2度目の東海道6日目の1
2019年4月4日(木)の1
昨日は箱根ホテル前から箱根峠、箱根西坂(こわめし坂など)を経て、三嶋大社~沼津まで歩きました。
帰る予定でしたが、沼津で美味しい近海もの寿司を食べたら帰りたくなくなり、駅まで歩いているときに見かけた東横INNが空いていたので、貯まっていたポイントで、無料で泊まりました。
本日は東海道五十三次歩き6日目。
沼津から歩き始め、原〜吉原〜富士駅まで歩きました。
10年前は千本松原を歩きましたが、今回は千本松原には立ち寄っていません。
【川廓通り】
朝7:45 沼津のホテルを出発。
この辺りは、写真のように、自転車レーンが広い道です。
7:58 昨日の終点、御園橋に戻ってきました。
昨日の続きからの出発です。
志多町歩道橋を渡って国道の左側を歩くと、すぐに左に折れて、入り口に川廓(かわくるわ)通りの石柱が建っています。(8:02)
説明板によりますと、
「 《川廓通りの由来》(かわぐるわとおり)
城壁や堀、自然の崖や川などで仕切った城、館内の区画を表す「くるわ(曲輪・郭・廊)が由来となった「川廊通り」はその名のとおり東側は狩野川に面し、背後には沼津城(元三枚橋城)の外郭にあたる東海道として形成されてきました。川廊通りは狩野川の舟運(しゅううん)が開かれていた頃の船着場に隣接するなど物資や人々の交流が盛んであり、江戸時代の宿場町、城下町であった沼津の中心的な地域に位置していました。」
道幅が江戸時代当時と同じ幅の道だそうです。
【本を読むレディーと沼津あげつち商店街】
8:07 10年ぶりに、本を読むレディと邂逅。10年前にも写真を撮りました。
そして、8:08 沼津あげっち商店街の旗を見つけました。バスも走っています。
調べたら、ラブライブの舞台が沼津なんですって。
『ラブライブ!サンシャイン』は、架空の学校・私立浦の星女学院を舞台に活躍するスクールアイドルグループ「Aqours(アクア)」を主人公としたシリーズ第2作。
そして、沼津あげつち商店街とは、沼津駅南口から正面の大通りを進み大手町を抜けたところにあるアーケード街です。
私はてっきり、あげっち、だと思ったら、あげつち(上土)なんですね。
アニメキャラの笑顔に元気をもらって、さあ歩きましょう!
【沼津鍵の手】
川廊通りから静岡銀行で左に曲がり、通横町で右に曲がり、道標沼津宿(夢舞台東海道)で左に曲がります。
これだけかくっかくっと曲がるのは、鍵の手でしょうか。
左側に清水本陣跡
道の反対側(右側) に浅間神社。この浅間神社には、丸子神社が合祀されています。
【きれいな富士山と六大松】
8:23 出口町見付外
「 出口町見付外」。
浅間町の西続きの旧東海道沿いの町を出口町と称しています。
沼津宿の出口に当たることから付けられた地名でしょう。
宿の出口には、見張り番所としての見付があり、その西外側の土地。この地の見付(領主番所)は西見付で、東見付は、現在の平町にあったそうです。
8:24 公園からの富士山がきれいでした。
8:34 六代松標石
今日はこの標石を見るだけにしましたが、10年前は海岸まで、六代松の碑を見に行きました。
その、10年前のブログ
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【 六代松】
やがて左側に六代松入り口の表示。平家壇の浦滅亡後に残った、最後の平家嫡流生き残りの子、六代(平維盛の子)が一旦殺されかけ、文覚上人の嘆願で助かりますが、結局は処刑され、ここに埋められたのだそうです。
実は、六代が殺された場所は、私が通勤しているバスから見える川で、川沿いには六代を記念する碑もあり、バス停名も「六代御前まえ」…
なんだか仲間みたいな意識で、是非見たいと思い、東海道を外れてわざわざ見に行きました。碑の周りに何本かの松が植えられていて、公園みたいでした。
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【従是東標柱】
8:45 従是東の標柱
本来は、是より東、沼津藩領、と書いてあったのでしょう。
10年前はこれを見て、妄想を膨らませて楽しんでいます。
10年前のブログ
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石標が風化して、上も下も折れていて、残っているのは「従是東」の三文字だけ。でも、意識がタイムスリップするには十分な三文字。
村外れの八幡宮前で、西からやって来た旅人は、この石標を見て、ああ、沼津へやって来た、と思ったことでしょう。
私の脳内イメージでは、水戸黄門ドラマ仕立てメンバーが、うんうん、と感慨に浸っていると、うかり八兵衛がちゃっかり緋毛氈の縁台に座って団子を食べている、の図が繰り広げられたのでした。
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この榜示石は、写真の八幡神社にあります。
この八幡神社でトイレを借りました。
【道が改善された?】
8:55 諏訪宮
時々、きれいに富士山が見えます。
家の屋根で見えないことが多いので、駐車場などから見えることが多いです。
9:06 八幡宮
ここは単調な道が続くのですが、実は10年前はこんなブログを書いています。ただし、今回はかなり印象が変わっています。
10年前のブログ
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【 二度と歩きたくない歩道】
この辺りの歩道は、溝に蓋をしてあるタイプで、蓋を開け閉めしやすいように手がかりの穴が空いていて、パンプスを履いていると踵が剥けてしまう嫌な穴。スニーカーでも歩きにくい。
長男が、「沼津の先辺りの歩道は二度と歩きたくない」と言っていたのはこのことか。あとは、原までひたすら真っ直ぐなのも辛いかも。
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今回は、歩道の穴がほとんどない上、左右の傾斜がなく、ベビーカーや車椅子に優しいのはもちろん、歩行者も歩きやすくなっています。
特にたくさん歩く東海道ウォーカーは、そもそも足や膝が痛いので、歩道の傾斜があると辛いのです。
さて、そんなのどかなひたすらまっすぐな道を歩いていたら、ご近所さん同士の会話が聞こえてきました。
これからどこかまでウォーキングするというおばあちゃんに、私ぐらいの年齢かなあ、女性がこんな挨拶をしていて、驚きました。
「今日という日が、よい一日でありますように。」
えっ、ZIPのエンディング?
なんだか心温まりました。
【富士山の変化と松長一里塚跡】
昨日の坂公民館から始まり、富士山と愛鷹山の位置関係が変わってきています。絵手紙に纏めてみました。
10年前のブログ
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民家の屋根の隙間から富士山が見えるのですが、駐車場などがあると、視界が開けてよく見えます。沼津では愛鷹山の向こうに富士山が見えるので、裾野は見えません。西へと歩いていく内に、だんだん裾野も見え始めました。電線が重なるため、なかなか写真に撮るベストショットポイントが見つからない。
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今回、気を付けていたのに、松長一里塚跡を見つけられませんでした。写真は、10年前に撮った写真です。
9:20 片浜駅入り口
【神明塚古墳と白隠禅師生誕の地】
神明塚古墳 wikipediaより
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神明塚古墳は、静岡県沼津市松長上ノ段、JR片浜駅の東方約200メートルに位置する、全長52.5メートル、標高6メートルの前方後円墳である。 田子の浦から沼津市狩野川河口に伸びる鈴川砂礫洲から千本砂礫洲の上に立地しており、同地は神明塚古墳を含め十数基の円墳が確認されていることから松長古墳群と呼ばれている。
古墳名の「神明塚」は後円部頂に鎮座する神明社に由来し、古墳東側の境内は公園となっている。
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今回は見に行かなかったのですが、10年前は見に行きました。
10年前のブログ
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神社そのものが古墳
少し先に、右奥へ入ると「神明宮古墳→」とあったので、寄り道してみました。
民家の間の細い道を抜けると、正面に神明宮が小高い丘の上にあり、階段を登って薄暗い神社の境内に着き、うろうろしてみましたが、この神社そのものが古墳らしい。
神社のすぐ後ろを東海道線が走っていました。
昇ってきた階段とは別の階段があったので、下りてみたら児童公園でした。最近では危険だからとブランコを取り外してしまうところが増えましたが、ここでは4つ、健在でした。
【寄り道はご用心】
帰りがけに、神社の木陰に人の姿が見えて、急に怖くなりました。寄り道は一人の時は気を付けないとね。
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10年前には見つけたのに、今回は見つけられなかったものが、さらにあります。
写真の東木戸跡と、白隠禅師生誕の地碑
みんな10年前に撮った写真です。
10年前のブログ
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【過ぎたるもの二つあり】
その先左側に、白隠禅師誕生地の案内板。(写真1)
白隠は仏教界に新しい風を起こしたり、書画にも長けていて、500年にひとりの名僧と言われたそうで、
「駿河の国に過ぎたるものがふたつある。富士のお山と白隠禅師」
と歌われたほどだそうです。
白隠の墓がある松蔭寺は白砂の美しい寺だそうですが、寄り道になるのでパスしました。
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2度目の東海道5日目2(原〜間の宿柏原〜春耕道しるべ)に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2019/11/03/180644