紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

照手姫の水汲み井戸

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案内板
「 照手姫の水汲み井戸

 昔、武蔵・相模(今の神奈川県)の郡代(郡の代官)横山将監に女の子が生まれ、 照手姫と名付けられ成長しました。
目の覚めるような美人と言うことで世間の評判になりまし
た。その話を聞いた常陸の国(今の茨城県)の国司小栗判官正清は、使者も立てず強引に婿入りしてしまいました。そのため、父親の将監がたいへん怒り、小栗判官に毒の入った酒を飲ませ殺してしまいました。
 照手姫は深く悲しみ、あてのない旅に出て、あちこちさまよい、最後に美濃国青墓の長者『よろづ屋』に買われることになりました。
 長者は、その美貌で客を取らせようとしますが、照手姫は拒み通しました。怒った長者は、『一度に百頭の馬にかいば(馬のえさ)をやれ』、『籠で水を汲め』、『十六人分の炊事を毎日一人でやれ』などと、無理な仕事を言いつけました。
 照手姫は、毎日毎日、泣き泣き仕事を続けましたが、日頃信仰していた千手観音菩薩の助けで、普通の人間にはできそうもない仕事を成し遂げることができたのです。
 一方、毒酒に倒れた小栗判官正清は、熊野の湯につかって蘇り、二条大納言
兼家の許しを得て都に戻り、朝廷から美濃国を治める役人に任命されました。
その後、照手姫が青墓に居ることを知り、妻として迎え、二人は末永く幸せに暮らしたということです。

◎この井戸は、照手姫が、籠で水を汲んだと伝えられています。
◎照手姫のお墓はここから約百米北の圓願寺(お寺は焼失)境内にあります。

明るい青少年都市市民会議青墓支部
青墓校区青少年育成推進会 」

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