2度目の東海道五十三次を歩き第1日目の2
2019年3月22日(金)の2
【品川宿】
品川駅前は人が多くて大変。
暫く行くと、高架下に品達ラーメン街と品達丼街があり、前回来た時は開店前で鉄柵が閉まっていたのに、もう並んでいる人がいましたが、今朝はさすがにまだ並んでいませんでした。
暫く行くと、道はR15と別れ、八ッ山橋で線路を渡り、北品川の品川宿へと入ります。
9:19 八ッ山橋
八ッ山橋のところに東海道案内板があり、トイレもあったのでお借りしました。
街道松が所々植えられていて、広場になっていました。街道松があると東海道らしくていいなあ。
松の広場が3箇所ぐらいあって、ベンチやトイレがありました。
目黒川に架かる品川橋(境橋)を渡ると南品川。
9:40 品川橋
【南品川】
南品川で三軒ほど、そして他の場所でも、今日はたくさん畳屋さんを見かけました。
こちらのふたつの写真は、別々の畳屋さんです。
南品川と東大井との境の大通りを渡った左側に、ミニストップがあります。
2008年9月12日にも同じ店に入りました。
ミニストップに入って、パフェを食べたのは、ちょうど10:00。
その時は白桃パフェを食べましたが、今日はいちご練乳パフェを食べました。
商店街は、この後、青物横丁商店街、鮫洲商店街、立会川商店街と名前を変えて続いていきます。
【くじら噴水はどこへ?】
10:26 しながわ区民公園
トイレを借りてから、2008年9月12日に見たくじら噴水を見に行ったのですが、あら、ない!
うろうろ探したけど、見当たらない。
以前より、遊具やいろいろな施設が整備されたので、なくなっちゃったのか、私が見つけられなかっただけなのか。
何せ、南北に長い公園で、全部を回るのは大変なので。
後日確かめてみます。(ごめんなさい。まだ確かめていません)
確か、2015年に、当時人気絶頂だったふなっしー主演の、ふなっしー探偵のドラマで、くじら噴水が出てきたので、その時はあったわけです。
【鈴が森刑場跡】
しながわ区民公園から東海道に戻った辺りが鈴が森刑場跡。(10:44)
こちらがが今日撮ったもの。
こちらは2008年9月12日に撮ったもの。
季節の違いで木の葉の繁り具合が違うだけではない、かなりの印象の違いを感じました。
前より整備されたからなのか。でも、以前の方がそこだけ冷気漂う特別な空間でしたが、今日見たら、普通に歴史的な碑が並んでいるだけのような。
八百屋お七が磔の刑にあった杭の土台の石の穴が残されているのを前回は確認しましたが、今回はそれすら気づかなかった。
10年経つと、いろいろ変わります。
ところで、なんで東海道沿いの、多分当時かなり目立つ場所に刑場が置かれたのか。
小塚原刑場も日光街道沿いに置かれていました。
東海道に面し、品川宿にも近いこの場所に何故刑場が置かれたかと言うと、江戸に入ってくる浪人衆に警告を与える為だったそうです。
当時の江戸は、食い詰めた浪人が多く集まり、治安が悪化していたそうです。
その為、悪さをした浪人などの処刑をつまびらかにする事で、これから江戸に入ってくる浪人が悪事を働かない様にすると言う、抑止力効果を狙って、東海道沿いに刑場が置かれたのです。
【第一京浜道路に出る】
鈴が森刑場跡の先で第一京浜道路(国道15号線)と合流し、道の左側を歩きました。
しながわ水族館前通過が10:48
11:02 平和島への分岐
その、斜め左に分岐した道が旧東海道です。
旧東海道を辿ると、このように斜めに分岐する道が多いです。
2008年9月12日に歩いたときは、暑さで、影のある右側を歩いたため、この分岐は見逃して、ひたすら第一京浜道路を歩いていました。
写真のような、静かで素敵な道だったのに。
この辺りは美原という地名で、この通りは仲町商店街です。
【梅屋敷跡】
旧道から第一京浜道路(国道15号線)に合流した時、一瞬どちらに進むんだろう、と迷った左側へ進む道があったのですが、私が今回持って歩いている「ちゃんと歩ける東海道 東」の地図に書いてあったデニーズのおかげで間違わずに進めました。
デニーズ 11:16
第一京浜道路は、2008年に歩いたときは工事が多かったのですが、すっかり整備されていました。
ですから、当時とはかなり景観、印象が変わりました。
梅屋敷跡の公園で休憩しようと思っていてのですが、その公園は道の右側だっので、通過してしまいました。
写真は、2008年9月12日に撮った梅屋敷跡の写真です。
2008年に歩いたときに書いたものをコピペします。
「 梅屋敷跡って何があるのかな、と、ちょっと楽しみにしていたら、池のある公園でした。今は小さな一角ですが、昔は、あの吉野梅林と並び称されるほどの、梅の名所だったとか。 」
こちらは、梅屋敷内にある、日本橋三里十八丁の碑。
【呑川緑地と六郷神社】
梅屋敷で休憩できなかったので、どこかで休みたい、と思っていたら、
11:36 に写真の地図の看板を見つけました。この、呑川緑茶のベンチで一休み。
近いベンチには、先客が昼寝していて、少し歩きましたが。
呑川(のみかわ)は2級河川。
wikipediaによると、
「 東京都世田谷区桜新町の東急田園都市線桜新町駅付近を水源とし、世田谷区深沢、目黒区八雲、東急東横線都立大学駅付近(目黒区中根付近)、東急大井町線緑が丘駅及び東急目黒線大岡山駅付近(東京工業大学付近)、大田区石川町、雪ヶ谷、久が原、池上、蒲田(JR蒲田駅、東京工科大学、日本工学院専門学校、京急本線京急蒲田駅付近)を流れ、糀谷を抜けて東京湾に注ぐ。」
さて、六郷神社を目指しましょう。
六郷神社までの退屈な道で、2008年の時も今日も、六郷と言えば連想される、西六郷少年少女合唱団のテーマ曲「ぼくらの町は川っぷち」を歌いながら歩きました。
NHK「みんなの歌」で流れていました。
「 ぼくらの町は川っぷち
峯陽作詞・林光作曲
ぼくらの町は 川っぷち
えんとつだらけの町なんだ
ふといえんとつ こんにちは
たかいえんとつ またあした
川のむこうに 日がのぼり
えんとつのけむりに 日がしずむ
そんな ぼくらの町なんだ
ぼくらの町は 川っぷち
えんとつだらけの町なんだ
ひくいえんとつ せのびしろ
ほそいえんとつ かぜひくな
とうさんかあさん かえるまで
えんとつの林で おにごっこ
そんな ぼくらの町なんだ 」
西六郷少年少女合唱団は、テレビのアニメソングも歌っていました。
「狼少年ケン」「少年忍者風のフジマル」などなど。
12:16 六郷神社
六郷神社は、
「 六郷神社は、東京都大田区東六郷にある神社である。六郷一円の総鎮守として伝えられる創建は古く、平安時代後期とされる。 旧社格は郷社。延喜式神名帳では「?田神社 武蔵国荏原郡鎮座」となっていた。 祭神は八幡大神。八幡宮であるが、現在では八幡三神のうち神功皇后と比売大神の二柱は祀られておらず、誉田別尊のみを祭神とする。」( ウィキペディア)
六郷神社の先で多摩川を渡りますが、車道は危ないので、人と自転車は左側の細い道を暫く進むと、階段と、自転車用に斜面もあって、橋に合流します。
【新六郷大橋】
階段を上がったところから目の前に花が見える位置に、山桜が咲いていました。
いよいよ新六郷大橋。多摩川を渡ります。12:26
2008年に来た時も今も、空き缶を入れたビニール袋を山のようにくくりつけた自転車がたくさん走っています。
以前と変わったことは、河川敷のブルーシートハウスがなくなったこと。立ち退きさせられたのかな。
12:30 川崎市に入りました。
お江戸日本橋を今朝7:30に発って、ずっと東京都を歩いてきましたが、5時間後の今、遂に神奈川県に入りました。
とは言え、当時は川崎も武蔵の国でした。
橋を渡りきり、左側の坂道を下ります。
左側に、写真には撮らなかったのですが、明治天皇六郷渡御碑がありました。
本日の3 【川崎宿】に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2019/10/13/111437