎の塩焼きが旅人の足を止めたとか。

今日も車で来た人たちが、寄せ木細工の店を訪れていました。

畑宿では他に写真を撮らなかったので、4月1日に撮った茗荷屋跡の写真も貼っておきます。
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宿の終点に当たるところにトイレがあり、今回もお借りしました。また、持ってきた水がそろそろ空になりそうなので、自動販売機で水を買いました。

自動販売機の周囲にペットボトル用のゴミ箱がなかったので、さっき見かけたゴミの分別収集場(観光客用と思われます)まで戻って、空いたペットボトルを捨てました。


2019年10月9日(水)の3

箱根番外編の2【畑宿一里塚跡から箱根関所跡】に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2019/10/23/001823