「ここは長久寺です」
案内板
「 ここは長久寺です
江濃のくにもしたしき柏はらなる
岩佐女史に物し侍りぬ
啼よむし
寝もの語りの
栞りとも 化月坊
(芭蕉十哲各務支考、美濃派十五世)
長久寺村
古昔此の辺りに、両国山長久寺といふ寺ありし故、今村の名となれり。
近江美濃両国の境なり。
家数二十五軒あり。五軒は美濃の国地、二十軒は近江の国地なり。 壁一重を隔て近江美濃両国の者寝ながら物語をすといふ事。 畢竟(ひっきょう)相近きの謂なり。両国の境には僅かに小溝一つを距つ。 五軒の家は美濃なまりの詞(ことば)を用ひ、専ら金を遣うて銀を通用せず。 二十軒は近江詞にして銀を通用す。
享保十九年(一七三四)
『近江與地志略』 」