案内板
「保存の原点『寺下の町並み』この先50m
枡形
徳川家康が慶長6年(1601)に宿場を制定した際に、外敵の侵入を少しでも遅らせるために設けた構造物です。
全国に先駆けて
町並み保存に取り組んだ妻籠宿。その保存工事が最初に行われた寺下地区は、この先です。
枡形を経て
江戸時代から明治のままに整備された町並みと、解体・復元された『下嵯峨屋(しもさがや)』『上嵯峨屋(かみさがや)』をはじめ、『まねき』『延命地蔵堂』『厩(うまや)』等が見られます。 」
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寺下の旅館「松代屋」の屋根と庇の間に看板が並んでいるのを見る事ができます。これは『まねき』と言われまして、今で言う「〇〇様御一行」と宿前にかかる看板と同じものです。
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案内板
「 枡形の跡(町史跡)
江戸時代の初めに制定された宿場は、一種の城塞の役割も持たされて整備され、宿場の出入口には必ず枡形が設けられた。宿場の枡形とは、街道を二度直角に曲げ、外敵が進入しにくいようにしてものである。
この妻籠宿の枡形は、明治三二年からの大平(おおひら)街道の改修工事により、その上部斜面を掘り割られているが、よく当時の姿を伝えている。 」