案内板
「 赤彦の墓
徒歩約10分です。
(上り坂300m)
ここより300メートルほど細い道を登ると島木赤彦の墓があり、その下段には、赤彦(本名:久保田俊彦)にゆかりのある久保田家の共同墓地があります。
赤彦が亡くなったのは大正15年3月のことでしたが、 赤彦の墓が建立されたのは七回忌にあたる昭和6年の 11月になります。墓碑銘はアララギ派の歌人でもあった 日本画家の平福百穂(ひらふくひゃくすい)によるも のです。
赤彦の墓の隣には妻であり、同じくアララギ派の歌人であった久保田不二子(昭和40年没)の墓や子息の墓も建てられており、赤彦ゆかりの木である“アセビ”や“イチイ(別名アララギ)”などの木々に囲まれ、今日も諏訪湖をながめています。 」