紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

小田原宿再訪番外編

2019年10月9日(水)

日帰りで、小田原〜箱根関所を歩いてきました。

3月24日(日)に見逃した物の写真も撮ったので、番外編としてアップします。


【小田原の朝】


朝4:30に起き、5:11発に乗って歩きに出掛けました。

電車の中でパンを食べて朝ごはん。

6:21 小田原着。トイレに寄って、6:30頃出発。
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6:49 小田原城のお堀。鴨も泳いでいます。
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犬の散歩の人もいます。


7:03 なりわい交流館
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この時間ですから当たり前ですが、まだ閉まっています。



【今回初めて見つけた本陣跡】


7:05 片岡本陣跡
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3月24日に来た時は、道の左ばかり見ていたから気づかなかったのか、左側の歩道の右側、車道側に片岡本陣跡の案内板の碑がありました。

案内板
「片岡本陣跡

小田原宿には4軒の本陣があり、片岡本陣もその一つです。伊予(愛媛県)マツヤマノ松平家などの大名家などが定宿としていました。福松の当主片岡永左ヱ門は、明治時代には小田原町の要職を歴任し、当時の貴重な記録を数多く残しています。
平成29年3月 小田原市教育委員会


7:07 久保田本陣跡
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これも前回気づきませんでした。片岡本陣跡の案内板も久保田本陣跡の説明板も平成29年に建てらてているので、10年前に来たときには、当然ありませんでした。

案内板
「久保田本陣跡

小田原宿には4軒の本陣があり、久保田本陣もその一つです。紀州徳川家や九州の黒田家、鍋島家、中国地方の毛利家などの大名家が、久保田本陣を定宿としていました。なお久保田氏は、江戸時代の前期から町年寄や名主役も務めていました。
平成29年3月 小田原市教育委員会



【小西薬局と4つ目の本陣跡】


7:08 小西薬局
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前回も、10年前も写真に撮りました。

今回、小西薬局について調べてみました。

「小西薬局」

小田原市教育研究所HPより

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小西薬局は、創業1633年歴史ある薬局です。江戸時代からの長い歴史があり、今でも創建当時の看板があります。他にも昔の製薬会社の看板(むかしは、文字は左から読むのではなく、みぎから読むので文字が逆の看板です)、薬を作る昔の道具までもあります。もちろん、今の薬もありますが、昔の薬も今もあり、とても歴史を感じられる楽しい場所です。

小西薬局は創業を開始して今は十五代目の方が営んでおります。建物は登録有形文化財に登録されており、登録証もあります。これは、文化省から認められている昔の建造物です。 建物は、関東大しん災でくずれてしまいました。しかし、燃えはしなかったため、がれきでまたつくりなおしたそうです。

今は、工場などで作られている薬が主に売られていますが、昔はいろんな道具を使って薬を作っいたのでその道具が、小西薬局には残っています。その中でもひときわ目立つのは百味箪笥(ひゃくみだんす)です。イメージとしては映画「千と千尋の神かくし」出てくるかまじいが使っていたような箪笥です。引き出しが百種類以上あり、いまだ江戸時代の薬があります。箪笥の中には1000~1200種類の膨大な量の薬が入っています。お店が長い歴史があるので、箪笥に多くのサインがみつかりました。 他にも下記の道具がありました。

「乳鉢」(にゅうばち)これは、生薬粉末を混ぜ合わせる道具です。 「薬研」(やげん)これは、刻んだ生薬を粉末にする道具です。 「膏薬練板」(こうやくれんばん)これは、軟膏を混ぜ合わせて、練るときに使う道具です。

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私の祖父と父が医者だったので、乳鉢は普通に我が家にありました。

薬研は家にはなかったですね。テレビドラマの「赤髭診療譚」で見ました。

膏薬錬板はわからないなあ。膏薬を塗る、バターナイフの親分みたいのはありましたか。「ものたろう」を見たら、錬板というものは売っていますが、膏薬用ではなく、今風のものでした。


7:09 ういろう本店
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お馴染みの、小田原城型の建物。


そして、ういろう本店の道の反対側、つまり、私が歩いている、国道1号線の左側に、清水彦十郎本陣跡がありました。
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説明板
「清水彦十郎本陣跡

小田原宿には4軒の本陣があり、清水彦十郎本陣もその一つです。出雲(島根県)松江の松平家や美濃(岐阜県)大垣の戸田家などの大名家が定宿としていました。

平成29年3月 小田原市教育委員会


前回(3/24)に見た、清水金左衛門(金左ヱ門)本陣跡と合わせて、小田原宿の4つの本陣跡、すべて見ることが出来ました。


小田原駅跡と、板橋見附まで】


7:16 小田原駅
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側面説明板
「 明治二十九年三月 熱海方面への陸上輸送路として豆相人車鉄道が開設され、早川口が小田原駅となった。明治四十一年に軽便鉄道とし、小田原電鉄からの乗換駅としてこの地方の交通に恩恵を与えた。大正十一年十二月国鉄熱海線が真鶴まで開業したことによって、その使命を全うした。 」


7:20 居神神社
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wikipediaより

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居神神社(いがみじんじゃ)は、旧小田原宿 板橋口(上方口)近くに鎮座する三浦荒次郎義意公を主祭神に祀る神社。現住所は小田原市城山4-23-29

氏子地域は、南町の一部(旧山角町)と板橋(旧板橋村)。旧東海道である国道1号線に面し、光円寺に隣接する。場所柄、海・港に近く漁師が多いことに加え、石屋、畳屋などの職人も多く、祭礼の際は居神流と呼ばれる荒々しい担ぎ方をする神社である。境内には小田原市重要文化財に指定された古石碑群がある。

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7:21 板橋見附(光円寺)
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神奈川県寺社案内より

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浄土真宗本願寺派寺院の光円寺は、釋浄山と号します。光円寺は、覚圓が実相寺と号して慶安4年(1651)創建、明暦元年(1655)現寺号に改めたといいます。

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2度目の東海道3日目が箱根板橋までなので、とりあえず10/9の小田原宿再訪番外編も一旦ここで切ります。

箱根再訪番外編も本編の箱根編の後にアップします。

次は本編の、【箱根板橋から三枚橋まで】
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2019/10/15/235006