岡 朝子の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

二度目の中山道歩き20日目の4(恵那市に入り、大井宿まで)

二度目の中山道20日目の4
2020年3月27日(金)の4


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【三面八臂の馬頭観音

10:28 恵那市に入りました。
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10:29 馬頭観音
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案内板
馬頭観音

馬頭観音の姿は、頭上に馬の頭を頂くのが多いが、この広久手坂の馬頭観音は、三面八臂という独特の姿である。このあたりでは珍しい。
大正十四年夏に長国寺悦音和尚が『旅人の道中安全と確認と悪病を防ごう』と開眼供養され、これを念願して、近くの山本鉄次郎翁が、この馬頭観音を立てられた。 」

三面八臂の「臂」は、「ひじ」です。


【社宮司の話】

10:35 社宮司の話
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案内板
中山道大井宿岡瀬澤の
宮司(しゃぐじ)の話

現在場所 恵那市大井町岡瀬澤字前田
二二七七番地

中山道を横断する古くからの用水路沿いで、中山道の南側約10mで地目原野29㎡が社宮司です。大きな桧が一本立っています。その根元には、氏神と金神の二つの石祠(ほこら)が祀られています。社宮司は、中部から関東に多く知られています。社宮司は信州の諏訪が根元で土地の神の信仰であり、木の神とされています。しかし恵那市内の社宮司については、近世はじめの土地調査(検地という)に使用した尺杖(しゃくじょう)や水縄(みずなわ)を土地の神に謝し納めたところと伝えられています。中山道沿いの社宮司について、中山道分間延絵図(東京国立博物館蔵)を見ますと馬篭宿の、新茶屋の立場(たてば)から大湫(おおくて)宿の烏帽子岩(えぼしいわ)までの間では、岡瀬澤と中野村新田(現恵那市長島町中野村新田)の二ヶ所のみです。この岡瀬澤の田の多くは江戸時代初期に開かれました。また、中野村新田も同様ですので、検地に関係があると考えられます。なお、桧の根元の氏神石祠は古くからその位置にありましたが、金神の石祠は昭和七年に祀られたものです。

恵那市教育委員会
大井町づくり協議会 」

10:39 岡瀬沢と濁川
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案内板
濁川条々

一、洪水に強い濁川にしよう。
一、きれいな水の濁川にしよう。
一、岡瀬沢の発展に結びついた濁川にしよう。
一、いつも濁川とそのまわりに関心をもとう。


岡瀬沢と濁川

私たちの岡瀬沢は恵那市大井町の東部一帯をしめる農家と住宅の多い地域です。
この岡瀬沢が一つの集落として独立したのは江戸時代のはじめ頃といわれています。
それ以来、岡瀬沢を東西につらぬく中山道と、保古山山系から流下する濁川によって生活と生産を維持し、発展させてきました。
濁川は約四km(一級河川の部分のみ)の小河川ですが、流域面積約七・七k㎡を占めていて、私たちにとっては、かけがいのない、大切な川です。この川の流れと水質に今こそ関心を高め、守っていきたいものです。
恵那市大井町岡瀬沢大組 」


10:40 岡瀬沢筋違橋
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10:45 庚申塔
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案内板
庚申塔

岡瀬沢では、庚申講がとてもさかんで、『庚申待ち』といって、講元の家に集り庚申(青面金剛)の掛軸をかけて、その日はお茶飯と汁、漬物等の夕食を頂き、夜明け方まで長く話をしていた。それは、庚申の日がやって来ると腹の中に三戸虫(三匹の虫)がいて、庚申の夜になると寝ている間に天帝にその人の悪いことを報告して、命を縮める為、寝ずにいると虫は出ていかないという謂われから、一晩中寝ないでいたと言われている。現在でも行われている所がある。講はおかみさんたちが支えてきた。

平成二十年三月
恵那市教育委員会


【甚平坂と甚平坂公園】

10:49 甚平坂
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案内板
「 甚平坂

木曽路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入口である。一筋の街道は・・・』(夜明け前)
中山道木曽路を過ぎて馬籠宿から中津川宿・大井宿に来ると、小高い丘をいくつも横切って進む道となり、起伏は多いが空は広く展望のよい道となり、恵那山や御嶽山を見続けて歩くことのできる道となる。そのため昔の旅人はこの道を『尾根の道・眺めよし』といっている。
ところがこの甚平坂は距離は短いが急な坂道で、長いこと旅人に嫌われていたが、明治になってようやく少しなだらかな坂道となった。
明治十三年六月、明治天皇が伊勢方面の視察のために中山道をお通りになることになった。そこでこの地の人たちは総出でこの坂の頂上を二メートルほど掘り下げて坂の傾斜を少しなだらかにした。それによって天皇のアラビア馬二頭だての馬車も無事に坂を越すことができた。

・ ・ ・ ・

甚平坂は根津甚平是行(根津次郎惟之)に由来する名称である。
根津甚平は鎌倉時代頼朝の家臣で信濃国根津の郷の城主であった。その頃大井に長興寺という寺があり、一体の観音仏をまつっていた。この観音さまは昔聖徳太子百済の香木に彫ったものといい、太子は法隆寺の夢殿に安置してまつっていたが、ある日突然空に舞い上がり東方に飛び、大井の里へ来た。里人はこれを寺に移したが、『総ての願いに御利益があるが特に子どもに恵まれない人が祈るとすぐに子宝が授かる』と評判になり、ひとびとはこの観音を『妊観音』といった。
根津甚平は数々の忠功があったが四〇歳になっても子どもがなかった。ある日この話を聞いた甚平はさっそく妻と共に大井の長興寺にやって来て妊観音に七夜の祈りを続けた。そして観音の霊光を得て長子根津小次郎惟清を授かることができた。
喜んだ甚平は長興寺の和尚と相談して『昔行基が創建したという長谷教寺を再興する』こととし、寺の名を稲荷山長国寺とした。そして甚平の守り本尊の運慶作の地蔵菩薩と夫人の聖観音等を寄進したという。
今長国寺には根津甚平の『長国寺殿根津是行居士』の位牌と乗馬に使用した馬の鞍と鐙が残っている。(長国寺縁起による) 」


10:50 馬塚と犬塚
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案内板
「 馬塚と犬塚

 むかし信濃国の桔梗が原に八重羽
のきじという化け鳥がいた。
 ロばしは槍のようにとがり、羽根
は刃のように鋭く、羽風にあたると
災いが起きるといい、里人や旅人の
うちで命をうばわれる人が多かった。
 困った鎌倉幕府は根津甚平 に化け
鳥退治を命じた。甚平は馬に乗り、
犬と鷹を連れ、多くの家臣と背子を
ひきつれてきじを追った。
 きじは羽音高く飛び立って西の空
に姿を消したが、数日ののちにこの
坂に追いつめた。しかし、馬はここ
で倒れ、犬と鷹はなおも追い続けた
が、犬は日吉(現瑞浪市 )で力尽き
てしまった。そこで里人はこの坂に
馬と犬のなきがらを葬ったという。

岐阜県


10:52 広重中井宿の石彫り
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案内板(石碑)
「此の石彫りの絵は浮世絵師安藤広重(1797-1858)が中仙道六十九次の一つ『大井宿』を描いたものです。雪の中路を行く当時の旅人の姿をしのぶことができます。広重はこの辺りから北の方御岳山などをながめた景色ではないかといわれ此の地に碑を立てその昔をしのぶことにしたものです。 」


甚平坂公園
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甚平坂のハナノキ
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案内板
「 ハナノキ 恵那市の木

ハナノキ(学名花の木)はカエデ科カエデ属の落葉樹。カエデの仲間である。ハナカエデとも言う。
日本固有種で、長野・岐阜・愛知・滋賀の4県にのみ自生する。樹高は20mほどで雌雄異株。花期は3~4月で、新芽が吹く前に赤い花を咲かせる。これが名前の由来となっている。落葉樹で秋には鮮やかに葉が紅葉または黄葉する。
国の天然記念物に指定されている他、愛知県の県木ともなっている環境省レッドブックでは絶滅危惧Ⅱ類に指定されている。

中山道岡瀬沢保存会 」

甚平坂公園で休憩とトイレ

ここでハイキングの集団に会いました。


11:02 甚平坂 案内板
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前出の甚平坂の案内板と同じ内容です。


11:12 明治天皇行在所の道標
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案内板
明治天皇行在所の道標

この道標は伊藤萬蔵(名古屋市の豪商)が寄進したものである。神社佛閣に石造物を多く寄進し信仰の証を示した人で、東濃地方では、虎渓山永保寺(多治見市)の積標一対と、この道標のみで貴重なものである。

平成二十六年二月
恵那市教育委員会
大井町まちづくり協議会 」


ガイド本に書いていない、新しい道を歩いてしまい、暫く迷いました。


西行法師葬送之寺(長国寺)
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花が綺麗でしたが、これは中山道から外れていたので、中山道に戻れるよう頑張りました。


【大井宿本陣跡】

11:44 大井宿本陣跡(本陣門)
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岐阜県公式ホームページより

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大井宿は江戸幕府による五街道の宿場制度の制定に伴って、整備された中山道大井宿も美濃十六宿の一つとして栄えた。
各宿場には本陣、脇本陣が置かれたが、建造物が遺存しているのは、大井宿本陣の正門と太田宿脇本陣ぐらいのものである。
大井宿本陣には江戸時代を通じて、西国大名が参勤交代の際に休憩することが多かった。かつての本陣の豪華さを今に伝えるものは、正門とその脇の松だけである。本陣の前通りから裏側に廻ると中山道らしい面影をみせる坂路となっている。大井宿本陣正門の建造年代は不明であるが、おそらく江戸時代初期につくられたものと思われる。

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中山道ひし屋資料館(庄屋古山家)】

11:46 中山道ひし屋資料館(庄屋古山家)
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恵那市公式ホームページより

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恵那市中山道ひし屋資料館

施設概要

豪壮な町屋建築の典型「ひし屋」

大井宿の有力な商家であった「ひし屋」古山家は、江戸時代中期以降、大井村の庄屋を務めた家柄で、明治以降は郵便取扱役、恵那郡役所掛屋(銀行)に任命され、養蚕研究や俳諧文化の推進にも力を尽くしました。

その住居は明治初年に改築されていますが、大規模で質の良い近世的町屋建築の特色をよく示しており、平成9年に恵那市文化財に指定されました。

中山道ひし屋資料館は、この古山家住宅を改修・復元し、大井宿の町屋を体験してもらう施設として平成12年9月に開館しました。

建物そのものをもっとも重要な展示品ととらえ、整備に当たっては、過去の改築の痕跡などに注意を払いながら解体修理を進め、可能な限り建築当初の状態に近づけています。

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案内板
「 大井村庄屋古山家

 古山家は江戸時代に屋号を「菱屋 」
といい、酒造と商売を営業していた。
そして享保年間から幕末まで約一
五〇年間、大井村の庄屋を勤めた
旧家である。
 屋敷は間口一〇間半(約一九m)
奥行三五間(約六三m)の敷地の
中に、一四畳・一〇畳・八畳の部屋
など合計八室、それに土蔵をもつ広
大な建物があった。
 今の建物は明治初年に上宿より移
築したもので、前面に太い格子をは
め、はねあげ式の大戸が付き、奥座
敷には床の間・違い棚・書院・入側
廊下のある一〇畳二間が続き、江戸
時代の雰囲気を色濃く残している。

恵那市恵那市教育委員会


11:49 脇本陣高木家兼下問屋場
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案内板
「 下問屋場

大井宿問屋場は本町上(上問屋)とここ(下問屋)の二か所にあった。
問屋場は人や荷物の継立事務を行うところで、宿役人(問屋・年寄)や下役人(人足指・馬指・書役など)が月を半分にして、上問屋と下問屋に交代して勤務していた。
宿役人は、大井宿が幕府の命により毎日用意している人足50名と、馬50頭を使い、これでも不足するときは助郷村の人馬を集めて、隣宿の中津川宿や大湫宿まで、主として公用客の輸送にあたっていた。
(大井宿助郷村=東野村・正家村・中野村・永田村・姫栗村・毛呂窪村・蛭川村・ほかに恵那郡内七か村)

恵那市恵那市教育委員会


11:49 明治天皇行在所(岩井家)
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案内板
明治天皇行在所
(現岩井家)

明治天皇が明治十三年〔1880〕
六月二十八日に、ここ
行在所(当時は伊藤家)に
お泊まりになられた。現在
でも、お泊まりになられた
部屋、風呂場、便所は当時の
まま残っている。このよう
に現存している所は数少
ない。
平成二十年三月
恵那市教育委員会
大井町まちづくり協議会 」


【枡形】

11:52 枡形 市神神社
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恵那市公式観光サイト「え~な恵那」より

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市神神社の七日市

お正月の七日に開催される大井町の市神神社の例祭で、349年の伝統を誇る。
市神神社は福の神とされ、七日市にはお札さまを迎えて、1年間の家内安全と商売繁盛を祈る。

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枡形の案内図
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11:55 中山道大井宿のあらまし
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案内板
中山道大井宿のあらまし

中山道大井宿は、江戸から約87里(344km)46番目の宿場で、京都へは47里余(188km)のところにある。中山道と名古屋・伊勢に向かう下街道の分岐点である槙ヶ根追分に近く、中山道の旅人のほか、伊勢参り善光寺参りや尾張商人、尾張に向かう木曽の牛馬の荷などが通り、美濃16宿中随一の繁栄を誇っていた。
宿は東から横町・本町・竪町・茶屋町・橋場という5町に分かれ、東の高札場から西の大井橋まで6丁半(710m)あった。それぞれの町は、街道が直角に曲がるいわゆる枡形によって区切られていた。大井宿ではこの角が6ヵ所あって、中山道随一の整然とした町割りを形成していた。
宿内には、本陣や脇本陣・問屋のほか旅籠屋・茶屋・商売屋など、天保14年(1843)の記録では家数110戸(466人)が軒を並べていた。本陣、脇本陣は大名や公家の姫気味が宿泊するため門構えと玄関を備え、書院付き上段の間のある豪壮な建物であった。旅籠屋は41軒あり、寺社などの参拝費用を積み立てる講の指定宿である講宿や近江商人の定宿も多くあった。中には門構えや式台、特別な客室のある大きな旅籠屋もあって、一般の旅人ばかりではなく武士も利用したと思われる。草鞋や簑、砂糖もち、果物などを売る茶屋は8軒あった。
宿場は旅人が宿泊するだけの場所ではなく、街道を往来する諸荷物の集積、中継という重要な役割も担っていた。この役割を果たすのが問屋で、大井宿には本町に上下二つの問屋があり、半月交代で宿役人が詰め、仕事の指図をしていた。
大井宿の西側を流れる阿木川にかかる大井橋は、長さ23間(41m)、幅2間(3.6m)の欄干付きの木橋であった。この橋ができる天保年間以前は阿木川の真ん中に石の小島を造り、そこに両岸から橋をかけて渡っていたので中島橋ともいった。

恵那市/恵那市教育委員会 平成17年3月」


11:56 枡形出口 大津屋
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お菓子が大好きで、お菓子屋さん巡りをしているという「笹団子のひとりごと」というブログより

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恵那・かつての中仙道の宿場町・大井・には中仙道に面した大津屋という和菓子屋さんがあります。 栗の町・恵那らしく栗きんとんなど栗菓子や季節の上生菓子を作っているのですが、秋の恵那にふさわしいお菓子があります。

それが栗粉餅です。
やわらかいお餅にそぼろ状の栗をたっぷりかけた生菓子です。 一折に10個入ったパックで売られています。
箱のフタを開けると栗の香りがします。
このお菓子、原材料が栗、もち米、砂糖、塩だけなんですよね。
口に入れると栗のそぼろが溶けて栗の風味、甘みが広がります。 お餅のやわらかく、弾力があっておいしいです。
お好みで添付の砂糖をかけていただきますが、栗自体に甘みがあるので人によっては不要かもしれないです。

ちなみにこのお菓子、賞味期限が2時間なんです。
私の知る限り北海道・十勝の六花亭のさくさくパイが3時間の賞味期限です。 それだけフレッシュさを追求したお菓子ということなんでしょうね。

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【大井橋(大井宿西のはずれ)】

11:56 大井橋
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12:00 中央通1交差点
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12:02 恵那駅
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日替りランチを食べ、
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恵那13:01発の電車で帰りました。


そう言えば先日、草津から大津を歩いたときは、信楽(滋賀県)が舞台の「スカーレット」のポスターをたくさん見かけましたが、今日は今のところ美濃が舞台の「麒麟が来る」のポスターをよく見かけました。


本日の歩数 20,618歩 15.17km


二度目の中山道21日目(大井宿から御嶽宿)に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/01/22/095403