2度目の東海道14日目の5
5月22日(水)の5
16:34 国道1号線の関屋交差点が見えてきましたが、国道には入らず、関屋交差点手前の、国道1号線に沿う左側の道に入ります。
その先、国道1号線と合流。写真のように、国道1号線の左の歩道を進みます。
16:57 岡崎市に入りました。
国道の歩道は、学校帰りの中高生が自転車でビュンビュン走っています。
【本宿と麦畑】
16:58 本宿の碑
高札場レプリカ
岡崎市は麦の産地なんでしょうか?きれいな麦畑。
10年前のブログ
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本宿(もとじゅく)入り口。
ここは藤川宿へ一里。
赤坂と藤川の間にある元宿は、法蔵寺の門前町として栄え、間の宿的役割をしていたそうです。
法蔵寺境内には、新撰組隊長近藤勇の首塚と胸像がありました。
また、岡崎市指定文化財天然木のイヌマキがありました。
近藤勇の墓へと上っていく坂の下に六角堂がありました。
法蔵寺でトイレを借りました。
本宿陣屋跡(現在は病院)と代官屋敷を見ました。
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【寛政13年の秋葉常夜燈と十王堂】
17:06 道標「左 東海道」「右 国道一号」
道標の右隣の看板は「本宿の歴史と文科をたずねて」
17:13 秋葉山常夜燈
寛政13(1801)年建立。
17:15 十王堂跡
案内板
「 十王堂跡
街道に沿ったこの地に十王堂(焔魔堂)があり、旅行者や村人から尊信されていた。
玄関ガラス扉から十王堂がのぞけます。
本尊木造地蔵菩薩座像(鎌倉期)は昭和六十二年岡崎市文化財に指定された。(非公開)
郷土史本宿研究会 」
十王堂が覗ける、とありますが、どこを覗いていいのか、覗くことは出来ませんでした。
【本宿一里塚跡と長屋門】
17:18 本宿一里塚跡
17:20 薬師如来
17:23 宇都野龍碩邸跡と長屋門
案内板
「 宇都野龍碩邸跡と長屋門(現存)
元宿村医家宇都野氏は、古部村(現岡崎市古部町)の出といわれ、宝暦年間(一七五一〜六三)三代立碩が当地において開業したのが始まりといわれている。
七代龍碩は、シーボルト門人青木周弼(しゅうすけ)に医学を学んだ蘭方医として知られている。
安政年間 当時としては画期的ともいわれる植疱瘡(うえほうそう、種痘)を施している。
郷土史本宿研究会 」
【おやつタイムと名残松】
おやつタイム
17:33 ファミマでぷるもちわらびみるく。
国道1号線を歩きます。
17:38 名残り松
東海中学校入り口交差点の先で、横断歩道敷きを斜め右に入ります。(17:48頃)
暫く行くと、また国道1号線を歩きます。
17:52 右へ下る坂道を下りて旧道に入ります。
18:01 三十七番札所興円寺
18:05 額田郡新四國第三十八番札所永證寺
この先、また国道1号線を歩きましたが、下校の自転車がたくさん。
2度目の東海道14日目の6(藤川宿)に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2019/12/27/092125