紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

10.5年ぶりの旅立ち

2019年3月22日(金)の1


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【2回目の東海道五十三次、歩き始めた動機】


次の仕事が決まるまで旅をしたい、と思い、そのひとつが来月行くアジア旅行です。

そしてもうひとつ、東海道中山道をもう一回歩くか、途中までで進んでいない甲州街道の続きを歩くかしたい、と思っていました。

甲州街道が途中なのは、その年の夏があまりにも暑くて夏は避けていたら、秋冬忙しくなってしまい、3月にそろそろ再開したいと思っていた矢先に東日本大震災で、余震も多くて怖かったこと、また、峠越えの難所の前に宿をとれないこと、でした。

中山道は、宿がとりづらい、特に和田峠越えの直前の宿がとれない。熊が出るなどが渋る原因。

という訳で、10年と半年ぶりで日本橋から初めの一歩を踏み出しました。

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【垂れ桜の日本橋


2回目の東海道第1日目

日本橋~品川~川崎~神奈川~保土ヶ谷
30km

朝7:18 日本橋着。
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旅立ちでこの橋に立つのは4度目です。

2008年9月12日 東海道五十三次旅立ち

2009年4月2日 中山道六十九次旅立ち

2010年3月26日 甲州街道旅立ち(未完)


それなのに何と!

さあ、歩くぞ。と暫く歩いてから、あらら、私は東海道を歩きたいのに、中山道歩き始めてる!と気づいて仕切り直し。

再び東海道を出発したのは、午前7:31。

朝日に輝く垂れ桜に見送られながらの旅立ちです。
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ソメイヨシノはまだ咲き始めたばかり。

写真は、魚河岸碑。
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絵手紙は、日本橋のビルで清掃している人が、長い竿に翻弄されていた絵です。
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日本橋から品川駅の南側の八ッ山橋まではずっと国道15号線なので、道は間違えずに歩けます。


【京橋〜銀座四丁目】

7:44 昔の京橋の親柱のひとつ。
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2008年9月12日の、初めての東海道の旅立ちの朝に撮った写真はこちら。
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あれ?前のと違う、と思ったら、京橋付近に残された旧京橋の親柱は3本あるそうです。

2008年に撮ったのは擬宝珠でしたが、今回撮ったのは、まるでロケットみたい。

7:51 銀座四丁目。
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この時刻、いちいちメモっていたわけではなく、写真の詳細を見ると書いてあります。

詳細には、大体の撮影場所まで地図上で記されていて、怖いような、いざというときアリバイになるかも、なんてね。


【新橋界隈】

7:57 旧新橋の親柱。
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8:03 現在の新橋駅のガード下。
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新橋から泉岳寺までは、12月14日の赤穂義士討ち入りの日に、この道を4回歩いたので、よく知っている道です。

新橋のガードをくぐり、横断歩道を渡るとすぐに左側に日比谷神社があります。

8:05 日比谷神社。
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昨年末の赤穂義士討ち入りの日や、2015年12月14日にも赤穂浪士の道を歩いた時にも日比谷神社の写真を撮りましたが、2008年9月12日に 東海道を歩いた時には気づかなかったなあ、と思っていたら、平成21年にここに遷されたそうで、ということは私が初めて東海道を歩いた第一日目、2008年(平成20年)9月12日には、まだ日比谷神社はここにはなかったんですね。


【金杉橋トイレ事情と無血開城



朝を行く無言の行列花開く



大門駅は人が多いのですぐ分かりましたが、その時は既に、道の反対側(私は国道15号線の左側を歩いています)の芝大神宮の標注は通り過ぎていました。

2008年9月12日には道を渡って芝大神宮に立ち寄りました。こちらの写真は、その時撮っため組の字が掘られている狛犬です。
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8:21 金杉橋。
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金杉橋の脇の児童公園で小休止。トイレも借りました。

上に書いた俳句は、金杉橋の公園の様子です。

昨年末の討ち入りの日、両国から泉岳寺まで歩いたときは、金杉橋のトイレ(女子用は多目的トイレと共通で一部屋しかありません)は使用中で、5分ほど待っても出てこないので諦めて、次のコンビニ目指しましたが、その日に入れなかったトイレに今日入ってみたら、とても綺麗なトイレでした。

因みにすぐ次にあるLAWSONにはトイレがなく、もう暫く歩いたところにあったLAWSONでトイレを借りました。

でもその先、頻繁にコンビニはあるので、この辺りならトイレには困りません。歩き旅ではトイレは重要です。

8:41 西郷南州 勝海舟 会見の碑
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「東京とりっぷ」より

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円形の石に「江戸開城 西郷南州 勝海舟 会見之地 西郷吉之助書」と大書され、裏には「慶応四年三月十四日 此地薩摩邸に於いて 西郷 勝両雄会見し 江戸城開城の円満解決を図り 百万の民を戦火より救ひたるは其の功誠に大なり 平和を愛する吾町民深く感銘し 以て之を奉賛す」(原文は旧字体)と記されています。
西郷吉之助は、西郷南洲西郷隆盛)の孫。

会見の地については諸説ありますが、通説は高輪の薩摩藩下屋敷、田町の薩摩藩邸(蔵屋敷)だとされています。

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3月13日に高輪の薩摩藩下屋敷にて、3月14日に田町の薩摩藩邸にて、2回にわたり会見をし、江戸城無血開城で江戸の民を戦火から救った、記念の碑です。

田町の薩摩藩邸跡が、この碑のある三菱自動車工業だそうです。


【札の辻】

三田駅の少し先に歩道橋が見えてきて、ここが札の辻。
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歩道橋は上ります。

8:48 札の辻

写真は札の辻から見た景色。
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道が交差している辻が、昔は高札場だったのですが、後に高札場は高輪の大木戸に移されたそうです。

【高輪の大木戸】

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8:56 高輪の大木戸跡。
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昨年末の討ち入りの日に赤穂義士が歩いた道を辿った時のブログに書いたものがなかなかよく出来ているので、コピーします。

東海道の、江戸の町の入り口、出口として設けられた、大木戸跡。

今は江戸を背にして品川方向を見て、道の左側しか残っていませんが、当時は左右に土塁があり、土塁と土塁の間に大きな木戸を渡して、夜は人の通行を禁じました。

木戸を開けるのは明け六ツ、閉めるのは暮れ六ツで、明け六ツは夜明けの薄明かるくなった時間、暮れ六ツは夕暮れの薄暗くなった時間で、夏と冬では時間が違い、可動式の時間でした。

夏至の頃は明け六ツは午前4時頃、暮れ六ツは午後8時より少し前。冬至の頃は明け六ツは午前6時頃、暮れ六ツは夕暮れの 薄暗くなった時間で、夏と冬では時間が違い、可動式の時間でした。

最初、大木戸は札の辻に設けられましたが、後に700メートル移動して、今のところに移されました。

山手線の新駅、30番目の駅名が「高輪ゲートウェイ」駅に決まったそうですね。

ネットで拾った情報によりますと、

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JR東日本は、6月5日から6月30日まで、品川新駅(仮称)の駅名の 募集を行っていた。6万4000件を超える応募が寄せられ、その駅名案は1万3000種類を超えた。

 寄せられた案のうち、第1位は「高輪」、第2位は「芝浦」、第3位は「芝浜」という結果だった。JR東日本によると「高輪ゲートウェイ」は36人が応募し、130位だった。


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この高輪ゲートウェイが不評で、撤回を求めるネット署名やら、揶揄の書き込みやら、とにかく物議をかもしているようです。

なんで高輪大木戸駅にしないんだろう。

というのが私の意見です。 」

さて、 江戸時代は歌にも歌われているように、
「お江戸日本橋七つ発ち」午前4時、暗い頃に出立して、「こちゃ高輪夜明けの提灯消す」…高輪あたりで夜が明けて提灯を消したそうです。


本日の2【品川宿】に続く
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