二度目の中山道18日目の3
9月5日(土)の3
【線路沿いの道と、熊出没注意】
下在郷一里塚跡 江戸から77里目
この踏切は渡らず、
左横の道に入ります。うっそうとした旧道。
それまで暑かったので、木陰の道は嬉しいです。
第13中仙道踏切を渡ります。
線路沿いの道 11年前もここを歩いた記憶があります。
列車が通りました。
熊出没注意の看板
思わず「出るんかい!」と叫んでしまいました。妻籠や馬籠あたりは熊鐘も設置されているので覚悟していましたが、ここいら辺りに出るとは、寝耳に水。
第14中仙道踏切を渡りました。
【逆Vに折れて、山の中】
国道19号線に突き当たり、右折
下横橋を渡ったら左折して上り坂へ。
逆V形に右に折れ、上り坂へ。
逆V形の角にベンチがありました。
石仏群
常夜燈
こんな草深いところを歩くのか?と思ったら、来すぎていて戻りました。写真に撮った場所よりさらに進んでもった草深いところまで行きました。
さっきの常夜燈から少し進んだ所のY字路を右に行くのが正解ですが(さっきは左に行ってしまいました)、そのY字路の右へ行った先に車が何台か停まっているので、その奥は道ではなく人家の庭に見えたのです。
国道19号線に向かって下り、
信号は渡らず、信号の脇の
この地下道を潜って国道と鉄道の向こう側へ出ます。
地下道はパイプ等を組んだ足場の道です。
【十二兼駅周辺】
13:43 柿其渓谷案内板
おんたけ観光局ホームページより
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柿其渓谷(かきぞれけいこく)
柿其かきぞれ渓谷は数ある木曽路の渓谷の中でも特に美しいと言われ、吊橋より上流8kmにわたって深い谷を埋めた巨大な花崗岩が美しい滝や瀬や淵を織りなす景勝地です。春にはツツジ・シャクナゲ、秋には紅葉が旅人の目を楽しませます。
一般には十二兼駅から自然歩道を通って、牛ヶ滝まで4.5km、さらに奥へは林道を歩いていきます。特に、恋路のつり橋から牛ヶ滝までの約300mの遊歩道がお勧めです。
花崗岩をくりぬいて柿其川本流が落下する牛ヶ滝のながめは壮観です。牛ヶ滝からさらに林道を徒歩40分のところに、展望台からの眺めが爽快な霧ヶ滝があります。
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十二兼駅 何だかオシャレな駅ですね。
13:53 この辺りが南目覚めかな?
稲田に案山子
明治天皇小休所記念碑
急に風が強くなりました。帽子が飛ばされそう。また雷雨の前兆?
川を見下ろします。
国道19号線の歩道 草ぼうぼうです。
右の砂利道へ。
左斜め 上り坂へ
川の眺めがよい
【草むらでランチ】
14:55 中央本線のガードを潜り、右へ大きくカーブするところの草むらに座ってランチ。
今朝、木曽福島の駅前の店で買った大味噌パンが、固くて口の中の水分を全部もっていけれます。
カフェラテか牛乳があったら美味しく食べられそうですが、袋に二枚入っていた、1枚は食べ、もう1枚は持っていきました。
【三留野宿】
木曽氏の館があり「御殿(みどの)」と呼ばれたことが「三留野」の由来と云われているそうです。
妻籠宿への山道を控え、かつては大きな宿場だったそうですが、江戸時代に4度の大火に見舞われて、さらに明治14年(1881)の大火では宿場のほとんどを失ってしまいました。
15:02 中山道道標
→南木曽駅1.1km
←与川経由 薮原14.7km
木曽十一宿には、本陣と脇本陣がそれぞれ一軒ずつ置かれていた。本選は江戸時代の初めに定められたが、脇本陣は交通が頻繁になった中期以降に設置されていった。
脇本陣はその名の通り凡人を補完するためのもので、三留野宿では代々宮川家が務めた。宮川家はまた三留野村の庄屋を務め、本陣西尾鮎沢家、問屋の勝野家などとともに指導的役割を担った。宮川家のあるこの周辺が、江戸時代の三留野の中心部であった。
なお三留野宿は明治十四年(一八八一)の大火によって全焼し、現在の建物はそれ以降のものである。
平成十二年十一月三日
晴れているのに雷の音がしています。
【本陣跡と柏屋】
この長野地方法務局南木曽出張所跡地は、三留野宿本陣があったところである。本陣の建物は、明治十四年七月とおかの三留野宿の大火災の際焼失してしまった。ちなみにこの時の被害は、家屋七十四軒、土蔵拝見に達した。
しかし、庭木の枝垂梅(しだれうめ・真地の天然記念物)と明治天皇御膳水(ごぜんすい)が凡人の名残を留めている。明治天皇は、大火の前年の十三年六月二十七日に一泊されている。御膳水の井戸は常夜五四年に復原したものである。 」
ゲストハウス 柏屋
築140年の総檜造りの町家を大家の市川周さんと株式会社フォークロアが共同で一棟貸しの宿泊施設としてよみがえらせた建物だそうです。
【園原先生碑】
園原先生碑
案内板
「 園原先生碑
園原旧富(ふるとみ)は、三留野村和合(わごう)の東山神社の神官の家に元禄十六年(一七〇三)に生まれ、長じて京都に遊学し、吉田兼敬(神祇管領長)に師事して神学を学び、『神学則』を著すまでになった。その後も『木曽古道記』『神心問答』『御坂越記』『木曽名物記』などを著して、尾張・美濃・信濃に門人多数を擁する大学者となった。
この碑は彼の死後五年目の天明元年(一七八一)に、学徳を慕う門人たちによって建立されたもので、碑文は同時有数の学者である松平君山が書いている。なお、園原家住宅(一部公開)は、江戸時代中期の神官の家の姿を伝える貴重なものである。 」
園原家住宅
案内板
「 長野県指定文化財(県宝)
園原家住宅
園原家は、三留野宿東山神社の神官を務めた家で、江戸時代の大学者園原旧富まで遡る建物である。
栗材が多用され、差鴨居も鼻栓で止める古い形式で、一七世紀後半から一八世紀前期の建築と推察される。神殿も同時期のものと思われる。
江戸時代中期の神官屋敷の様子を知ることができる建築物で、現存するものが少ないことからも貴重である。又、推定数百年のイチョウや屋敷内の坪庭にあるドウダンツツジも、季節ごとに鮮やかな姿を見せ、見事である。
平成二十四年九月十三日 指定
長野県教育委員会 」
園原家住宅
こちらのブログからお借りしました。
https://blog.goo.ne.jp/wxm68971-1936/e/93376f9021f420c4d2fa621f61f514ab
この後、急に雷雨。空の半分は晴れているのに、雷雨。傘は手に持っていたので慌てませんが、この後SL公園に行きたかったけれど、やめておきました。
急いで南木曽駅へ。
15:41 南木曽駅
本日の歩数 34,080歩 20.78km
二度目の中山道19日目(南木曽駅~妻籠宿~馬籠宿~落合宿~中津川宿)に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/01/09/172118
度目の中山道六十九次歩き目次1(日本橋から横川駅)
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/03/17/220947
絵手紙1(日本橋から塩名田宿)
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/03/18/101022
二度目の中山道六十九次歩き目次の目次
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/03/21/084003