紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2度目の東海道5日目の2(箱根西坂2〜上長坂など)

4月3日(水)の2


【横断歩道を渡りましょう】


民家の庭先から道標にしたがって真っ直ぐ降りると、横断歩道。
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11:24 三島市に入りました。
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急な階段を下ります。
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その先、石畳を歩いていたら、やがて写真のような、舗装道と石畳が並行しているところに出ました。
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東海道を歩き始める前は、石畳は憧れでしたが、沢山歩いて足も痛いと、石畳は歩きにくいし、雨の日は滑るし、こういう道は石畳ではない方を歩きたくなるものですが、10年前に長女と歩いたときは、東海道を歩きに来たのに浮気するといいことない、バチが当たる、というような話をして笑い合ったのを思い出しました。


【雲助徳利の墓】

11:37 雲助徳利の墓
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三島市HPより

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雲助の墓は、もと接待茶屋付近にありましたが、現在は山中新田東端の老杉の下にあります。
 この墓の主は、久助という人で、なかなか立派な家の出であったといいます。一説には武家の生まれともいわれ、なかなかの器量人であった様です。しかし、どのような理由からか一生を人の卑しむ雲助で終わりました。
 日頃、頭役となって仲間の取り締まりをしていましたが、困窮の者や若者のめんどうを、身銭を切ってもしてやりました。これは、雲助だけのことではなく、街道筋の百姓にも同じでした。
 ことに、往来の悪者に難くせをつけられて、弱りきっている者を身をもってかばってくれたといいます。
 したがって、仲間の者からも、また、街道沿いの百姓、商人からも厚い信頼を受けていたのです。彼は、終生酒を愛し、酒を楽しみ、酒の中で一生を終わったといわれています。
 その死後、彼を慕う後輩の雲助や土地の人々の手によって作られたのが、通称「雲助の墓」といわれるこの墓なのです。
 石碑の前面に、大きく杯と徳利を浮彫にして、全体にしゃれた趣を漂わせたこの墓は、彼の人柄をよく表現しています。往年は、香華の煙の絶えることがなかったといわれています。

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写真は、その少し先にあった、箱根街道の標柱。
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【雲助だんご】


11:41 竹屋前
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残念ながら閉まっていました。

10年前はここで雲助だんごを食べました。10年前に撮った写真が、こちら。
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その時のブログ

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【竹屋で雲助だんご】

まだ、暖簾が出ていませんでしたが、ちょうど男の人が出てきて、「いらっしゃい」と招き入れてくれました。暖簾を出そうとしていたところみたいです。

私は雲助だんご(上の写真)を、長女はところてんを食べました。お茶の他に、しそジュースを少しサービスしてくれました。おばさんが、「しそジュースは元気になるよ」と言ってました。

山中城跡のマップと、三島夢街道という、箱根峠から三島までのマップもくれました。三島までのマップは随分役立ちました。

店に来たお客さんたちが一言ずつ書いているノートがあったので、私も一言書いて、娘と私の似顔絵?も添えました。


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写真は駒形諏訪神社山中城址を見学するには、ここから入っていきます。
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【山中新田】

箱根峠を越えて静岡県に入ってから、

「夢街道 東海道

という標柱をときどき見かけます。

「山中新田」の標柱は3ヶ所ありました。
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写真4の10年前の写真の山中新田がどれなのか写真を見比べて考察したら、写真1ですね。


山中城址】


今回は山中城址は見学しませんでした。

こちらの2枚の写真は、10年前の写真です。
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その時のブログ

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山中城址】

店(雲助だんごを食べた竹屋)の前の駒形諏訪神社から山中城跡に入りました。まともに見学していたら2~3時間かかりそうなので、適当にはしょって見ましたが、芝生のよく整備された公園風でした。

豊臣秀吉に一夜で滅ぼされた北条氏の城ですが、栄枯盛衰を偲ぶというより、きれいな公園でリフレッシュしてきた感があります。

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【箱井戸跡】

今回、箱井戸跡だけ見に行って来ました。

11:46 箱井戸跡
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今は睡蓮池になっていて、7〜9月には可憐な花が咲くそうです。


【芝切地蔵】

旧東海道は斜め右の人家の中の道へと進みます。
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中通りと呼ばれている地区です。

11:50 芝切地蔵
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芝切地蔵尊(「広報みしま」より)

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山中新田にある「芝切地蔵堂」には、江戸時代から伝わる次のような話があります。

 ある夜、巡礼の旅人が宗閑寺(そうかんじ)に一夜の宿を頼みますが、突然腹痛に襲われ亡くなりました。旅人は亡くなる直前に「私をこの地で地蔵尊として祀(まつ)ってください。そして芝を積んで芝塚をつくり、故郷の常陸国〈ひたちのくに(茨城県)〉が見えるようにしてください。そうすれば村の人や世の中の人々の難病を救いましょう」と言い残したそうです。

 こうして旅人は芝切地蔵尊として葬(ほうむ)られ、今でも毎年7月中旬にお祭りが催されています。そこで 売られる「お札」や「腹掛け」は、お腹の病に効くと評判です。また、戦前は伊豆一円や富士・沼津など遠方からもこの日に多くの信者が集まり、参拝者の列が三島まで続いたといわれています。

【広報みしま 平成19年9月1日号掲載記事】

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山中城址案内所】

11:52 山中城址案内所で休憩
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おすすめの寒ざらしだんごや、ガイドブックおすすめのところてんも気になったのですが、お腹がすいていたので、山菜うどんをいただきました。
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この時季でなければ、お蕎麦を食べたのですが、花粉症の時期なので、蕎麦は避けました。

【八里記念碑(司馬遼太郎)】

山中城址案内所の隣にトイレがあります。

山中城址案内所裏手に旧東海道があります。
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12:12 八里記念碑(司馬遼太郎)
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その隣に馬頭観音
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東海道箱根峠への道(カナリアネットより)

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昭和60年(1985)(社)三島青年会議所の働きかけで東海道箱根道東坂西坂に「箱根八里記念碑」が8基設置された。
箱根旧街道を散策する人々にとって旅のひとときの憩いになればと、8人の現代一流文化人が街道に寄せる熱いメッセージを埋め込んだ石碑である。

箱根峠に近い茨ヶ平に設置された作家井上靖氏の石碑のメッセージは
「北斗闌干(ほくとらんかん)」

旅の道しるべ北斗星を箱根峠で見るさまを表現したものであろうか。


山中城跡近くにある腰巻地区の杉林に囲まれた石畳道には、作家司馬遼太郎氏の石碑がある。

幾億の跫音(あしおと)が坂に積もり 吐く息が谷を埋める わが箱根にこそ

作家の箱根坂に対する激しいイメージとメッセージが伝わってくる。

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国道に出て少し行くと、

12:19 富士山が見えた!
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【迂回】

富士山が見えた!と浮かれたのも束の間、石畳入り口が通行止めで、国道をとことこ迂回しなくてはいけなくなりました。地図で見たら、かなりの大回り。
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しかたない。とぼとぼ。

と思ったら、写真のような、海が見えた!という素敵な景色に出会えました。
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【富士見平と芭蕉句碑】

12:24 富士見平
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10年前来たときは、富士山は見えませんでしたが、今日はきれいに見えました。

12:27 芭蕉句碑
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10年前のブログ

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芭蕉翁は案外若い】

芭蕉の句碑がありました。

「霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き」…そうだ、そうだ!でも、ちょい、負け惜しみじゃないですか?芭蕉翁。でも、カンカン照りより、曇りが楽なのは本当です。

長女が「芭蕉は年寄なのに、よくあちこち歩いたね」と言うので、「『おくのほそ道』の旅に出たのは45歳だよ」と言ったら、「そんなに若かったんだ」と驚いていました。

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さっき迂回を余儀なくされた、その工事中区間の反対側はこちら。
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国道1号線を渡って、12:31 階段を下ります。
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笹原新田(上長坂)
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この先、また国道に出るので、束の間の裏道を楽しみます。
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【スカイウォークと富士山】

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10年前はただの笹原新田だったのに、平成25年か26年か頃に、三島スカイウォークが出来ました。
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全長400メートルの、歩行者専用吊り橋で、富士山や伊豆がよく見渡せるそうです。

車が次々駐車場に入っていきます。春休みだからかな。
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【笹原の一里塚跡】

12:45 馬頭観音
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12:50 八里記念碑(大岡信)
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大岡信「箱根八里記念碑」
「森の谺(こだま)を背に 此の径をゆく 次なる道に出会うた」
(大岡信は、昭和6年に三島で生まれ、文化勲章菊池寛賞文化功労者賞、読売文学賞等を受賞した詩人)

八里記念碑とは?

箱根峠には新箱根八里記念碑(峠の地蔵)があったけれど、八里記念碑って?

さっき、司馬遼太郎氏の八里記念碑の時にも書きましたが、

「昭和60年(1985)(社)三島青年会議所の働きかけで東海道箱根道東坂西坂に「箱根八里記念碑」が8基設置された。
箱根旧街道を散策する人々にとって旅のひとときの憩いになればと、8人の現代一流文化人が街道に寄せる熱いメッセージを埋め込んだ石碑である 。」

いままで、井上靖司馬遼太郎大岡信、と、三基見てきました。あと5基は?

ネットで拾った話

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「箱根八里記念碑」は、8人の現代一流の文化人の方々の揮毫を、箱根旧街道の要所に建て、かつての大街道としての役割から散策の道としての“箱根八里”の復活を願って作られました。

これらの記念碑には、
井上靖氏 「北斗闌干」を始め
司馬遼太郎氏「幾億の跫音が坂に積もり 吐く息が谷を埋める 我が箱根にこそ」。
東山魁夷氏 「青山 緑水」
小澤征爾氏 「貴方は 今 歌ってますか」
大岡信氏 「森の谺を背に この道をいく 次なる道に出会う為」
芹沢光次良氏 「箱根路や 往時をもとめ登りしに 未来の展けて たのしかりけり」
等。

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8基作られたのに、6基の紹介しかありませんね。

もう1基は心当たりがあります。後でまた紹介します。

しかし、最後の1基がわからない。

12:51 笹原の一里塚跡(日本橋から27里目)
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2度目の東海道5日目の3(こわめし坂〜臼転坂〜錦田一里塚跡〜愛宕坂など)に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2019/10/29/093055