紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

上諏訪温泉 お手湯 上諏訪温泉と精進湯 上諏訪温泉の歴史 

案内板
「 上諏訪温泉と精進湯

  上諏訪温泉の歴史

上諏訪温泉に関する最も古い記録は、嘉禎三年(一二三七)成立とされる『祝詞段』という史料で、当時の上諏訪宿にあった神社の名前を列挙した中に『湯ノウ権現』というお宮が登場するのがそれだとされています。また、諏訪湖御神渡りを記録する『当社神幸記』嘉吉三年(一四四三)の部分に『平湯渡』と出てきます。いずれも正確な場所はわかりませんが、恐らく現在の諏訪市湯の脇付近にあったものとみられ、少なくとも鎌倉時代には何らかの温泉の存在が知られていたようです。また、市内の温泉湧出地や湧出跡から縄文土器が発見された例があり、その歴史はもっと古いという説もあります。

上諏訪宿は諏訪宿とともに温泉地として知られていました。江戸時代の儒学者貝原益軒が宝和六年(一七〇九)に書いた紀行文『岐蘇路記(きそじのき)』に『下の諏訪に温泉三処あり。上の諏訪に四所有』という一文があります。この四ヶ所とは小和田(こわた)の湯、精進湯、虫湯、湯の脇の湯のことだと考えられています。小和田の湯は温泉が豊富に湧く小和田村の中にあり、武士や庶民が利用したほか、家老の湯屋敷もありました。虫湯は高嶋城の登城口にあって、殿様も利用しました。高温で、蒸気を利用した『蒸湯』があったとみられます。湯の脇の湯も地名が示すとおり古くから温泉が豊富で、内湯のある旅籠などがありました。 」