2度目の東海道3日目の5
3月24日(日)の5
【史跡車坂の碑】
12:40 史跡車坂碑
史跡車坂の碑
「 鳴神の 声もしきりに車坂 とどろかしふる ゆふ立の空
太田道灌
戦国兵乱の世の和歌集に「平安紀行」があります。「平安紀行」の作者は、
太田道灌とする説と異説とする説がありますが、その前文に「車坂という里にて
ゆう立しきりに降りそいえば」とあり、この時に詠んだものです。
浜辺なる 前川瀬を逝く水の 早くも今日の 暮れにけるかも
源実朝
「吾妻鏡」建保元年の条に記録があり、源実朝が鎌倉を出て箱根、伊豆の二権現に参拝する際、前川まで来た時、正月でも洪水があったとみえ河を渡ることができず、日暮れまで待つ間に詠んだものです。
浦路行く こころぼそさを 浪間より 出でて知らする 有明の月
北林禅尼(阿仏尼)
「十六夜日記」は、阿仏尼が夫の逝後、先妻の子為氏と我が子為相との相続争いの訴訟のため、京を発ち鎌倉に下る紀行文です。その前文に酒匂に泊り、あす鎌倉へ入るとあり、この時に詠んだものです。 」
【ちりちり湘南海の道】
12:44 大山道道標
12:48 道祖神と坂下道
さて、この日、長袖は着ていましたが帽子をかぶらず、手袋もしていなかったので、手と顔が日に焼けて、おでこの皮が剥けました。
【鯵のたたき】
12:59 双体道祖神
なかなか食べ物屋さんがなくて、もうお腹ぺこぺこでしたが、やっと「のんき亭」という店がありました。
13:11 鯵のたたき定食にありつけました。(1,290円)
豚汁が具だくさん。
鯵のたたきはさすがに美味しかった!
あるあるなのですが、あんなになかなか食べ物屋さんがなかったのに、私が食べた後は、いっぱいお店があるんですよね。
【親鸞聖人御勧堂と石塔群】
食後、道の反対側(海側)に親鸞聖人御勧堂があるはずだ、と、ちらちら見ながら歩いていたのですが、結局分かりませんでした。
写真は、2008年9月30日に撮った写真です。
親鸞聖人と浄土真宗を1からわかりやすく説明します、というサイト(株式会社チューリップ企画運営)より。
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神奈川県の相模湾に面した国府津に、親鸞聖人が説法されたご旧跡「御勧堂」があります。56歳のころから、しばしば布教場所を広げられたといいます。
この地で、仏縁を結んだ了源房は、日本三大仇討ちとして有名な曽我兄弟の子供でありました。親鸞聖人のお手紙にも「平塚の入道」として登場しています。どんなドラマがあったのでしょうか。
近くの漁民を集めて説法された草庵は「御勧堂」と呼ばれています。親鸞聖人が、いかに聞法を強く勧めておられたかを表しているようです。
60歳過ぎ、親鸞聖人が関東へお帰りになるため、この地を通られました。すると大勢の人が集まり、あまりにも別れを惜しむので、親鸞聖人はしばらく御勧堂に滞在され、最後の説法をされたといいます。
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14:07 石塔群
こにらの写真は、2008年9月30日に撮ったのですが、多分同じ石塔群だと思います。
場所も移動し、並べかえられています。
【小幡の一里塚跡】
小幡一里塚跡を見逃したので、写真は、2008年9月30日に撮った写真です。日本橋から19里目です。
14:10 旧川辺本陣跡
鎌倉時代の宿、酒匂宿の本陣跡で、建物は江戸時代後期のものだそうです。
現在は社会福祉法人ゆりかご園(児童養護施設)になっているそうです。
ゆりかご園の右何軒か隣にLAWSONがあり、トイレを借りました。
14:24 黒酢で休憩。
【小田原宿江戸口見付と一里塚跡】
2008年9月30日に来た時は、酒匂川手前のマックでチョコレートシェイクを飲みながら大休止したのですが、そのマクドナルドの店はなくなっていました。
昔は酒匂川は徒歩渡り立ったそうですが、今は酒匂橋を渡ります。
ガイドブックに従って、酒匂橋の山側を渡り、エッソとトヨタの間の細道に入り、向かいのT字路を左折すると、写真の八幡神社。(14:45)
15:03 江戸口見付跡並びに一里塚の看板
【小田原かまぼこ通り】
15:05 新宿交差点を左折。
15:10 かまぼこ通り
小田原かまぼこ通り活性化協議会HPより
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かまぼこ通りは旧東海道小田原筋にあり、蒲鉾屋の本店や干物屋など30店舗あまりが立ちならぶ漁師町風情が色濃く残る通りです。
食べ歩きにピッタリの揚げかまぼこなどは店先でもお召し上がりいただけますが、歩いてすぐの海辺で食べるのもおすすめです。
のんびり散策が楽しめるかまぼこ通りへぜひお越しください
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こちらのHPからは、かまぼこ通り絵地図をダウンロードできます。
(「小田原かまぼこ通り」で検索すれば、すぐ出てきます。)
【丸うの日除け暖簾】
かまぼこ通りに入ってから、トイレに行きたくて困っていたら、一本右側の太い通りになりました。面しているLAWSONが、こちらの裏通りにも看板を出してくれていたので、裏から表へ過ごしやすい歩きましたが、お陰さまでトイレに行けました。R-1ヨーグルトを買って飲みました。
15:26 田代総本店の「丸う」の日除けのれんが素敵でした。
田代総本店は建物が素敵だと想ったらしく、2008年にも写真を撮っていました。
【清水金左ヱ門本陣跡】
15:34 清水金左ヱ門本陣跡
小田原宿は箱根越えを控え、多くの大名や旅人が宿泊したので、東海道の中でも大変大きな宿場町で、本陣4軒、脇本陣4軒、旅籠95軒(天保年間、1830〜1844)あったそうです。
き
写真は、「なりわい交流館」
この建物は、昔の網問屋を整備して、お休み処や、市民の活動スペースとして2001年に開館したそうです。
なりわい交流館HPより
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この建物は、関東大震災(大正十二年)により被害を受けた建物を、昭和7年に再建したもので、小田原の典型的な商屋の造りである「出桁造り」という建築方法が用いられています。また、2階正面は出格子窓になっていて昔の旅籠の雰囲気を醸し出しています。
内部の意匠も特徴的で、特に二階は、震災後の耐震工法として採用された様小屋の構造を取り入れているなど、当時の小田原の時代背景を感じされる貴重な建物です。
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【小西薬局】
小西薬局。素敵な雰囲気なので、今回も、2008年に撮った写真に撮りました。
【外郎】
15:42 ういろう
小田原城みたいな建物が薬とお菓子の店、「ういろう」です。
ういろうHPより
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ういろうの歴史
中国の元朝に仕えていた陳延祐という人が日本に帰化して、中国での官職名、礼部員外郎(れいぶいんがいろう)の外郎をとって、官職名と間違えられないように読み方を変えて「ういろう」と名乗りました。以後今日まで、今回も外郎家は650年、二十五代に亘り歴史を重ねています。
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実は私は、ういろうは薬だけを売っているのだと思っていたら、お菓子も売っているんですね。
薬は歌舞伎の「外郎売り」にも出てくる透頂香(とうちんこう)も600数十年前からの製法そのままに作られているのですが、環境破壊のため、原料の入手困難で十分に作ることが出来ない状況で、症状に応じて対面販売のみ行っていて、通信販売は行っていないそうです。
その他、「妙香散」(頭痛、めまい、のぼせ、耳鳴り。男女更年期障害の小乗をとる)、「振り出し五香湯」(ティーバッグ。冷え性、風邪の薬)があります。
ういろうのお菓子
室町時代に外郎売り家が国賓のもてなしに考案した米粉の蒸し菓子。
棹型で、一子相伝の製法、味だそうです。
もっちりした食感、ほのかな甘さが特徴だそうです。
この他、ういろう羊羮、ういろう最中、錦甘露(小田原の季節の露を表現しているそうです)
ういろうの少し先(道は反対側です)には、梅干しや佃煮の「ちん里う」もあります。
写真は、新幹線の高架です。
16:01 箱根板橋駅
【本日の終点】
16:11 箱根登山電車小田原行きに乗りました。
乗り換え駅で、写真のお弁当を買いました。
本日の歩数 44,841歩 27.35km
東海道五十三次歩き3日目 終了。
4日目【箱根宿】に続く
その前に、10月9日(水)に小田原を歩いた番外編をアップします。https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2019/10/15/160342
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