紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

妻籠宿 枡形と町並みの保存

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案内板
「保存の原点『寺下の町並み』この先50m

枡形
徳川家康が慶長6年(1601)に宿場を制定した際に、外敵の侵入を少しでも遅らせるために設けた構造物です。

全国に先駆けて
町並み保存に取り組んだ妻籠宿。その保存工事が最初に行われた寺下地区は、この先です。

枡形を経て
江戸時代から明治のままに整備された町並みと、解体・復元された『下嵯峨屋(しもさがや)』『上嵯峨屋(かみさがや)』をはじめ、『まねき』『延命地蔵堂』『厩(うまや)』等が見られます。 」


「まねき」とは? 妻籠観光協会ホームページより

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寺下の旅館「松代屋」の屋根と庇の間に看板が並んでいるのを見る事ができます。これは『まねき』と言われまして、今で言う「〇〇様御一行」と宿前にかかる看板と同じものです。

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案内板
「 枡形の跡(町史跡)

江戸時代の初めに制定された宿場は、一種の城塞の役割も持たされて整備され、宿場の出入口には必ず枡形が設けられた。宿場の枡形とは、街道を二度直角に曲げ、外敵が進入しにくいようにしてものである。
この妻籠宿の枡形は、明治三二年からの大平(おおひら)街道の改修工事により、その上部斜面を掘り割られているが、よく当時の姿を伝えている。 」
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