2022-08-24 甲州道中五十二里塚 案内板 「 甲州道中五十二里塚甲州道中は、江戸から甲府が表街道、甲府から下諏訪が裏街道と呼ばれ、下諏訪宿で中山道と合流していた。各街道とも江戸日本橋より三十六町(一里、約四Km)ごと道の両側に盛り土をして頂上にケヤキ・エノキなどを植えて一里塚とした。ここに一里塚ができたのは慶長十五年(一六一〇)頃と言われている。この塚は江戸から五十二里で西は下諏訪町富部の五十三里塚、東は四賀神戸の五十一里塚へと続いている。 諏訪市教育委員会 」