紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

台ケ原宿 北原家住宅四棟

案内板
「   山梨県有形文化財
  北原家住宅四棟


 主  屋  桁行18.1m、梁間18.7m、一重一部二階 切妻造 銅版葺
      附  表門及び両脇屋根塀
   奥便所  桁行3.8m、梁間2.6m、一重 切妻造 銅版葺 主屋間の渡り廊下を含む
   文庫蔵  土蔵造、桁行7.3m、梁間5.5m、一重二階 銅版葺
   文化蔵  土蔵造、桁行14.5m、梁間5.5m、一重一部二階 切妻造 割板葺

指定年月日 平成十二年十月十二日


 当家は、寛延二年(1749)頃、信州の高遠で酒造業を営んでいた北原伊兵衛光義が、この地に分家をして大中屋(現山梨銘醸株式会社)という屋号で酒造りを創めたと伝える。以来営業は大いに発展し幕末には諏訪高遠藩、伊那高遠藩の御用商人を務め、また脇本陣をも兼ねていた豪商である。
 降って、明治十三年(1880)に明治天皇本県御巡行の際は行在所となった。6
 北原家住宅は、台ヶ原宿の街道に面して建つ大規模な町屋建築である。主屋は主部の桁行が十間、梁間十間半で、東側の土間、店舗および居住部分から構成され、一部に二階居室がある。西側につづく突起部は桁行が六間、梁間七間半で、南面に式台付き玄関、北西に座敷部分が並び、総桁行は十六間に及ぶ。屋根は緩勾配の切妻造りで銅板葺になっているが、もとは石置き板葺屋根であった。玄関の正面には両脇に塀を付けた表門が建つ。
 とくに座敷部は三室を南北に並べた配位で、格式の高さを示し、北端の奥座敷(行在所)は座敷飾に床の間、違棚、付書院を備えた十畳間で北側に畳廊下が付く。奥座敷と中の間堺との欄間装飾は「竹林の七賢人」の彫刻である。
 これは立川流宮大工・彫刻師として名高い立川専四郎富種の作品であり、酒名「七賢」の由来とされる。
 建築年代は天保年間(1830-43)から嘉永七年(1854)にかけて完成したと考えられる。主屋はじめ文庫蔵等付属建物が当時の状態でよく保存され、また建築関係資料も多く残されており、江戸時代末期の優れた商家遺産である。
     平成十二年十月十二日 
         山梨県教育委員会 
         白州町教育委員会 」