紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

長野県宝 旧渡辺家住宅

旧渡辺家住宅
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「旅たび 岡谷」より

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渡辺家は長地東堀にあり、高島藩の散居武士の家です。

安政年中(1854年以降)の「家中分限帳」(武士の身分、禄高を記した帳面)によると、「郡方下役外様御徒士18俵2人扶持渡辺斧蔵」とあって、下級藩士であったことがわかっています。この一家から、渡辺国武、渡辺千秋、渡辺千冬の3人の大臣が出ています。

渡辺国武は大久保利通に重用され、伊那県に勤め、兄千秋とともに大蔵省に入りました。その後、高知県令・福岡県令・大蔵省調査局長・主計局長・大蔵次官を経て明治25年(1892)第2次伊藤内閣の大蔵大臣となりました。これは、信州出身としてははじめてのことでした。

渡辺千秋は国武の兄で、同じく大久保利通に重用され、鹿児島県令・滋賀県知事・北海道長官・京都知事をつとめ、こちらは明治43年(1910)には宮内大臣となりました。

渡辺千冬は、千秋の3男で、東京帝国大学法科を出て政界に入り、衆議院議員貴族院議員・司法大臣を務めています。

創築は、18世紀中頃とされ、その後19世紀中頃に改築されました。土間が広く、農家とよく似た間取りですが、中床をそなえた座敷などに武家住宅としての特徴が見られます。全国的にも数少ない下級武士の家として貴重なものといわれています。

3大臣に関する貴重な関係資料もすぐ近くにある郷土学習館で併せて見学することができます。

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