紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

日光道中粕壁宿

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案内板
日光道中粕壁宿
 日光道中は、東海道中山道甲州街道奥州街道を合わせた、「五街道」と呼ばれる街道のひとつで、江戸時代初期には、日光街道あるいは日光海道と記されていました。しかし正徳六年(1716年)に五街道の名称について御触がだされ、日光街道は海のない国を通るため、日光道中と改められました。
 粕壁宿は、江戸時代元和二年(1616年)に日光道中千住宿より数えて第4の宿場に定められたとされています。
 寛永十三年(1636年)に日光東照宮が完成し、将軍や諸大名の参詣で日光道中の各宿場はにぎわい一段と発展しました。江戸時代の終わり頃の記録によると、宿場 は「名主3軒」「本陣1軒」「問屋場1軒」「寺院8軒」「旅籠45軒」をはじめ、米穀商・質屋・薬屋などの商店や農家の家並みで159軒を配し、新町橋側より横町・寺町・上宿・中町・新宿・三枚橋・新々田・下宿の8つの字に分かれていました。」