紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

二度目の中山道歩き17日目の2(須原宿)

二度目の中山道17日目の2
2020年9月4日の2


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須原宿入り口】

13:27 須原宿入り口
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須原の一里塚跡(江戸から75里目)
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須原駅
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須原の町並み
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おおくわナビより

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歴史的概要
木曽谷の中では一番古くに栄えた宿場町で須原から野尻宿までは1里24町、宿の延長は4町35間。問屋二軒・本陣一軒・脇本陣一軒・旅籠三十五軒の当時としては平均的な宿場でした。

宿のはじまりは戦国時代で、正徳年間に洪水の被害をうけ、享保2年(1717)に現在地へ移転しました。

木曽谷の中ででは一番古くに栄えた歴史ある宿場町です。
昔から清水が湧き、今も丸太をくり抜いて作った「水舟」が置かれています。

現在の状況
須原宿の枡形は宿場の京方に設けられ、幕府に反乱を起こした敵を防ぐために造られたものでした。今もなお残る直角に曲がった道や急坂も攻めにくくする工夫だったといわれています。
その独特な形状から「鍵屋の坂」とも言われるほどです。

本来の街道の姿を今に伝える通りでもあり、広い道幅や、町の中を流れる昔ながらの用水路などが、往時の面影を残しています。

大桑村指定無形文化財「須原ばねそ」(はね踊り)をはじめ、宿のはずれにある定勝寺は、桃山様式の代表的建築で昭和27年に重要文化財に指定されており、幸田露伴の「風流仏」の舞台とにもなった宿場です。

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脇本陣跡と水舟と須原ばねそ】

脇本陣西尾家
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案内板
「 旧脇本陣西尾家の沿革

脇本陣西尾家の祖は代々菅原の民を名乗る族柄にして大永、天文年間(1522年-1554年)の頃此の地信濃の国須原に住し地域の開拓に力を尽す西尾家は木曽屈指の旧家にして木曽家の家臣ととして重きを為す殊に西尾丹波守は馬術又武芸に優れ木曽義昌公の信任極めて厚く鳥居峠妻籠城 の合戦等に参画転戦しその武功著しきものありしと伝えられる
天正十八年木曽義昌 公は豊臣秀吉 の命により突然下総の国網戸に移封せらるゝも 西尾家は依然此の地に留まりその後は木曽代官山村家に仕え尾張藩の山林取締役等の重責を担う
慶長五年(1600年)中仙道宿場の出来る に伴ひ須原宿脇本陣問屋、庄屋を兼ね宿役人として重きを為し地域の発展に貢献せり
その後寛延慶応の二度に亘る火災に遭遇し記録の一部を焼失するも今尚当時の隆昌を物語るに足る古文書、書画什器等多数蔵することは文化財として貴重な存在である
酒造業は古るく江戸時代の創業にして現在にいたる
大桑村


西尾酒造
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水舟と正岡子規の歌碑
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水舟とは、丸太を舟のようにくり抜き、丸太の中を湧き水が絶え間なく流れる様にしたもので、飲み水として使用されています。

正岡子規歌碑
「 寝ぬ夜半 いかにあかさん 山里は
月出づるほどの 空たにもなし
子規 透水筆 」

案内板
「須原に至りし頃には夜に入りて
空こめたる山霧深く
朧々の月は水汲み人の影を
照らして寂寞たる古駅の趣
いふ計りなく静かなるに
道の中央には石にて囲ひし
古風の井戸有りて淡島神社
の灯籠其の傍に寂しく立てり
(日本名勝写生紀行) 」


清水医院跡と須原ばねそ発祥の地
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案内板
「 清水医院跡

文豪 島崎藤村による『ある女の生涯』の舞台となった清水(蜂谷)医院跡。
現在、明治の医院建築として、愛知県犬山市明治村に移築され保存されている。」


須原ばねそ発祥の地 おおくわナビより

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すはらばねそ

須原宿に六百年前から伝わる盆踊。「ばねそ」とは「はね踊る衆」という意味で、よいこれ・竹の切株・甚句の三種があり、いずれも楽器を用いない地唄でこれを称して「須原ばねそ」と呼んでいる。

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案内板
「 聴けます♪♪

須原ばねそ『よいこれ』


民謡 須原ばねそ 発祥の地
『よいこれ』

ハー ヨイコレ 須原ばねそは
お十六ばねそホイ
足で九つ 手で七つ 」


須原ばねそ歌詞

1 、ハァーヨイーコレー 須原ばねそは
お十六ばねそ (ハイー)
足で九つ 手で七つ
(ハァー手で七つ 足で九つ 手で七つ)

 
2、ハァーヨイーコレー 木曽の須原で
自慢なものは 須原ばねそと 常勝寺

3、ハァーヨイーコレー 須原ばねそを
習いたかこざれ 金の十百両も 
持てござれ

4、ハァーヨイーコレー 須原よいとこ
地酒の美味さ 添えて差し出す 
とろろ汁

5、ハァーヨイーコレー 山は夕焼け
日は暮れ始める ごんと鳴る鐘 
定勝寺

6、ハァーヨイーコレー 嫁にゃもらわれ
主さにゃ泣かれ 胸は八千代の 玉椿

7、ハァーヨイーコレー 須原よいとこ
泊ろじゃないか 花漬売る娘の 
宿がよい

8、ハァーヨイーコレー 糸瀬山から
ちょっと出た月に 顔をかくして
皆おどる

9、ハァーヨイーコレー 好いたお方と
須原のばねそ 今宵一夜を 
輪であかそ

 
10、ハァーヨイーコレー 色気づいたか
木曽路のもみじ 朝も早よから 
水鏡

11、ハァーヨイーコレー 咲いてぼたんと
云われるよりも 散りて桜と 
云われたい 

12、ハァーヨイーコレー 主を松風
身にしみじみと 更けてさびしや 
虫の声

13、ハァーヨイーコレー 小野の滝越え
滑川越えて 花の寝覚が 近くなる

14、ハァーヨイーコレー 須原女と
江戸馬方は 馬につけても 
かたぎゃせぬ

15、ハァーヨイーコレー 須原名物
数々あれど 食ってうまいは
 とろろ汁



秋葉常夜燈
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水舟
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旧家
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【枡形 鍵屋の坂】

須原宿枡形 鍵屋の坂
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案内板
「枡形は宿場の京方(京都側)に設けられ反乱を起こした敵を防ぐためのものである。道路を直角に曲げ、攻めにくくなっている。通称『鍵屋の坂』ともいう。須原宿の枡形は形態がよく残されており、規模も大きく枡形の典型的な遺構として高い評価を得ている。 」


【常勝寺 国の重要文化財


常勝寺
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案内板
「 常勝寺
昭和二十七年三月二十九日
重要文化財指定

嘉慶年間木曽家第十四代の源親豊公が木曽川辺りに開創し、その後木曽川の洪水による流失の後、当地に慶長三年(一五九八)に移建したものが現在の諸堂宇で、山門、本堂、庫裏何れも桃山建造物として国の重要文化財に指定されています。
常勝だるま大座像、人間国宝『香取正彦』作の大梵鐘のほか木曽氏歴代による寄進物も数多く木曽の古い姿を知る重要な資料となっています。 」

山門
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山門への階段の周りの草むらや、境内のあちこちに点在する十六羅漢
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常勝寺の庫裏
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鶴亀蓬莱庭園
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常勝寺前の水舟
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この後、大桑駅14:56の列車に乗るため、写真も撮らず必死に歩いたので、明日は大桑駅ではなく須原駅で降りて、続きを歩きます。

大桑駅から木曽福島駅に移動し、木曽福島で泊まりました。
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本日の歩数 30,687歩 18.71km


二度目の中山道18日目(須原宿から野尻宿)に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/01/07/124623


二度目の中山道六十九次歩き目次1(日本橋から横川駅)
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/03/17/220947


絵手紙1(日本橋から塩名田宿)
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/03/18/101022


二度目の中山道六十九次歩き目次の目次
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/03/21/084003