紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

玉藻稲荷神社の源実朝の歌碑の案内板

 

案内板
「鎌倉第三代の征夷大将軍、右大臣源実朝は承久元年正月(一二一九)拝賀の礼を鶴岡八幡宮に行い、帰途公暁(くぎょう)に殺され、二十八歳にして劇的な死を遂げる。後世の人々は将軍右大臣実朝としてよりも、悲劇の歌人実朝として不朽の名を称える。実朝は、十四歳のときより歌を詠み、万葉集古今集新古今集を愛読した。特に万葉集は重宝として賞翫した。また、中央歌壇の巨匠藤原定家に教えを受け、歌を愛する武士との結びつきも、不朽の業をなす基となった。実朝の歌は各種の歌集にのせてあるが、『金槐和歌集』は実朝の歌集として名がある。この歌集に「『霰(あられ)』と題して、

もののふの矢並み(やなみ)つくろふ小手の上に 霰たばしる那須の篠原(しのはら)

が入集している。これは歌枕『那須の篠原』を詠んだ歌で、万葉調でしかも実朝の歌境がよく表現されている。賀茂真渕も『人麿のよめらん勢ひなり』と称えている。

        芭蕉の里 黒羽 」


※ 賞翫(しょうがん):そのもののよさを楽しむこと。珍重すること