紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

二度目の中山道歩き18日目の1(須原宿から野尻宿へ)

二度目の中山道18日目の1
2020年9月5日(土)の1


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須原宿本陣跡】

5:00 起床

7:00 朝食。朝食も美味しかった。
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8:30 チェックアウト。

木曽福島駅 9:05発
須原駅 9:37着 身仕度などして、

9:48 出発
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9:51 須原宿本陣跡 昨日見つけそびれたので、今日は探しながら歩いて見つけました。
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10:04 第9中仙道踏切を渡りました。
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白く泡立つ流れに沿って
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橋場バス停
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【岩出観音】

岩出観音分岐
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岩出観音の大イチョウ
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案内板
「 岩出観音のカエデ

樹齢/不明 幹周り/240cm 樹高/14m

岩出観音は脇にあり、秋には見事に紅葉します。懸崖宝形造りの建物との競演する美しさは格別です。

大桑村

9月5日現在のイチョウ
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岩出観音
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案内板
「 岩出 観音

奉仏 馬頭観世音菩薩

別名を伊奈川観音又は橋場観音といい、口伝によると三百余年前須原の一老父が馬の省を作り商いをしていた。
或日一人の威厳ある馬上の侍が馬の省を求めたが折り悪く片足分しかなかつたのでその旨を伝え、不足分を早速作り後から追いかけて現在の橋場の入口付近で渡した。侍は喜んで代金を渡そうとした
が老父はその侍の尊容に打たれて代金を辞退したところ傍らにあつた木片を取らせ馬上で『馬頭観世音』と書いて渡し『必ずこれを信仰せよ、御利益があるであらう』と言って立ち去ったと云う、俗にこれをコッパ観音とも云う。老父はそれを家に安置したところ光明を放つたので、恐れを抱いて橋場の岩出山の岩間に
祀ったところ一層赫々と光明を放ったので、忽近郷近在の評判となり来拝するものが多くなったので、近隣の助力を得て、この木片に観世音菩薩と刻み京都まで出掛けて妙心寺の名僧愚堂国師の開眼を受けて持ち帰り、一宇を建立して、奉安したところ 信仰する者多く、
縁日(一月十七日、二月の初午)には遠くから大勢御詣りに来られる様になった様です。
毎年一月十七日 初観音縁日、1月の初午縁日は午前十時半より法要を行っております。福ダルマ、お守り、お札の頒布も行います。
大桑村須原 定勝寺
平成十四年一月十七日
掲示板寄贈
柳橋政明氏 」

境内の地蔵堂
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階段を下りて、下から見上げた岩出観音
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おおくわナビより

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江戸中期に建立された長い歴史ある懸崖造りの観音堂
絵馬、筏流しの立派な歴史ある絵が多く保存されている。毎年、初観音(1月中旬)と初午(2月初旬)の行事が盛大に執り行われる。京都清水寺に似た崖屋造りに特徴がある。
木曽街道六十九次「伊奈川橋遠景」(渓斎英泉)の図にも描かれています。

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英泉の「伊奈川橋遠景」はこちらですが、
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えっ、この絵のどこに岩出観音が?

よく見たらありました。

こちらの○で囲んであるところです。
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伊奈川橋
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川沿いの道
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伊奈川橋から8分歩いた所で左折
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左折してすぐに水舟
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石塔
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八幡神社入り口
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水害記念碑
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標識
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この辺り、とにかく暑くてくらくらしそうです。


【天長院】

天長院案内板
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案内板
「 地久山天長院(臨済宗妙心寺派)

当寺の往古は、室町時代木曽家祈願所として真言宗に属し、木曽東古道沿いの伊奈川大野の地に菊名山広徳寺としてありましたが、天文年間(一五四〇~)武田軍或いは山賊の焼き討ちにより廃絶してしまったといわれています。
その後文禄年間(一五九四~)定勝寺七代天心和尚を開山として旧地に禅寺地久山天長院として開かれ、回答の変遷により、寛文年間(一六六二~)地蔵堂のあった合の宿平沢の現在地へ移転し現在に至っています。 」

天長院

石仏石塔 スマホが動かなくなって暫しスマホを冷やす時間をとりました。
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天長院の石垣
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常夜燈
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遠くに山が見えます。木曽御岳かな?
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第10中仙道を渡りました。
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暫く国道19号線を歩き、斜め右に入りました。
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こんな道を歩きました。
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第11中仙道踏切を渡りました。
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第12中仙道踏切を渡りました。
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左折する角の少し先に赤い洋館があり、何の建物か気になったのですが、調べたけれど何の建物か分かりませんでした。
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二度目の中山道18日目の2(野尻宿)に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/01/07/142612



二度目の中山道六十九次歩き目次の目次
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/03/21/084003