2度目の東海道7日目の2
4月5日(金)の2
【間の宿岩淵】
9:23 間の宿岩淵への上り口。
東海道より、ちょっと東へ寄り道した光栄寺からの富士山。
東海道に戻り、
9:30 常夜燈
9:33 小休本陣常盤家
10年前のブログ
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【 素敵な黒門の正体】
その先に立派な黒塀と門の家があり、ここが小休み本陣常盤家。門に何か張ってありました。
今までは火曜から日曜まで一般公開していましたが、防犯上の理由から、平成20年4月からは、土日祝日のみの公開となったとのこと。ただし、平日であっても、事前に教育委員会を通して予約を入れれば見学できるとのことでした。
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こちらの2枚の写真は今回の写真。
こちらの写真は10年前に撮った写真です。
当時は黒門、黒塀だと思っていましたが、今回見たら門は黒くないですね。
常盤家は、江戸時代を通し富士川の渡船役を務めた旧家で,主屋は,安政元年の地震後の再建だそうです。間口8間,奥行5間半,切妻造の建屋の四方に庇を付けています。平面は,片側が土間で居室部は整形六間取を基本とする。岩淵宿で「小休本陣」として知られた建物です。
小休本陣常盤家から、岩淵の一里塚の間に、3つ常夜燈があるはずなのですが、次の写真の2つしか見つけられませんでした。
9:38 新豊院
【岩淵の一里塚跡】
9:41 岩淵の一里塚
「まちぽ」(静岡の超ローカルニュースをお届けするwebマガジン)より
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江戸日本橋から37番目の一里塚
江戸時代に築造された日本橋から37里にある一里塚。天気の良い日は富士山も見え、当時、付近には岩渕名産「栗ノ粉餅」を売る茶店が立ち並んでいた。現存する一里塚には珍しく、東側と西側の両方が残っている。東側の榎の木は虫害のため昭和42年に枯死、現在のものは昭和45年3月に植えられた2代目の木。
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9:47 川坂観世音道標
【10年前は岩淵は富士川町だった】
富士川を渡ってから、お馴染みの「見よう歩こう富士市の東海道」の道標がなくなり、代わりに写真の地面にペイントされた矢印が現れました。
現在は岩淵あたりは富士市ですが、10年前に来たときは、富士川の向こうが富士市、富士川のこちらが富士川町でした。
そのすぐ後に市町合併して富士市になったので、その辺りの歴史的背景が関係していると思われます。
9:55 常夜燈
9:57頃、東名道を潜りました。
その手前には、夢舞台東海道の「中之郷」の道標もありました。
9:59 野田山実相寺寺標
振り返ると富士山が見えたり、常夜燈があったり。
【アイヌ伝説?】
10:07 宇多利神社社標
宇多利神社は、富士山周辺のアイヌ伝説と関係ある、という説も見つけましたが、それはそれで面白いけれど、裏をとるのは大変そうなので、そういう説もある、ということに留めておきます。
【名もない石仏】
東海道新幹線のガード下をくぐり、
10:16 常夜燈を見て、
10:33 東名道の跨線橋を渡りました。
富士山がきれいでしたが、金網が張ってあって写真はきれいには撮れなかったので、その近辺で撮った富士山
こちらの写真の石仏はガイドブックにも出ていませんでした。
2度目の東海道7日目の3(蒲原宿)に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2019/11/09/200257