案内板
「 加賀八家
奥村家(宗家)屋敷跡
奥村家は、前田家が尾張(愛知県) 荒子城にあった頃よりの旧臣です。藩政時代は永福から栄滋まで 14代 を数え、禄高は数回の加増ののち1万7000 石を世襲しました。
加賀・能登・越中の要衝、末森城(現宝達志水町)城主だった永福は、天正12年(1584) に隣国富山の佐々 成政の侵攻を死守して主家の危機を防ぐという功績を挙げています。
奥村家邸地は、元和6年(1620) 頃今の兼六園の地に始まり、元禄9年(1696)に石引のこの地に移され明治に至りました。面積は1万坪(約3万3000平方メートル)を越えたとみられます。藩主の子女のお宮参りでは、卯辰観音院の帰りこの奥村邸へ立ち寄ることが慣例化していました。 道路沿いに残る土塀は、加賀八家上屋敷跡で唯一現存する建造物で、金沢市指定文化財「奥村家(宗家)上屋敷跡土塀」として保護されています。 」