案内板
「 石仏「寒山拾得」像
この石仏は、昭和五十九年の長野県西部大地震で、石段左手の石垣が崩れた際に発見され、不思議な像が彫られているので、道祖神の一種と考え、寺下住民がこの地に祀ってきた。その石垣自体、安政元年の大地震の後に積み直されたもので、それが再び地震で崩れ、石仏が出現したわけで、まことに不思議なことである。
この石仏が日本石仏協会の目にとまり、寒山拾得を題材にした「箒と巻物を持った人物による双体像」は、国内唯一つの珍らしい絵柄と分析された。彫ったのは、文政年間にこの像の隣にある「水舟」を手掛けた光徳寺の「中外和尚」と推察される。
「寒山」は、唐代の禅僧豊干に師事し、天台山の近くに「拾得」とともに住んだ奇行の僧で、伝説の部分も多いが「寒山詩」や禅宗の画材」として有名である。
石仏の「寒山」が手にする「巻物」は、智慧を意味し文殊菩薩の化身であり、隣の「拾得」が手にする箒は、行動を意味し普賢菩薩の化身と言われている。
平成十九年九月吉日
寺下区 」