紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

長比城

長比城跡登り口

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案内板
「 長比城跡登り口

織田信長は、浅井長政を討つべく、元亀元年(一五七○)六月十九日、浅井朝倉勢が守るこの城と苅安城を攻めた。 木下藤吉郎竹中半兵衛の働きで浅井方の鎌刃城堀氏が寝返ったため、長比・苅安の城兵は敗走し、信長は長比に無血入城、一両日滞在した。 この長比攻めは、姉川の戦いの前哨戦で、本戦である姉川の戦いは、九日あとの二十八日に始まった。 信長を狙い本陣に迫り、竹中久作に討たれた遠藤喜衛門尉直経は、柏原学区須川出身の武将である。 」


「城郭放浪記」より

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長比城

元亀元年(1570年)浅井長政によって築かれた。

元亀元年(1570年)織田信長は越前の朝倉義景を攻めたが、同盟関係にあった浅井長政の裏切りによって失敗する。これによって美濃の織田信長と近江の浅井長政が対。浅井長政は織田に備えるため美濃国境付近に苅安城と長比城を築き、家臣の堀秀村と樋口直房を置いて守られた。築城にさいしては越前朝倉氏の助力を得たという。しかし、織田信長の調略によって両者は内応し、あえなく落城した。

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