紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2度目の中山道六十九次歩き6日目の5(松井田宿から新堀へ)

2度目の中山道6日目の 5
3月14日(土)の5


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松井田宿

15:01 松井田町道路元標
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道路元標とは・・・wikipediaの記事はこちら→https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E8%B7%AF%E5%85%83%E6%A8%99


15:01 趣深い旧家
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15:02 まちなかにぎわい広場
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広場の右の端に松井田宿の絵地図看板があります。
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15:07 地蔵堂
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15:09 旧家
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15:10 無料休憩所
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宿場町らしい民家を利用した休憩所で、開いていれば休憩したかってのですのですが、新型コロナウィルスの感染拡大防止措置のためでしょうか。閉まっていました。

「徒然素浪人のSanpoing World」より

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■みなとや・・・安中市松井田町松井田560

 木造2階建ての往時の宿屋で、同時に両替商・質屋・塩を商うこともあったという。明治4年(1871)の大火で建物が焼失した後、築150年超の農家の建物を移築した建物で、現在、300年経っているとされる建物が30余年前廃業し、空き店舗を活用した無料休憩所「お休み処みなとや」として平成19年11月17日にオープンしている。

 ここは、商店街を訪れる人の無料休憩所として、松井田商店連盟が群馬県安中市の助成を受けて整備したもので、旅館の風情が漂う店内には、座敷にお茶が用意された無料休憩所のほか、コーヒー・紅茶・ソフトクリームなどを安く楽しめる喫茶コーナー、地元工芸家の手作り作品の展示販売コーナーなどがあり、商店街の憩いの場になっているという。
 運営には松井田商店連盟と安中市松井田商工会が協力し、営業時間は午前10時から午後3時まで、定休日は月曜日である。

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mapple. netより

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お休み処みなとや (オヤスミドコロミナトヤ)
歴史を感じさせる無料休憩所
30年前に廃業した旅館「港屋」を改装した無料休憩所。明治の初めに建築された建物には、宿場の面影が残る。座敷で休憩ができ、無料の茶が用意されている。

お休み処みなとやの詳細情報
住所
群馬県安中市松井田町松井田560
交通
JR信越本線松井田駅から徒歩15分
営業期間
通年
営業時間
10:00~15:00
休業日
土・日曜(年末年始休)
料金
入場料=無料/コーヒー・紅茶=200円/ソフトクリーム=200円/ランチ=500円/かき氷=200円/

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15:18 公衆トイレがありました。助かります。
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15:18 蔵造りの建物
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15:20 安中市松井田商工会
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洋風デザインの建築に和風の屋根を載せたいわゆる「帝冠様式」の建築だそうです。

元々は1938年に建築された警察署で、同署が移転改築する時、地元が保存の申し出をして商工会館で活用することになったそうです。


15:33 庚申塔
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【松井田城址と一里塚跡】

15:36 松井田城址
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案内板
「 松井田城址
城の位置 松井田町新堀
(松井田市街地の北方の山なみ)

城について
城は東と西の二つの郭から成る。東半は御殿山を中心に安中郭(市指定)と呼び安中忠政が本格的に築城したという。
西半は本丸、馬出し、二の丸の三つの郭から成る。二の丸の北西部に土囲が依存する。自然の尾根を巧みに利用し、無数の堀切りや竪堀りを構築している。北条流の典型的な中世の山城として名高い。

平成二十八年六月
安中市観光協会


15:36 補陀(ふだ)寺
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guntabi.comより

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補陀寺(安中市)概要: 大泉山補陀寺は群馬県安中市松井田町新堀に境内を構えている曹洞宗の寺院です。補陀寺の創建は室町時代の応永年間(1394~1428年)、無極慧徹禅師(肥前国出身、室町時代曹洞宗の高僧)によって開かれたのが始まりと伝えられています。当初は草庵でしたが、無極慧徹禅師が美濃国の大泉山補陀寺の住職時代の弟子で跡を継いだ月江正文(尾張楞厳寺、上野双林寺、武蔵普門院を開山)が、寺号を移した事で正式な寺院となり自らを2世としました。歴代の領主である安中氏、武田氏から庇護され、特に武田信玄は元亀3年(1570)に寺領を安堵する朱印状を発布し、天正10年(1582)からは小田原北条氏の有力家臣で北条家三家老とも言われた大道寺政繁が当地に配されると自らの菩提寺としました。
大道寺政繁は武勇に優れ北条家からの信頼も篤かった為、常に最前線を任され領内の中山道の入口に当たる松井田の地を守らせました。政繁は豊臣軍の進撃に備える為、すぐさま松井田城を一大要塞に大改修し補陀寺の境内も城郭に取り込み補陀寺郭と称されました。天正18年(1590)、小田原の役が始まると前哨戦の碓氷峠の戦いで敗退し、政繁は松井田城に1ヶ月にわたり立て籠もりましたが前田利家上杉景勝真田昌幸が率いる35000人の軍勢の前に屈します。

その後、政繁は豊臣軍に従軍し忍城や武蔵松山城鉢形城八王子城攻防戦などに参加し特に八王子城では大功があったものの小田原城が落城し北条家が滅ぶと切腹させられ、松井田城も廃城となります。松井田城落城後、政繁の豊臣軍に対する貢献は非常に高いものでしたが、結果的には切腹になった為、江戸時代に加賀藩前田家の大名行列が通過すると政繁の墓に悔し汗をかくと噂されました(政繁と前田家には密約があったが反古にされ怨まれたとも)。その後、補陀寺は現在地に再興し「関左法窟」(関東一の道場という意味)の額を掲げる程寺運が隆盛し何人もの名僧を輩出しています。

補陀寺総門は切妻、桟瓦葺、一間一戸、高麗門形式。山門は切妻、桟瓦葺き、一間一戸、薬医門形式。本堂は寛政8年(1796)に再建されたもので木造平屋建て、寄棟、銅板葺、平入、桁行9間、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ。補陀寺境内には政繁の墓碑と伝わる宝篋印塔が建立されています。山号:大泉山。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦如来准胝観世音菩薩

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山門の「関左法窟」(関東一の道場という意味)の額、素敵ですね。


15:38 分岐左へ
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15:41 道祖神
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15:42 一里塚跡
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案内板
「 一里塚跡(江戸より三十二里目)

この場所は、松井田町大字新堀字漆原一里山といいます。
明治二十年代までこの中山道をはさんで南側と北側に一里塚がありました。
この立札の南方十メートルに南側の一里塚がその跡をとどめています。

平成十二年二月吉日
松井田町教育委員会

11年前のブログより

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2009.4.15.

松井田城址の石垣と、補陀寺の門の写真を撮り…

その先で、道祖神の写真を撮っていたら、地元の方に、「一里塚はここですよ」と声をかけられました。

「立て札はここにあるけど、あの奥にちょっとだけこんもり見えているのが一里塚。昔の4分の1になっちゃったらしいけど」

「家の脇(庭)を通っていっても構いませんよ」と言うということは、ここの家の方なのね。

「そちらの道からも回っていけますよ」

お礼を言って、遠回りの道から回ってみましたが…
裏から見ると、さっきは小さいながらも小高く塚らしく見えたのに、反対側からだと、草ぼうぼうの中に木があるようにしか見えませんでした…

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15:44 中山道道標
←坂本宿6.8km →松井田宿1.5km
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15:44 製糸踏切
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「→中山道(御巡幸道)」の矢印に従って線路沿いの道を右へ。


15:48 第十中仙道踏切を渡ります。
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2度目の中山道6日目の6(五料村から横川駅へ)に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2020/05/22/221507

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二度目の中山道六十九次歩き目次の目次
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/03/21/084003