紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

昼飯町の由来

f:id:asiandream0804:20210211224944j:plain
案内板
「 『昼飯町の由来』

 むかし、善光寺如来 と言う仏像が、大阪の海から拾いあげられ、長野の善光寺に納められることになりました。
 その仏像をはこぶ人々が、青墓の近くまで来た時は五月の中頃でした。近くの山々は新緑におおわれ、つつじの花が咲き乱れるすばらしい光景です。善光寺如来を運ぶ一行は、小さな池のそばでゆっくり休み、美しい景色に見とれました。一行はここで昼飯(ひるめし)をとりました。
 そこから、この付近を昼飯(ひるめし)と言うようになりました。しかし、その呼び名が下品であると言うので、その後、飯の字を『いい』と音読みにして『ひるいい』と呼ばれるようになりました。でも、『いい』は発音しにくいため、『い』の一字を略して『ひるい』と呼ばれるようになりました。また、ここの池は一行が手を洗ったので、「善光寺井戸 」と言われ、記念に植えた三尊杉の木も最近まで残っていたと言うことです。
大垣市史 青墓篇 より)

大垣市立青墓小学校 」