海抜五一〇mの高地に、江戸から四十七番目の宿として、慶長九年(一六〇四)に新たに設けられた。東の大井宿へは三里半、西の細久手(ほそくて)宿には一里半と、美濃十六宿の中で最も高く、それだけに人馬ともに険しい山坂が続く難所に開かれた宿でした。東に桝形を設けた宿の中心には、今も神明神社の大杉がそびえ、古い町並みがよく残っています。
脇本陣の保々家(江戸中期)、旅籠の三浦家(江戸末)、問屋の丸森森川家(江戸末)、新森森川家(明治)の四棟は、建造物として国の登録有形文化財として登録されています。
瑞浪市 」