紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2度目の中山道六十九次歩き13日目の3(塩尻宿)

2度目の中山道13日目の3
12月27日(金)の3

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【お女郎道祖神と小野家(旅籠いちょうや)】


中山道から外れていたので、正規のルートに戻るべく、民家の間の細い露地に入り、出たところに

14:43 男女双体道祖神
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案内板
「 双体道祖神
時期不明

板碑(ばんひ)に彫られた
珍しい抱擁像
お女郎道祖神
も呼ばれている 」

これで旧中山道に戻りました。

14:53 小野家住宅
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標注
「国重要文化財 小野家住宅

指定日 昭和四十八年 六月二日
追加指定日 平成二十一年 六月三十日」



文化遺産オンラインより

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長野県
江戸末期/1850
桁行15.6m、梁間9.1m、二階建、切妻造段違、南面庇付、桟瓦葺、
北面突出部 桁行7.3m、梁間8.2m、切妻造、北面庇付、鉄板葺
1棟
長野県塩尻市塩尻町39番地
重文指定年月日:19730602
国宝指定年月日:
重要文化財
 小野家は江戸時代「いてうや(銀杏屋)」の屋号で旅籠屋を営んでいた。
 建物は塩尻宿を通る中山道塩尻峠に向かって上りかかる所に建つ。間口は八間、切妻造、平入、二階建の背面に棟を直角に平屋がつづく。内部は、二階の客室に、鶴、松などを建具や壁に描き、絵から部屋の名を付ける。なかでも「桜の間」は天井にまで極彩色の桜を描き、当時の宿場の風潮の一端を如実に示していて面白い。
 幕末における宿場の雰囲気を示す好例である。

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ここにも塩尻東小学校の児童が描いたかるたがありました。
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小野家は「いちょうや(いてうや)」と言うんですね。


【高札場跡・本陣跡など】

14:55 上問屋場
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14:55 高札場跡・下問屋場
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14:56 本陣跡
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14:56 脇本陣
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塩尻陣屋跡】

14:57 塩尻陣屋跡
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asahi-net.or.jpより

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塩尻陣屋は、中山道に面して塩尻宿の本陣・脇本陣と並んで築かれていた。  本陣跡には立派な案内板と石碑があるのでこれが目印だ。

 現在は脇本陣跡西隣にある笑亀酒造の敷地となっていて、酒蔵の前に小さな石碑が立てられているだけで、陣屋の遺構は何も残っていない。

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15:01 鉤の手跡
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その先の道
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立派な門の家
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【阿禮神社】

15:07 阿禮神社
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阿禮神社

塩尻市観光協会HPより

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延喜式神名帳」にも記された古社で、もともと「阿礼ノ神」は、塩尻峠(塩尻市岡谷市の境)西麓を流れる四沢川流域で集団生活を送っていた諏訪族神氏を祖とする氏族が、上流にある五百砥山そのものを御神体に祀ったものといわれています。現在の社殿は、寛保三年(1743)に再建したものです。

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ここにも、塩尻東小学校の児童が描いたかるたがありました。
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ちなみに、阿禮神社の隣に塩尻東小学校がありました。


【堀ノ内の道祖神と堀内家住宅】

15:13 堀ノ内大壷の道祖神
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案内板
「 堀ノ内大壷の道祖神
元治元年

頭部の後に御幣が
刻まれている。 」

15:13 堀内家住宅
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文化遺産オンラインより

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長野県
江戸後期/1701-1800
桁行18.4m、梁間18.2m、一部二階、切妻造、妻入、南面庇付、板葺、
東北面二室及び便所三所附属
1棟
長野県塩尻市堀ノ内117番地
重文指定年月日:19730602
国宝指定年月日:
重要文化財
堀内家は旧堀の内村の名主を代々勤めた豪農。 長野県の大型板葺民家である。本棟造の中では大型で貭が良い。正面の外観は明治期の改造ではあるが、意匠は力強く優れている。

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【石仏石塔群】

15:17 石仏石塔群
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15:21 左への分岐
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【大門神社】

15:31 大門神社
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shiomihyo.exblog.jpより

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祭神 誉田別命応神天皇)、大鷦鷯命(仁徳天皇)。
若宮八幡社(祭神 誉田別命)、柴宮八幡社(祭神 大鷦鷯命)は
もとは別々の神社であり 其々指定村社であった。
昭和27年二社に於いて合併の議論が起こり、
昭和50年大門神社として拝殿、社務所などが新設された。
境内社に水天宮、大峯神社、胸肩神社、蛭子神社、蚕玉神社がある。
大門神社のケヤキは樹齢約300年と推定される。
当社付近にある柴宮遺跡からは銅鐸が出土している

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境内の大欅
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案内板
「 御神徳を具現化された
大欅

此の欅は樹齢三百年と推定されます。
大門神社の御祭神、御神徳は
家庭圓満子孫の繁栄子女の素
直な成長
三本の御神木は父母子親子
三代を表し又此の直木は
子供の健やかなる成長を表
わしています

大門神社 」

境内には土俵もありました。
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【耳塚神社】

15:33 耳塚神社
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耳塚神社

伝説
耳塚様と呼ばれ昔は耳の病気の直ることを祈った。桔梗ヶ原の戦いとか安曇族王に関係ありとも言われる。
明治29年先祖が野ざらしになっていた塚に祠を建て2本の剣を御神体として祀った。耳の形に似た素焼きの皿やおわんに穴を開けて奉納すると耳の聞こえが良くなると評判になり伊那地方からなど多方面から話を聞きつけて参拝した。
祠は2度立て替えられ現存する祠は昭和53年建立。
(看板資料より)

この耳塚は天文17(1548)年5月、武田信玄小笠原長時との桔梗ヶ原合戦の時、討ち死にした将兵の耳を葬った所といわれている。
塩尻の伝説と民話・信州の伝説・長野県の武田信玄伝説より)

立派な門の家
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15:37 昔の商店
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有明山神燈】

15:39 JR中央本線のガード
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15:41 有明山神燈
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16:00頃 塩尻駅
キオスクで「蘭が作ったレモンパイ」
を買って食べる。

16:16発 小淵沢行きに乗る
(16:11が5分遅れ)

16:30頃下諏訪着
コインロッカーに荷物を取りに行く。

特急の待ち合わせで下諏訪で停まっていたので同じ電車に乗ることが出来ました。


【片倉館と天みそ丼】

16:39に上諏訪着の予定が、やはり5分ぐらい遅れていたようです。

夕闇に、なんだか素敵な洋館があると思ったら、片倉館という温泉施設。子ども達が小学生の頃に来たことことがあります。

16:56 片倉館
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片倉館 wikipediaより

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片倉館(かたくらかん)は、長野県諏訪市上諏訪温泉の温泉施設である。一般財団法人片倉館が管理している。会館、浴場、渡廊下の3棟が国の重要文化財に指定されている。 深さ1.1メートルの千人風呂で有名。同敷地内に諏訪市美術館がある。

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すぐ斜向かいのルートイン上諏訪に宿泊

温泉に入り、絵手紙を描き、19:00頃部屋に夕食が運ばれてくるのを待っていたら、18:52に届きました。

18:52 天みそ丼
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信州諏訪味噌天丼

諏訪味噌がベースの天丼のタレに、諏訪産の山菜・ワカサギ・手長エビなどの具が天ぷらの諏訪市のご当地丼【信州みそ天丼】。必須条件は「地元産の旬の材料を1つ以上使用する」とされています。わかさぎ釣りの名所である諏訪湖で採れる新鮮なワカサギや手長エビは、やはり気になる所です 。


2度目の中山道14日目の1(塩尻から洗馬宿への道)に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2020/07/03/094353


二度目の中山道六十九次歩き目次1(日本橋から横川駅)
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/03/17/220947


絵手紙1(日本橋から塩名田宿)
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/03/18/101022


二度目の中山道六十九次歩き目次の目次
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/03/21/084003