紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2度目の中山道六十九次歩き6日目の6(五料村から横川駅へ)

2度目の中山道6日目の 6
3月14日(土)の6


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【五料村へ】

15:53 薄日が差してきました。あの白い雲に覆われた辺り、妙義山があるんだろうなあ。
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15:57 T字路を右へ。
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15:59 岩の上にお地蔵様
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16:01 山灯籠 明治十三年(1880)建立
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山灯籠の後ろにちょっとだけ写っているのは、二十三夜塔。これは文政十年(1827)建立。


16:01 中山道道標
←坂本宿6.0km →松井田宿2.3km
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16:04 中山道は右斜めへ
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16:08 庚申塔と二十三夜塔
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【五料村茶屋本陣お西・お東】

16:11 茶屋本陣お西・お東入口
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とりあえず、線路を渡って行ってみました。

と、その前にこの看板
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16:12 高札場跡
安中藩
板倉伊豫守領分
五料村
高札場
松井田町教育委員会

そして、踏切を渡ります。


16:13 茶屋本陣お東の前ですが、左へ(お西の方へ)行くように矢印にに従って左折。
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16:14 茶屋本陣お西前。看板によると、受付終了は16:30で、まだぎりぎり間に合いますが、中には入らないことにしました。
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ここは新型コロナウィルス対策の休館はやっていないのでしょう、多分。

安中市ホームページより

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五料の茶屋本陣
茶屋本陣のプロフィール
五料の茶屋本陣
 五料の茶屋本陣は江戸時代の五料村の名主屋敷で、
また、中山道の茶屋本陣として参勤交代などで、中山道を通行する大名や公家、幕府の役人などに休憩所として利用されていました。
 建物は「お西」・「お東」と2棟あり、復元・修復作業が施され、往時を偲ばせるものとなっています。
なお、お西は昭和33年8月1日、お東は昭和59年12月25日に群馬県指定史跡に指定されました。

開館時間
午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)(3月~11月)
※冬期(12月〜2月)は、午前9時〜午後4時30分(入館は午後4時まで)
月曜休館(月曜が祝日の場合はその翌平日)
年末年始休館(12月29日〜翌1月4日)
入館料
大人210円・小人(中学生以下)100円
団体(20人以上):大人150円・小人70円

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Travel & Portal WEB GUNMAより

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五料の茶屋本陣は、中山道を参勤交代で往来する大名や公家の休憩所として利用された場所で、「お西」と「お東」の2つの建物が並び本陣を営んでいました。どちらの建物も先祖を同じくし名主を勤めた中島家の屋敷で、天保7年(1836)から明治にかけて1年交代で茶屋本陣を営んでいました。

茶屋本陣の「お西」「お東」の両建物とも文化3年(1806)に建築された書院造りの上段の間を持ち、当時の姿を今日に伝えています。この五科の茶屋本陣は、群馬県の指定史跡に指定され大切に保存されています。

五料茶屋本陣 「お西」
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五料茶屋本陣「お西」は、「お東」と同じ文化3年に建てられた間口十三間、奥行七間の切妻作りで、両家の母屋の規模、平面ともほとんどが同じです。「お西」は、白壁造りの屋敷構えをしています。

五料茶屋本陣「お東」
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五料茶屋本陣「お東」の建物は、間口十三間半、奥行七間で、書院造りの上段の間をはじめ式台など当時の面影を伝えています。「お東」は、土壁造りの屋敷構えをしています。

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16:18 男女双体道祖神
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男女双体道祖神は、雨で見えないけれど、11年前は妙義山をバックに撮ったなあ、と思い出しながら撮りました。

2009年4月15日に撮った同じ男女双体道祖神を貼ります。
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16:23 道祖神
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16:25 青面金剛
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16:25 茶釜石とお地蔵様
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案内板
「 茶釜石

この奇石 は、もと旧中山道丸山坂の上にあったものです。たまたまこゝを通った蜀山人は、この石をたゝいて珍らしい音色に、早速次の狂歌を作ったといいます。
 五料(五両)では、あんまり高い(位置が高い)茶釜石
 音打(値うち)をきいて通る旅人
この石はたゝくと空の茶釜のような音がするのでその名がある。
人々は、この石をたゝいてその不思議な音色を懐かしんでいます。
五料の七不思議 の一つに数えられています。 」

guntabi.comより

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茶釜石は古くから信仰の対象になっていたようで付近には夜泣き地蔵が安置されています。夜泣き地蔵は昔、馬片が荷のバランスが悪く難儀しながらこの地まで来ると、偶然にも地蔵の首が落ちていた為、重りとして利用しました。その後、馬方は容易に荷を運ぶ事が出来、目的地である深谷で荷物を下ろすと地蔵の首も必要がなくなり棄てしましました。すると地蔵の首は口を開き「五料に帰りたいよ~」と毎晩泣き叫ぶようになり、哀れと思った深谷の住民が元々安置されていた五料に運び胴体に乗せたそうです。その後、地蔵は泣く事は無くなり道中の人々の安全を見守っていると伝えられています。

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五料の七不思議が他には何があるか、ちょっと調べただけでは分かりませんでした。

今回は叩く石がなかったのですが、11年前は石で茶釜石を叩いてみました。

11年前のブログより

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その先、坂の頂点に、夜泣き地蔵と茶釜石。茶釜石を、上に置いてある石で叩いてみると、確かに鉄製の茶釜みたいに響きます。

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16:28 高い所にあり、台座も高い石仏
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11年前に撮った、同じ石仏
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16:31 菜の花の中の石仏
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菜の花が咲いている斜面があったので、

(ここに石仏があったら素敵だなあ)

と思ったら、何と!あったので、絵手紙に描きました。
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11年前のブログより

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夕方に山に入っていく雰囲気の道は、ちょっと不安になりますが、行ってみると陽当たりのいい気持ちのいい道で、草に半分埋もれた道祖神を見つけて写真を撮り、気分がハイになりました。

中学生の頃、道祖神を訪ねて写真を撮る旅をしてみたい、と思っていましたが、その夢が、今、実現している!

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16:37 馬頭観世音
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雨がやみ、線路沿いを歩いていると、うっすら妙義山が見えるような、見えないような。
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16:41 碓氷神社
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guntabi.comより

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碓氷神社(安中市)概要: 碓氷神社は群馬県安中市松井田町五料に鎮座している神社です。碓氷神社碓氷神社の創建は不詳ですが碓氷峠に鎮座する熊野神社の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。鎌倉時代初期の建久年間(1190~1199年)、源頼朝鎌倉幕府初代将軍)が信州に牧狩りを行った祭に当社を参拝したと伝えられ、正徳年間(1288~1293年)には執権北条氏により碓氷郷総鎮守を定められています。南北朝時代に入ると碓氷郷一ノ宮となり広く信仰を広め、江戸時代初期の慶安年間(1648~1652年)に碓氷峠熊野神社の里宮となり社殿を改築し碓氷神社と社号を改称しています。
明治42年(1909)に菅原神社、波古曽神社(波古曽神は妙義山の山の神で、以前は妙義神社や中之嶽神社の主祭神でしたが、現在は合祀神や境内社などに甘んじている例が目立ちます)、諏訪神社八幡宮など周辺の神社を合祀して大正3年(1914)に村社の格式を得ています。拝殿は木造平屋建て、切妻、銅板葺き、平入、桁行4間、張間2間半、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ。本殿は覆屋内部の為に不詳。祭神は速玉之男命伊邪那美命事解之男命大山祇命保食神、大日?貴命、建御名方命猿田彦命スサノオ命、火雷神、阿志奈都智命、手奈都智命、誉田別命菅原道真公、埴安姫命、石長姫命、火産霊命。

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碓氷神社の周辺には、二十三夜塔など石塔もたくさんありました。
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ガイド本ではもう少し手前の踏切を渡るのが旧中山道ですが、危険なら高墓踏切を渡るように、と書いてありました。手前の踏切は、現在は渡れないのではないかなあ。ここまで来たから碓氷神社も視ることが出来ました。

16:45 高墓踏切を渡ります。
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16:49 道祖神など
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16:49 男女双体道祖神
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16:51 小山沢交差点
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16:53 百合若大臣の足痕(あしあと)石
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案内板
「 百合若大臣の足痕石

 この石は、百合若大臣が足で踏みつぶしたので、石の上がへこんだといわれています。
 その昔、百合若大臣という大男の若者がいて、力も相当あったらしく大きな弓と長い矢で、川向こうの山にむけ「よしあの山の首あたりを射ぬいてみよう」と思いつき、満身の力をこめて射はなった。その時、後足をふんがいたのがこの石と言われています。
 これを見ていた家来の一人も負けづと思い、腰にぶらさげていた弁当のむすびを力一ぱいほうり投げ、山には二つの穴があきました。
 それで今でも二つ穴が、ここから見ると夜空の星のように見え、この山を「星穴岳」とよぶようになったと言われています。
 百合若大臣がその時使った弓と矢が妙義神社に奉納されています。 」
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17時のチャイムが、11年前は「イエスタデイ」で夕暮れにぴったり、と思ったのに、今回は「ふるさと」になっていました。


17:13 妙義山が少し見えてきました。
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横川のおぎのやは閉まっていて、釜めしは買えませんでした。


今日は横川駅から帰りましたが、11年前は横川に泊まりました。

11年前のブログより

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横川で泊まれるところを探そうと思っていたけれど、案内所もないし、無理そうなので、バスで軽井沢まで行こうと思い、時間を調べたら、現在17:34で、バスは18:10。

飲み物を買って、上着を着て、うろうろしていたら、「宿泊」と書いてある建物発見。

ダメ元で聞いてみたところ、泊まれることになりました。

横川には泊まれるところがここだけ、という東京屋。

今日の宿泊客は私だけ。

2階の鉄線の間に通され、みすず飴とお茶で一服しました。

風呂の準備が出来、汗を流して、大きな湯船に浸かった時、幸せだなあ、と思いました。

急に来たのに、すばらしい御馳走でした。
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自家製合鴨燻製サラダ、田芹お浸し、こんにゃく田楽、ヤマメ唐揚げトマトソース、おきりこみ(群馬の郷土料理。うどんと野菜の汁物で、甲州ほうとうを思い出しました)、天婦羅(山椒、タラの芽、しめじ、すなっぷえんどう、海老)、煮物(高野豆腐、里芋、椎茸)、香の物、ご飯。

生ビールを2杯飲みました。

今日採ってきたばかりという山椒、タラの芽、芹が美味しかった。

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本日は横川駅着17:15。
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本日の歩数 49,206歩 30.01km

17:21の高崎行きに乗って帰りました。
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高崎駅のトイレで汗と雨で濡れた服を着替え、上州鳥弁当を買って、車内で食べました。
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2度目の中山道7日目の1(横川から坂本宿)に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2020/05/25/211454


二度目の中山道六十九次歩き目次1
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/03/17/220947


絵手紙1(日本橋から塩名田宿)
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/03/18/101022


二度目の中山道六十九次歩き目次の目次
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/03/21/084003