案内板
「 『昼飯町の由来』
むかし、善光寺如来 と言う仏像が、大阪の海から拾いあげられ、長野の善光寺に納められることになりました。
その仏像をはこぶ人々が、青墓の近くまで来た時は五月の中頃でした。近くの山々は新緑におおわれ、つつじの花が咲き乱れるすばらしい光景です。善光寺如来を運ぶ一行は、小さな池のそばでゆっくり休み、美しい景色に見とれました。一行はここで昼飯(ひるめし)をとりました。
そこから、この付近を昼飯(ひるめし)と言うようになりました。しかし、その呼び名が下品であると言うので、その後、飯の字を『いい』と音読みにして『ひるいい』と呼ばれるようになりました。でも、『いい』は発音しにくいため、『い』の一字を略して『ひるい』と呼ばれるようになりました。また、ここの池は一行が手を洗ったので、「善光寺井戸 」と言われ、記念に植えた三尊杉の木も最近まで残っていたと言うことです。
(大垣市史 青墓篇 より)
大垣市立青墓小学校 」