紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2度目の東海道五十三次歩き5日目の1(元箱根〜箱根峠〜西坂1)

4月3日(水)の1


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足止めてウグイスを聞く石畳



東海道五十三次歩き5日目。

一昨日、4月1日は、箱根板橋から三枚橋~畑宿~甘酒茶屋~箱根湖畔~杉並木~箱根関所まで歩きました。

今日はその続きで 、元箱根〜箱根峠~箱根西坂~三島~沼津と歩きました。


【元箱根からの出発】

小田原駅東口を8:20発の、箱根町港行きバスに乗りました。

9:22 箱根ホテル前バス停でバスを降りました。

9:25 箱根駅伝ミュージアム
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9:26 駅伝広場
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9:26 芦川バス停前
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その先で旧東海道は右斜めの道に入ります。


【山の神、駒形神社

9:29 山の神
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里に豊作をもたらす馬頭観音です。

9:31 駒形神社
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犬塚明神。箱根宿設置の際、狼に悩まされ、唐犬二匹を投入し、狼をよく退治しましたが、宿場完成の後、唐犬二匹も傷つき死んでしまったそうです。

人々は、宿場完成に役立ってくれた唐犬二匹をここに埋め、犬塚明神として崇め祀ったそうです。

写真の道標にしたがって進みます。
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【山道入り口前の石仏石塔群】

9:33 石仏石塔群
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芦川の石仏群。箱根で最も古い石仏だそうです。

万治元年(1658)、建立の庚申塔があるそうです。
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【向坂、赤石坂、釜石坂】

しきりに鴬がなく石畳を上ります。
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箱根宿で泊まった旅人は、箱根峠まで新たな気持ちで石畳の坂を上る、再出発の思いで上るから、向坂と呼ばれたそうです。

向坂 9:35
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9:40 道路の下をくぐります。
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箱根ホテル前からずっとトイレがなく、しまった、ひとつ前の箱根関所でバスを降りて、箱根関所のバス停前のトイレに行けばよかった、と後悔しました。

9:40 赤石坂
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9:44 釜石坂
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江戸時代から残る杉並木があります。


【風越坂、挟石坂】

9:49 風越坂
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9:53 挟石坂
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箱根峠へ向かう最後の坂です。


国道1号線脇を行く】

挟石坂を上りきり、目の前の箱根新道を渡り、箱根新道と平行している国道1号線を左折して、道の左側の側溝の脇を歩きます。

写真は、国道1号線を左折して、左に箱根新道を見ながら、国道1号線の左端を歩いているところです。
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箱根くらかけゴルフ場の看板を見て、国道1号線と別れて左斜め前の道に行きます。
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暫く行くと、写真のY字路があるので、右へ進みます。
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【箱根峠と峠の地蔵】

10:11 箱根峠
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左に進みます。

10:12 冠木門
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10:14 峠の地蔵

峠には現代の地蔵が新しく立てられていました。
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箱根八里にちなんで、8人の女性の言葉が書いてありました。向井千秋黒柳徹子杉本苑子橋田寿賀子宮城まり子橋本聖子…さんたちでした。


【新箱根八里記念碑(峠の地蔵)】

写真は、10年前の長女と八地蔵。
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向千秋 夢に向ってもう一歩
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穐吉敏子 道は段々険しく
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桜井よしこ 花は色なり 人は心なり
勇気なり
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黒柳徹子 花見る人は皆きれい
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橋田壽賀子 おしん辛抱
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宮城まりこ 私は彼等と共に泣き
また共に笑った
彼等はただ私と共にあり
私は彼等と共にあった
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杉本苑子 源実朝
箱根路を我が越え来れば
伊豆の海や
沖の小島に波の寄る見ゆ
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橋本聖子 細心大胆
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【チョコクランチ】

静岡県へようこそ」
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この看板に胸踊りますが、実は横長い静岡県。これからずっとずっと、長く長く静岡県を歩きます。

四阿とトイレを左に見て、国道1号線を離れて右斜めの静かな道へ。
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そこに並ぶ岩に座って休憩。

つい先日、大学時代の友人との同窓会でいただいたチョコクランチ。
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【茨ヶ平】

10:28 茨ヶ平(ばらがだいら)
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この辺りは、イバラが生い茂っていたため、茨ヶ平と呼ばれたそうです。
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暫く行くと、左手に篠竹に囲まれた道があり、江戸まで二十五里、京都まで百里、の石標(写真)と、箱根3km、三島11kmの道標。
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【北斗欄干】

道標に従って篠竹の道に入ると四阿(あずまや)と兜石の説明(豊臣秀吉が兜を置いた石)の看板。
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その左奥に井上靖の箱根八里記念碑。
10:30
(「北斗闌干」ってどういう意味だろう?箱根から見える北斗七星が橋の欄干みたいってこと?)
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後で調べたら、北極星が夜空にさんぜんと輝くさま のこと、だそうです。


【八ツ手観音と篠竹トンネル】


四阿のすぐ脇に八ツ手観音
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八ツ手観音は、憤怒の形相で、災いを避ける馬頭観音だそうです。

そこから、篠竹のトンネルの道を行きますが、10年前は篠竹トンネルが薄暗くて怖かったけれど、手入れされて刈り込まれ、明るくなっていました。
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私は篠竹と呼んでいましたが、ここら辺りの細い竹は箱根竹だそうです。

はこね‐だけ【箱根竹】
アズマネザサの一品種。高さ2~4メートル。節間は長く、節ごとに枝を密生。春、緑紫色の穂をつける。地下茎がパイプなど細工物に利用され、箱根周辺に特に多い。」

煙管の管の材料にされたそうです。

絵手紙と、こちらの写真が10年前。
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こちらの写真が今回撮ったもの。
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【兜石の碑】

写真の兜石の碑の場所に、当初は兜石があったそうですが、今は少し先に兜石が移動しています。
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篠竹の道を暫く進むと、国道に出ます。
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【接待茶屋跡】

暫く国道を歩きます。歩道が石畳風になっています。
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10:51 接待茶屋跡
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接待茶屋(せったいぢゃや)

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 箱根は関所あり急な坂道ありで「箱根の山は天下の険」と言われたほど、旅人にとっては非常に苦労の多い大変な山越えでした。
こうした苦労を目の当たりにして、文政5年(1822)江戸呉服商人加勢屋与兵衛(当時74歳)は基金500両(約3,800万円)を幕府に出し、この利息で一般の人には湯茶を、馬には飼葉を接待しようと考えました。

 そして、文政7年(1824)に山中一里塚と箱根町の畑宿に接待茶屋を設置しました。
人には湯茶、馬には飼葉を与え、寒い時期には人足・貧窮者にも粥を与えたり、焚火をしたりしていました。
与兵衛亡き後も、茶屋の運営は多くの篤志家たちにより受け継がれ、昭和25年(1950)まで続けられていました。

 ちょうどこの辺りは三島市函南町の境付近で、少し下ると旧東海道の石畳、明治天皇小休止跡碑、三島市ふれあいの森などがあります。

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出典『三島市誌 中巻』P.566、『ふるさと三島』、『ふるさとのしおりみしま』、三島市郷土資料館HP
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【10年前の怖かったお話】


10年前、この辺りを歩いたときは長女と一緒で本当によかった。

怖かったことがあります。

篠竹トンネルだけではなく、全体的にもっと薮というか山道っぽかったのですが……

10年前のブログより

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【 絵看板と謎の放置廃車】(接待茶屋跡の先)

右側にまた旧道に入りますが、入ってすぐの所に手作り風の絵看板…箱根峠から三島までの双六でした。
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その先に何故か車があって…張り紙がしてあり、この車は平成20年7月25日からここに放置されています。10月10日までに移動しなければ撤去します、とありました。なんだか怖いなあ。犯罪?自殺?

気を取り直して歩きました。石畳は気を抜くと滑る。

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当然その車は取り除かれ、薮もきれいに刈り込まれていました。

10:52 徳川有徳公遺蹟碑
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徳川有徳公遺蹟碑は、山中一里塚のすぐ近くにあり、兜(かぶと)石や明治天皇御小休趾(おこやすみあと) の碑とともに建っています。

 徳川有徳(徳川八代将軍吉宗公)は、紀州公から将軍になるために江戸へ向かう途中、石割坂(いしわりざか)にあった茶店で休憩をとりました。その間に、店の主人が馬の世話をよくしたところ、吉宗はその心遣いに 大層喜び、自ら永楽銭(えいらくせん)を与えたといいます。それからというもの、代々の紀州公は、参勤交代の際にはこの茶店で休み、永楽銭で支払うようになったと伝えられています。またその頃から、この茶店を 「永楽茶屋」と呼ぶようになりました。

 これを記念して、当地の観光開発に尽くした鈴木源内が昭和10年に建てたのが「徳川有徳公遺蹟碑」 です。

【広報みしま 平成19年4月1日号掲載記事】

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【かぶと石】

10:52 かぶと石
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この石が兜(かぶと)を伏せたような形をしていることから「兜石」と呼ばれているようですが、豊臣秀吉小田原征伐の際に、秀吉が休息した際に兜をこの石の上に置いたことから兜石と呼ばれるようになったとも言われているようです。

こちらの写真は10年前に撮った写真です。
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季節の関係か(2008年10月7日でした) 緑の苔が生えていますね。


10:56 明治天皇小休趾
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【念仏石】

11:05 念仏石
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説明板

「 念仏石
 ここに突き出している大きな石を土地の人たちは念仏石とよぶ。この念仏石の前に「南無阿弥陀仏・宗閑寺」と刻んだ碑があるが、旅の行き倒れを宗閑寺で供養して、碑を建てたものと思われる。』

平成十年九月
三島市教育委員会



鬱蒼とした道から、明るい道へ
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11:20 民家の庭先を通る。
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黄水仙ムスカリなどがきれいに咲いていました。
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2度目の東海道5日目の2(箱根西坂2〜上長坂など)に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2019/10/29/035142